映画など街など

きままに映画や趣味を

池田満寿夫展

2024-04-15 20:00:00 | 日記
10年も前のこと。
5月の連休3日から6日迄山形にいた。

5日に山形美術館で池田満寿夫展を観た。

見事な池田さん独特の版画作品。

だいぶ前に熱海で観てますが、改めてホレボレする作品に感動。

熱海の「創作の家」はまだ、あるのだろうか?

版画、絵画、映画、小説!天才アーティスト池田満寿夫氏と、世界を舞台に幼い頃から活躍した、これまた天才ヴァイオリニストの佐藤陽子氏の家=芸術活動拠点。

佐藤さんの方は、ドレス、楽譜、年譜、写真などが展示されていた。

池田さんも佐藤さんも亡くなってしまったが、感性が合えばこんなに仲良く暮らすことができるんだな。つくづく思ったものだ。

(2013年のメモ、2024.4.リライト)

私は、マリアカラス

2024-04-14 18:30:00 | 映画
マリアカラスの肉声、素顔、最高のソプラノが味わえる機会だ。
絶対観るぞ!楽しみにしていた。

「永遠のマリアカラス」「マリアカラス最後の恋」とは違う、本人登場!ドキュメントだ。
ワクワク感を禁じえない。彼女の余りの偉大さにドラマチックな生き方に、小生の心も激しく揺れる。が、悲劇性が固定観念として宿しているのは切ない。

誰よりも美しく、圧倒的説得力ある突出したソプラノ、舞台に涙が出そうに心が震える。



プライベートフィルム、音声テープ、インタビュー、手紙、自身の自叙伝…カラスの素顔を見せてくれた。逞しいながらも繊細な神経、完全主義のマリア。ドキュメントとしても価値ある作品だ。

53歳で心臓麻痺。再起の準備をしていたマリアはパリで亡くなった。
どうしてだろう、睡眠薬を服用していたに違いない、勝手にそう思ってしまう。完全主義のマリアだから、ピークを過ぎた後の肉体、喉を考えていたに相違ない。壮絶で真摯な生き様。神経にくるのは必至だと思う。


「永遠のマリアカラス」でカラスを演じたファニーアルダンの朗読は、マリア自身が語るように聞こえてくる。

オナシスとジャックリーヌの結婚を新聞で知ったときの失意。死にたくなるほどショックだっただろう。
されどオナシスは戻ってくるのだ。

映像には、ヴィスコンティ、コクトー、ドヌーヴ、バルドーなどなどが登場していたとのことだが、しかと確認できなかった。

「ボヘミアンラプソディ」と同様、複数回行かないと心落ちつかないようだ。
マリアはしょっちゅう聴いてきたものの舞台は観ることは出来ないのだから、何回も行かねばならないと思っている。

(2019.2記)




麻雀放浪記2020

2024-04-13 09:12:00 | 映画

4月に観たのだが余り評判にならなかった。
オリジナルは和田誠監督のモノクロの作品。相当昔だが、真田広之や加賀まりこの記憶はしかとあり、かなり面白かったからリメイクとはいえ行かなきゃ。

だが上映館が少ない。池袋でやっていた。

チャンスを伺っていた。非番の金曜日。午前中は嫌々ながら仕事の勉強をしてから午後出かけた。
たまたま87歳の元役人ドライバーに親子が横断歩道で轢かれた痛ましい事故があった数時間後だった。 

ロサ会館前を通り劇場へ。こういうことがない限り足を踏み入れないゾーンだ。
昔、ロサ会館でボーリングをし、近間では鰻の串焼きで飲んだことを思い出す。

劇場は日中とはいえ余りに少ない観客。
2020東京オリンピックは何と戦争で中止になったらしい。   

浅草とおぼしき街に戦後闇市ドヤ街から時空を超えて坊や哲が現れる。斎藤工だ。

タイムスリップした世界では、地下アイドルのドテコ(もも)、芸能プロダクションのクソ丸(竹中直人)のお世話になる。 
麻雀クラブのママゆきはビッキーで、AIロボットと二役。AIロボットのビッキーはとてもセクシーだ。

ドサ健、出目徳、女衒の達などメンバーはオリジナルと同じだが、どうもゲーム麻雀の世界にはついていけない。それでも麻雀牌の積み込み技術をみせてくれる。 

ドタバタの背景や事由、対立図式がイマイチ理解しにくい。

アイフォン20台で撮影したという。カメラが目の前で構えていないぶん役者は自然体なのか?その逆か?もはやスマホで映画作製可能なのだ。

ラストシーンの場面で、A Iロボットの電気をオフにするのは、ももの追っかけオタク(岡崎体育)のアイデアか。なるほどだ。
出目徳を小松政夫が演じている。小松さんはまだ健在なのだ。

悪役だと思うが、特段偏見の持主ではないがピェール滝が現れたとたん白けてしまった。やっぱり事件の影響はあるよなと思ってしまった。

今ふうにアレンジしてて劇画風、ちょっと盛り込み過ぎ、冗漫な部分があり。少し欠伸がでて期待外れの感が否めない。

作品分析する時間があるなら旧いオリジナル作品を観た方が良い。

(2019.6.27記)


誰でもない女

2024-04-12 12:02:00 | 映画
自分の妻からある日、私は秘密警察員だと告白されたら…。
小生は黙って去ると思う、たぶん。いかに彼女が悲劇を背負い政治的に利用されたのだとしても。背中が凍るし騙され裏切られプライバシーは裸にされ…膝から崩れ落ちるだろう。

カトリーネの夫は偉い!娘を諭す台詞が象徴している。「でも君の母親だ」

ナチスドイツの人口増加計画「レーベンスボルン(生命の泉)」という政策を無知にして知らず。
ノルウェーがドイツの占領下にあったとき、ノルウェーはその政策の恰好の国にされた。ノルウェー人は民族的に優れたアーリア人だから。

ドイツ人兵との間に産まれたカトリーネは東ドイツの施設に預けられた。成人してから母国に亡命、母親を探して平和に暮らしていた。
ある日、弁護士から裁判での証言を求められる。ノルウェー政府がカトリーネや彼女の母親を迫害した過去についてだ。国家が犯した罪の告発を試みるためだ。

カトリーネの謎めいた行動がはじまる。彼女は秘密を死守しなければならない深刻な事情を抱えていた。映画は単なる謎にとどまらない悲劇的で衝撃的史実をサスペンスタッチで描かれる。
これ以上書くと完全ネタバレになるので避ける。
こういう作品にはアマプラとはいえ、なかなか遭遇できない。

ドイツは第一次大戦後、兵士の戦死、世界恐慌で出生率が落ちこみ著しい人口減少にあった。ナチスはユダヤ人を殺戮しながらも、人口減少に苦しみ、ドイツ人のアーリア化を政策的に進めていた。 

人口政策はどこの国でも重要な課題だが内容が問題だ。
極めて私的な処にまで権力が介入してきたとき、国家の流れや勢いに異議、疑義を唱える人間はどの位いるだろうか?少し寒気がしてくる。
我が国は?「産めよ増やせよ」なんてフレーズを僕らも知ってる位。確かに昔は子だくさん。婚姻外もありだったがどうかだか?
今日の我が国も露骨なフレーズこそ使わないが、施策は明白な産めよ増やせよだ。

ノルウェー政府は第二次大戦後、ドイツに協力していた女性の国籍を剥奪するなどの迫害を続けていた。国家としての恥辱でもある。

2000年に時の首相が事実を認め謝罪したという。

カトリーネは全てを明らかにして、夫、子ども、母親から去ることにするのだが。
母親に対しては並々ならぬ感情からちゃんと説明をしなければならない。
母親の「貴女は誰」は胸を突く。 
彼女は自分にも母親の為にも真摯に生きてきたのだがら。

映画は最後まで息をつかせない。
小生は、余りに切ないラストにことばを失ってしまった。心が凍りついた。

2時間超えの映画が多いなか、この作品は1時間40分に押さえており、無駄がなく素晴らしい。
86回アカデミー賞にドイツの代表作品として出展された。

(2019.6,25記)

英雄の証明

2024-04-08 17:30:00 | 映画
タイトルからしてどうなのか?と半疑でいたがとんでもない。グイグイと引き込まれていく。 
借金を返せず服役中のラヒムは、仮釈放で家族のもと(息子を姉家族に預けている)に帰るが、その前に婚約者に会い彼女が偶然拾った17枚の金貨を確認する。これで自由の身になれるのだ。神の恵みという思いで換金屋に行くが金価格は変動して思惑の半分だった。彼はくすねることの罪悪感もあり落とし主を探すことにする。ポスターを貼る。落し主が直ぐにみつかる。

落し主の女性は絨毯を編む内職でせっせと貯めたのだという。ギャンブル漬けの夫にバレると奪われてしまうから金貨のことは内密にしている事情がある。

ラヒムは連絡先を刑務所にしていたことから、小さな善行が刑務所内にも広がる。
刑務所側は刑務所のイメージアップの思惑で彼の善行は美味しい素材と判断。「正直者の囚人」としてマスコミ取材を受けさせる。
マスコミの効果は絶大、何処の国も同様で瞬く間に彼は時の人、有名人になる。チャリティー協会からはイベントに招待される。吃音を患う息子のスピーチに共感を誘いラヒムのもとに寄付金が寄せられる。借金返済の一部に充て、彼は保釈のみならず仕事も紹介してもらえるという流れになる。借金の相手は元妻の兄バーラム。彼は徹底してラヒムには厳しい。

脚光浴びることを快く思わない者が必ずいるもので、ラヒムの行為は詐欺だ、作り話だという情報がネットに流れ出す。何処で拾い本当に返したのかを証明しなければならない状態に陥る。


金貨を返したラヒムの姉は落し主の名前も住所、電話番号を聞かなかった。分かってることはタクシーで来たことと、お礼にラヒムの息子に金貨一枚を握らせたことだ。

詐欺行為とかの噂を流したのはバーラムに違いないと思いこみバーラムに会いに交渉に行くのだが逆に罵倒され、ラヒムは怒りでバーラムを殴ってしまう。その行為の一部始終を撮影されてしまう。居合わせた別れた元妻だ、彼女はネットに流す。もう本人の思惑を超え、詐欺師のみならず暴力行為をする悪人となってしまう。

元々金貨を拾ったのは恋人である。
拾う前から借金返済の計画メールが判明され窮地に追い込まれる。小さな嘘が反転、ラヒムの信用は失墜。仕事を紹介してくれる話も危い。協会側も事態の悪化にラヒムへの寄附金は取消し、夫が死刑になりかけている女性に回して欲しい。という方向に展開していく。

この件がまたSNSに流され、刑務所の上層部は本件の動画を撮らせてくれとくる。ラヒムは断るが家まで押しかけられてしまう。
刑務所側の思惑はしたたかで、彼の息子を登場させようとする。息子は吃音でちゃんと喋れないのだが、当局はその方がリアリティあるとリハーサルを繰り返す。息子までも利用され晒し者にされ、吃音で何回もリハーサルをやる姿に、ラヒムはとうとう切れてしまい再び暴力的になる。
一番大切なのは自尊心、プライド、人間の尊厳を守ることなのだ。
ラヒムは再び収監される。

落し主が現れきちんと証言してくれればそれで終わってしまう小さな出来事なのだが。そうはさせない。なんのことない日常の瑣末な行為を素材に見事な映画に仕上げるのだ。小さなひび割れの様な出来事が一人の男の運命を左右していく構成展開の成功だ。
アスガーファルハディ監督は飛び抜けて知能指数が高い天才ではないだろうか大きな事件、例えば殺人や事故などとは全く無縁。暴力といっても誰でも殴りたくなるような喧嘩まがいの行為。日常ありうる行為を描いただけ。
怖いのは、何気ないネット書き込みが炎上しあたかも世論のようになってしまい踊らされること、現代のネット社会の怖さを描く。そして決して他人事ではないだろうこと。

創作の素材は日常生活にいくらでも転がっていることを教えてもらった。
特別なことをしなくても僕らをハラハラドキドキさせてしまう才覚には敬服する。スタンディングオーベイションという感じだ。
賞を獲るのは当然至極だ。

ファルハディ監督作品には
「別離」「セールスマン」があり、同様素晴らしい。