映画など街など

きままに映画や趣味を

麻雀放浪記2020

2024-04-13 09:12:00 | 映画

4月に観たのだが余り評判にならなかった。
オリジナルは和田誠監督のモノクロの作品。相当昔だが、真田広之や加賀まりこの記憶はしかとあり、かなり面白かったからリメイクとはいえ行かなきゃ。

だが上映館が少ない。池袋でやっていた。

チャンスを伺っていた。非番の金曜日。午前中は嫌々ながら仕事の勉強をしてから午後出かけた。
たまたま87歳の元役人ドライバーに親子が横断歩道で轢かれた痛ましい事故があった数時間後だった。 

ロサ会館前を通り劇場へ。こういうことがない限り足を踏み入れないゾーンだ。
昔、ロサ会館でボーリングをし、近間では鰻の串焼きで飲んだことを思い出す。

劇場は日中とはいえ余りに少ない観客。
2020東京オリンピックは何と戦争で中止になったらしい。   

浅草とおぼしき街に戦後闇市ドヤ街から時空を超えて坊や哲が現れる。斎藤工だ。

タイムスリップした世界では、地下アイドルのドテコ(もも)、芸能プロダクションのクソ丸(竹中直人)のお世話になる。 
麻雀クラブのママゆきはビッキーで、AIロボットと二役。AIロボットのビッキーはとてもセクシーだ。

ドサ健、出目徳、女衒の達などメンバーはオリジナルと同じだが、どうもゲーム麻雀の世界にはついていけない。それでも麻雀牌の積み込み技術をみせてくれる。 

ドタバタの背景や事由、対立図式がイマイチ理解しにくい。

アイフォン20台で撮影したという。カメラが目の前で構えていないぶん役者は自然体なのか?その逆か?もはやスマホで映画作製可能なのだ。

ラストシーンの場面で、A Iロボットの電気をオフにするのは、ももの追っかけオタク(岡崎体育)のアイデアか。なるほどだ。
出目徳を小松政夫が演じている。小松さんはまだ健在なのだ。

悪役だと思うが、特段偏見の持主ではないがピェール滝が現れたとたん白けてしまった。やっぱり事件の影響はあるよなと思ってしまった。

今ふうにアレンジしてて劇画風、ちょっと盛り込み過ぎ、冗漫な部分があり。少し欠伸がでて期待外れの感が否めない。

作品分析する時間があるなら旧いオリジナル作品を観た方が良い。

(2019.6.27記)


誰でもない女

2024-04-12 12:02:00 | 映画
自分の妻からある日、私は秘密警察員だと告白されたら…。
小生は黙って去ると思う、たぶん。いかに彼女が悲劇を背負い政治的に利用されたのだとしても。背中が凍るし騙され裏切られプライバシーは裸にされ…膝から崩れ落ちるだろう。

カトリーネの夫は偉い!娘を諭す台詞が象徴している。「でも君の母親だ」

ナチスドイツの人口増加計画「レーベンスボルン(生命の泉)」という政策を無知にして知らず。
ノルウェーがドイツの占領下にあったとき、ノルウェーはその政策の恰好の国にされた。ノルウェー人は民族的に優れたアーリア人だから。

ドイツ人兵との間に産まれたカトリーネは東ドイツの施設に預けられた。成人してから母国に亡命、母親を探して平和に暮らしていた。
ある日、弁護士から裁判での証言を求められる。ノルウェー政府がカトリーネや彼女の母親を迫害した過去についてだ。国家が犯した罪の告発を試みるためだ。

カトリーネの謎めいた行動がはじまる。彼女は秘密を死守しなければならない深刻な事情を抱えていた。映画は単なる謎にとどまらない悲劇的で衝撃的史実をサスペンスタッチで描かれる。
これ以上書くと完全ネタバレになるので避ける。
こういう作品にはアマプラとはいえ、なかなか遭遇できない。

ドイツは第一次大戦後、兵士の戦死、世界恐慌で出生率が落ちこみ著しい人口減少にあった。ナチスはユダヤ人を殺戮しながらも、人口減少に苦しみ、ドイツ人のアーリア化を政策的に進めていた。 

人口政策はどこの国でも重要な課題だが内容が問題だ。
極めて私的な処にまで権力が介入してきたとき、国家の流れや勢いに異議、疑義を唱える人間はどの位いるだろうか?少し寒気がしてくる。
我が国は?「産めよ増やせよ」なんてフレーズを僕らも知ってる位。確かに昔は子だくさん。婚姻外もありだったがどうかだか?
今日の我が国も露骨なフレーズこそ使わないが、施策は明白な産めよ増やせよだ。

ノルウェー政府は第二次大戦後、ドイツに協力していた女性の国籍を剥奪するなどの迫害を続けていた。国家としての恥辱でもある。

2000年に時の首相が事実を認め謝罪したという。

カトリーネは全てを明らかにして、夫、子ども、母親から去ることにするのだが。
母親に対しては並々ならぬ感情からちゃんと説明をしなければならない。
母親の「貴女は誰」は胸を突く。 
彼女は自分にも母親の為にも真摯に生きてきたのだがら。

映画は最後まで息をつかせない。
小生は、余りに切ないラストにことばを失ってしまった。心が凍りついた。

2時間超えの映画が多いなか、この作品は1時間40分に押さえており、無駄がなく素晴らしい。
86回アカデミー賞にドイツの代表作品として出展された。

(2019.6,25記)

英雄の証明

2024-04-08 17:30:00 | 映画
タイトルからしてどうなのか?と半疑でいたがとんでもない。グイグイと引き込まれていく。 
借金を返せず服役中のラヒムは、仮釈放で家族のもと(息子を姉家族に預けている)に帰るが、その前に婚約者に会い彼女が偶然拾った17枚の金貨を確認する。これで自由の身になれるのだ。神の恵みという思いで換金屋に行くが金価格は変動して思惑の半分だった。彼はくすねることの罪悪感もあり落とし主を探すことにする。ポスターを貼る。落し主が直ぐにみつかる。

落し主の女性は絨毯を編む内職でせっせと貯めたのだという。ギャンブル漬けの夫にバレると奪われてしまうから金貨のことは内密にしている事情がある。

ラヒムは連絡先を刑務所にしていたことから、小さな善行が刑務所内にも広がる。
刑務所側は刑務所のイメージアップの思惑で彼の善行は美味しい素材と判断。「正直者の囚人」としてマスコミ取材を受けさせる。
マスコミの効果は絶大、何処の国も同様で瞬く間に彼は時の人、有名人になる。チャリティー協会からはイベントに招待される。吃音を患う息子のスピーチに共感を誘いラヒムのもとに寄付金が寄せられる。借金返済の一部に充て、彼は保釈のみならず仕事も紹介してもらえるという流れになる。借金の相手は元妻の兄バーラム。彼は徹底してラヒムには厳しい。

脚光浴びることを快く思わない者が必ずいるもので、ラヒムの行為は詐欺だ、作り話だという情報がネットに流れ出す。何処で拾い本当に返したのかを証明しなければならない状態に陥る。


金貨を返したラヒムの姉は落し主の名前も住所、電話番号を聞かなかった。分かってることはタクシーで来たことと、お礼にラヒムの息子に金貨一枚を握らせたことだ。

詐欺行為とかの噂を流したのはバーラムに違いないと思いこみバーラムに会いに交渉に行くのだが逆に罵倒され、ラヒムは怒りでバーラムを殴ってしまう。その行為の一部始終を撮影されてしまう。居合わせた別れた元妻だ、彼女はネットに流す。もう本人の思惑を超え、詐欺師のみならず暴力行為をする悪人となってしまう。

元々金貨を拾ったのは恋人である。
拾う前から借金返済の計画メールが判明され窮地に追い込まれる。小さな嘘が反転、ラヒムの信用は失墜。仕事を紹介してくれる話も危い。協会側も事態の悪化にラヒムへの寄附金は取消し、夫が死刑になりかけている女性に回して欲しい。という方向に展開していく。

この件がまたSNSに流され、刑務所の上層部は本件の動画を撮らせてくれとくる。ラヒムは断るが家まで押しかけられてしまう。
刑務所側の思惑はしたたかで、彼の息子を登場させようとする。息子は吃音でちゃんと喋れないのだが、当局はその方がリアリティあるとリハーサルを繰り返す。息子までも利用され晒し者にされ、吃音で何回もリハーサルをやる姿に、ラヒムはとうとう切れてしまい再び暴力的になる。
一番大切なのは自尊心、プライド、人間の尊厳を守ることなのだ。
ラヒムは再び収監される。

落し主が現れきちんと証言してくれればそれで終わってしまう小さな出来事なのだが。そうはさせない。なんのことない日常の瑣末な行為を素材に見事な映画に仕上げるのだ。小さなひび割れの様な出来事が一人の男の運命を左右していく構成展開の成功だ。
アスガーファルハディ監督は飛び抜けて知能指数が高い天才ではないだろうか大きな事件、例えば殺人や事故などとは全く無縁。暴力といっても誰でも殴りたくなるような喧嘩まがいの行為。日常ありうる行為を描いただけ。
怖いのは、何気ないネット書き込みが炎上しあたかも世論のようになってしまい踊らされること、現代のネット社会の怖さを描く。そして決して他人事ではないだろうこと。

創作の素材は日常生活にいくらでも転がっていることを教えてもらった。
特別なことをしなくても僕らをハラハラドキドキさせてしまう才覚には敬服する。スタンディングオーベイションという感じだ。
賞を獲るのは当然至極だ。

ファルハディ監督作品には
「別離」「セールスマン」があり、同様素晴らしい。


パヴァロッティ

2024-04-05 15:20:00 | 映画
プライムビデオを激しく観てる。年明けからコロナ流行もあるが、慢性疼痛が結構厳しくアクティブになれないからでもある。それなりに時間を割くわけだからちゃんとセレクトしなければならない。かなりの本数になっている。
勿論劇場にも行っている。
「風の電話」「hukushima50」も観てる。これは緊急事態宣言前だが。(2020.9のメモ)


「パヴァロッティ 太陽のテノール」
を封切の9.4に観て、また行かなきゃと思ってるうち終わってしまった。何とか吉祥寺で2回目を観た。何故入りが悪いのか理解できない。映画館はコロナ感染のおそれはないのに。オペラは嫌いなのかしら?


公開を楽しみに待っていた、予想を裏切らないとても優れた作品だ。

「ラボエーム」「トスカ」などの絶頂期のパフォーマンスをふんだんに味わえる贅沢な作品である。また、友人や家族のインタビューにとどまらずプライベートライフなどの貴重な映像も盛り込みパヴァロッティの生涯をまとめてくれている。

パヴァロッティが好きでない方もチャンスがあれば、このドキュメンタリー映画は観ておいた方が良い。

1935年イタリアのモデナで生まれたパヴァロッティは父の勧めで教師になる。が母親は非凡な歌の才能を確信している。
61年市立劇場で「ラボエーム」を歌いテノール歌手になる。
テノール歌手の最高音「ハイC」の能力を絶賛され、1963年のロンドン公演を契機に世界のパヴァロッティとなる。 

ダイアナ妃との交流。
地雷撤去などのボランティアへの支援。
U2のボノは彼のアーティストとしての信念を語る。

34年連れ添った前妻アドゥア。 68歳時に結婚したニコレッタ。3人の娘など、女性のインタビューはパヴァロッティの人となりを知る大きな手がかりになる。 
女好きで前妻アドゥアは手を焼いたと思う。ニコレッタとの件については複雑な想いかもしれない。

2006年トリノオリンピックの開会式の「誰も寝てはならぬ」が最後になった。一週間前の録音らしい。上手に口パクをやった。感動的だった。
パヴァロッティほどセクシーなテナーは
存在しないといつも思っている。

翌2007年、71歳時に膵臓癌で逝去。
(2020.9.28のメモ。2024.4.5リライト)



トスカーナ

2024-04-05 12:00:00 | 映画
パスタはよく作るし、好きだからイタリアンにはよく行く。毎日でもいいかと思う位だが自重して蕎麦屋にする。
イタリアに行きたいなと思うが、慢性疼痛を患っているので地球の裏側まで行く自信がない。せっかちで先を先を考えてしまうので、湯治に行ってもゆったりした気分とか今を楽しむという感覚を持てない。潜在的に効率性とかの意識が働いてるのかな?不幸な性格だと思う。

何気に観たトスカーナが何日過ぎても頭に残っている。
何が良かったのか?  
誰も傷つかない、殺しとか流血がない、ハッピーエンド?
主人公が自己呪縛から解放され自己再生の道をたどることになるからか? 

いや、やはりトスカーナの美しい映像にあるのだろう。またシェフの物語だから料理の美しさ、芸術・文化性の高い映像をみせてくれる。

デンマークでレストランを経営する一流シェフのテオに父親の訃報。父親は故郷のトスカーナの広大な土地で古城レストランを営んでいる。テオは自分のレストランを拡大する資金にトスカーナの土地を売却する方針にしている。父親とは疎遠でもあり何故か忌み嫌っていたからだ。

トスカーナに帰郷する。古城レストランでランチをとる。ひとくち手をつけただけで下げてもらう。
夕刻、故郷の風景を眺めていたテオのもとにランチを運んだ女性がワインを持って語りかけてくる。ソフィアだ。テオの父亡き後レストランの経営を行っていたのはソフィアだった。二人は幼い頃ひと夏を過ごした仲だった。

古城レストランでソフィアの結婚パーティの50人分の料理をつくることになり、テオはデンマークから料理人スタッフを呼ぶ。テオはソフィアと食材調達をするうち打ち解けいい関係になっていく。幼い頃ソフィアはテオのことが好きだった。彼女はテオと手を繋いだ写真を飾っていた。気難しやり屋のテオも昔日を思い出し心が和んでいく。
二人は結婚式の前日なのにキスを交わしてしまう。

婚姻の日、ソフィアの結婚の宣誓に間がある。遠くからているテオと見つめ合ってしまう。誰か気づいただろうか?

テオは約束どおり土地を売却してしまうが、
ソフィアは村を去る。自分を見つめ直すため、大学に入ることにしたという。

トスカーナの美しい風景はテオを癒やし、父親へ嫌悪感は消え自分を取り戻す。テオはデンマークを去り、土地を買い戻し古城レストランを継ぐことにする。

ハッピーな話だから誰も傷つかない。いやテオの土地売却の仲介をした弁護士、彼の傷は癒えるだろうか。妻の筈のソフィアが消えてしまったからだ。テオにくらったパンチひとつが救いだ。

テオはいい歳した中年だからソフィアだって妙齢な筈。二人が恋仲になったら急に若々しく見えてくる。血が通いだしたように生き生きしてくる。恋こそが味気ない生活の妙薬なんだ。

これは純愛なのだろうか。この映画のせいで好きだった女の子を思ってしまう。空白があっても会えば月日を感じさせない仲だった。彼女はもういない。そんなに早く亡くなるのなら、もっともっと会うべきだった。仕事漬けだったことを今更ながら後悔する。前だけ向いて歩くことや、振り返ることに否定的だった考えは間違いだった。少年の頃は純粋だったのに、生意気な大人になって傲慢に成り下がっていた。

夏の初めソフィアは大学が夏休みだと、トスカーナに舞い戻る。 

二人の姿に嫉妬しながらハッピーエンドに安堵する。