映画など街など

きままに映画や趣味を

フランソワーズ アルディを悼む

2024-07-01 20:45:00 | 日記
大好きなアーティストだった。  

学生の頃からずっと聴いてきた。
一生涯の出会いだ。
逝去された情報が入り凍てついた。
先月中頃だ。

優しく透き通るオシャレな声、ポップでいて誰も真似できない彼女の表現、センス。
容姿も想像どおりの知性的で美しい。
大好きなシンガーだ。

iPodやCDで半世紀経つ今も聴くことはできる。でももういないととても寂しい。彼女はマリアカラスでもジャニスジョップリンでもない。同時代のアーティストなんだから。
本当に過去になってしまったようで。

長く病と闘っていたことを後から知った。
安らかに眠ってほしい。
もう森になんか行かない。








シルビーバルタンは大丈夫かなと、思ってしまった。たぶん同年代だと思う。










罪と悪

2024-06-08 23:00:00 | 映画
気負い過ぎるといかんのかな。
やっと劇場で観られた。待った分期待感が増幅してしまったのか?
なんやこれ、作品まで気負い過ぎ?

何だか詰め込みすぎじゃないかな。
少年期の時はいい感じでサスペンスタッチですすみこちらも次第に盛り上がってたのだが、さっぱり分からない。何を言いたいの?

田舎町の中学生の日常から始まる。
ある日、橋の下の川で中学生マサキが遺体で発見される。幼馴染で同級生の春、晃、朔が粗末な一軒家に住む初老男が犯人と思い込み男のもとに押しかける。もみあいになるうち男は少年の一人に殺され家作は火をつけられる。
22年後刑事になった晃が父の死去で故郷に舞い戻る。ほどなくして少年の殺人事件が起きる。22年前のマサキ殺害を模倣したような死体遺棄事件。晃は事件捜査で春、朔に再会する。互いに封じ込めていた、マサキの殺害、初老男との出来事をふりかえらずにいられない。
やがて事件の真相が明らかにされていくのだが。

田舎町の少年殺人事件で22年前に引き戻されるシンプルなストーリーなのだが、なんだかごちゃごちゃしてる。
少年期の事件がどう処理されたかが不明だからか?春の単独犯にしたんだろうな。晃が刑事になって故郷に戻ったということだが、殺害と放火をやらかしたのが春だとしても、一緒にいた事件の当事者が刑事になれるのか?そもそもが引っ掛かる。父親が警察官で晃は無罪放免になったとしてもだ。本人のメンタルは?罪を背負ったままの刑事だ。春はワル(悪)の企業家で、朔は農業だからまだしも、そもそもが疑問。


少年がなぜ初老男の家に行ったのか?性被害にあっていたという重大なことなのだが、映画のポイントになる3人の人生を左右するこの大切なことをきちんと描いていない。性被害の背景、事情をサボっている。ジャニーズ事件があろうがなかろうが関係ない。
故に土台が緩いから柱がたたない、と思うのだ。

サスペンス謎解き?仕掛けのつもりのマサキの財布や、朔の家にあった石?これで説明のつもりなのかな?何を意図したのかな?イージーだし中途半端。

サスペンスノワール作品と謳う。ノワールと言えば作家馳星周さんをすぐに思い浮かべる。馳さんと比べては不公平で馳さんに悪いが…、なんだか収まらない。

パートパートは役者がいいから何となく見せてくれるが、シナリオや構成が不出来。だからドラマが進むほど引き込まれるのではなく逆に退屈してしまう。欠伸がでて時計を見てしまった。劇場でそんなことはめったにやらない。
子ども時代の罪を背負ったまま、誰がどう罪と向き合っているのか?タイトル負けかな。
福井の田舎のマフィアみたいな感じになってる春、都市農業を選んだ朔。
高良健吾は好きだし、石田卓也は「蝉しぐれ」文四郎の子役の好演の記憶がある。大東駿介はカッコいい。村上淳を見れたのは嬉しいし、椎名桔平はすこぶるイイ。役者は贅沢なんだが。




流血シーンが多くリアルなほど嫌悪を感じてしまう。何を表現したいのかが不可解だから。
「ゴッドファーザー」の真似ではないよね?

正直に言うとハッタリかました作品。
役者に救われているだけ。趣味や好き嫌いの問題もあるが、チンピラの衣装とか群れる様も鈍臭い。田舎?福井だったかな。自然の風景はいいが、都会の風景や街がチープな感じがしてならない。
ケチをつけ出すとさまざま出てくる。
映画の中で存在感ある女性が登場しないのはすこぶる不自然だ。半グレだかチンピラやくざを大勢出しても女性はどうでもいい扱いだ。

ミステリーとして、ラスト近くになってネタ明かしみたいな流れはTVドラマと同じイージーなやりかた。22年前の事件が小物一つで証拠?というのは乱暴ではなかろうか。

結局、朔が仕組んでいたことになるの?

交通事故と見せかけて、朔は春のマフィアに殺されてしまう。(「ゴッドファーザー」かいな)

やはり構成やシナリオがちゃんとしていないからだ。残念だが気負い過ぎたB級作品だ。

オッペンハイマー

2024-06-07 23:21:00 | 日記
 すぐに観ようと思っていたが、遅れ遅れになった。3時間に及ぶ長さの覚悟と上映時間の関係からだ。いざ行こうという時は満席だったりして結局ピーク過ぎてからになった。
 課題をやっと果たしたみたいな感じなのだが、不覚にも前半シーンで意識障害(居眠り)に陥ってしまった。

ドキュメンタリーを観ているよう、役者の演技感を意識させない丁寧に創っているなとの第一印象。観終わり胃の中(心の中)にザラザラした砂が入ってる感じがして、スッキリ感から程遠かった。

 赤(共産主義者)狩りで原子力委員会に聴聞されている状況を軸に、オッペンハイマーの生き様や心理状況を描いた作品なんだが、少しお勉強してから観ないと入り込めず、共感を覚えない作品ではなかろうか。

映像、シナリオもしっかりと練っているとは思われる。
オッペンハイマーは悪人ではなく苦悩のヒトなんだよ、科学者を利用する政治家が悪の不条理劇だ、と君たちに訴えているんだよ。とか言われても全然理解出来ないし、納得などしない。そんなことは当たり前のことなんだから。むしろ創ったことを評価して下さいと言うことか?(核はNO!と言ってる監督を)

天才的な超有能な人間だか、原子物理学を兵器として実用可能なものに開発にすれば、どうなるのか?そんなことは自覚していたのだろうが、それでも実行するか?ナチスドイツ、ロシアとの競争のせい?
人類の破滅に向かうシロモノのと理解しているはずなのに。

実験成功に狂乱してる科学者、政治家に鼻白み嫌悪を感じた。オッペンハイマー自身も高揚していただろう。1945年7月16日のトリニティ実験、用意周到だ、無人の砂漠だからね。
そのあと直ぐに広島、長崎。

歴史は変えられないが、だいたい東京大空襲だけでオレ的にはアウトなのだ。原爆を落とす必然性などどう説明されても永遠に理解不能だし、アメリカはきちんと謝罪しなければならない。 

そんなんでは「オッペンハイマー」の観かたが違うだろ、と言われそうだが、日本人には無理ではなかろうか。

国家権力に抗うなんて無理なことはほとほと身に染みている。オレは性格的には性善説なのだが、権力とか組織とか関わってくると性悪説にならざるえない。
何人もの輩、とりわけ上席に裏切られ騙され貶められたことか。生涯会いたくない人間がやたら増えてとても悲しい。奴らは善良な顔した狡くて自己保身に長けた小ちゃなヒトたちだった。今でもいいから謝罪なり言い訳をしたら許してあげるが、奴らにはそんな感覚は不在なのだろう。とても私的なことであるが、何年経っても心のなかに棲んでいる。威張る、狡い、小心者、この3つで表現できる奴ら。内省しないのかな?ホンマに何が楽しいのかな?

原子物理学者が政府の要請により実用可能な兵器を開発、製造する。
仮にもナチスならば許されると、そんな理屈にも支持しない。毒ガス、ホロコーストに倍返しだという論理は成立しない。オッペンハイマーの愛人ジーンは自殺するが(殺されたのかもしれないが)彼自身の苦悩の先取りだ。

こういう視点、皮層的というかそんな感じでしか観れないのである。作品と対峙出来ないのかもしれない。

市民を巻き添えし都市の破壊は許してはならない。刺客を送るなりして権力者の暗殺でもすることにしたら(やっていたかもしれないが)どうか。

恫喝しないと日本は降伏しない?東京はじめあちこちの都市を空襲で破壊し市民まで殺戮しただけで充分ではないか? 
投下したいのならトリニティ実験と類似の地域を選択しても十分恫喝になるだろうに。
何寝言言ってるの?と言われることは百も承知だ。)
興奮してしまったようだ。 
 
偽善者より根っからの悪者の方が救いだ。
こんな感じだからもう一度、ちゃんと映画作品として観なきゃと思うのだが、
早川書房の本を読んでからでなければまた居眠りしてしまうに違いない。




池田満寿夫展

2024-04-15 20:00:00 | 日記
10年も前のこと。
5月の連休3日から6日迄山形にいた。

5日に山形美術館で池田満寿夫展を観た。

見事な池田さん独特の版画作品。

だいぶ前に熱海で観てますが、改めてホレボレする作品に感動。

熱海の「創作の家」はまだ、あるのだろうか?

版画、絵画、映画、小説!天才アーティスト池田満寿夫氏と、世界を舞台に幼い頃から活躍した、これまた天才ヴァイオリニストの佐藤陽子氏の家=芸術活動拠点。

佐藤さんの方は、ドレス、楽譜、年譜、写真などが展示されていた。

池田さんも佐藤さんも亡くなってしまったが、感性が合えばこんなに仲良く暮らすことができるんだな。つくづく思ったものだ。

(2013年のメモ、2024.4.リライト)

私は、マリアカラス

2024-04-14 18:30:00 | 映画
マリアカラスの肉声、素顔、最高のソプラノが味わえる機会だ。
絶対観るぞ!楽しみにしていた。

「永遠のマリアカラス」「マリアカラス最後の恋」とは違う、本人登場!ドキュメントだ。
ワクワク感を禁じえない。彼女の余りの偉大さにドラマチックな生き方に、小生の心も激しく揺れる。が、悲劇性が固定観念として宿しているのは切ない。

誰よりも美しく、圧倒的説得力ある突出したソプラノ、舞台に涙が出そうに心が震える。



プライベートフィルム、音声テープ、インタビュー、手紙、自身の自叙伝…カラスの素顔を見せてくれた。逞しいながらも繊細な神経、完全主義のマリア。ドキュメントとしても価値ある作品だ。

53歳で心臓麻痺。再起の準備をしていたマリアはパリで亡くなった。
どうしてだろう、睡眠薬を服用していたに違いない、勝手にそう思ってしまう。完全主義のマリアだから、ピークを過ぎた後の肉体、喉を考えていたに相違ない。壮絶で真摯な生き様。神経にくるのは必至だと思う。


「永遠のマリアカラス」でカラスを演じたファニーアルダンの朗読は、マリア自身が語るように聞こえてくる。

オナシスとジャックリーヌの結婚を新聞で知ったときの失意。死にたくなるほどショックだっただろう。
されどオナシスは戻ってくるのだ。

映像には、ヴィスコンティ、コクトー、ドヌーヴ、バルドーなどなどが登場していたとのことだが、しかと確認できなかった。

「ボヘミアンラプソディ」と同様、複数回行かないと心落ちつかないようだ。
マリアはしょっちゅう聴いてきたものの舞台は観ることは出来ないのだから、何回も行かねばならないと思っている。

(2019.2記)