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オッペンハイマー

2024-06-07 23:21:00 | 日記
 すぐに観ようと思っていたが、遅れ遅れになった。3時間に及ぶ長さの覚悟と上映時間の関係からだ。いざ行こうという時は満席だったりして結局ピーク過ぎてからになった。
 課題をやっと果たしたみたいな感じなのだが、不覚にも前半シーンで意識障害(居眠り)に陥ってしまった。

ドキュメンタリーを観ているよう、役者の演技感を意識させない丁寧に創っているなとの第一印象。観終わり胃の中(心の中)にザラザラした砂が入ってる感じがして、スッキリ感から程遠かった。

 赤(共産主義者)狩りで原子力委員会に聴聞されている状況を軸に、オッペンハイマーの生き様や心理状況を描いた作品なんだが、少しお勉強してから観ないと入り込めず、共感を覚えない作品ではなかろうか。

映像、シナリオもしっかりと練っているとは思われる。
オッペンハイマーは悪人ではなく苦悩のヒトなんだよ、科学者を利用する政治家が悪の不条理劇だ、と君たちに訴えているんだよ。とか言われても全然理解出来ないし、納得などしない。そんなことは当たり前のことなんだから。むしろ創ったことを評価して下さいと言うことか?(核はNO!と言ってる監督を)

天才的な超有能な人間だか、原子物理学を兵器として実用可能なものに開発にすれば、どうなるのか?そんなことは自覚していたのだろうが、それでも実行するか?ナチスドイツ、ロシアとの競争のせい?
人類の破滅に向かうシロモノのと理解しているはずなのに。

実験成功に狂乱してる科学者、政治家に鼻白み嫌悪を感じた。オッペンハイマー自身も高揚していただろう。1945年7月16日のトリニティ実験、用意周到だ、無人の砂漠だからね。
そのあと直ぐに広島、長崎。

歴史は変えられないが、だいたい東京大空襲だけでオレ的にはアウトなのだ。原爆を落とす必然性などどう説明されても永遠に理解不能だし、アメリカはきちんと謝罪しなければならない。 

そんなんでは「オッペンハイマー」の観かたが違うだろ、と言われそうだが、日本人には無理ではなかろうか。

国家権力に抗うなんて無理なことはほとほと身に染みている。オレは性格的には性善説なのだが、権力とか組織とか関わってくると性悪説にならざるえない。
何人もの輩、とりわけ上席に裏切られ騙され貶められたことか。生涯会いたくない人間がやたら増えてとても悲しい。奴らは善良な顔した狡くて自己保身に長けた小ちゃなヒトたちだった。今でもいいから謝罪なり言い訳をしたら許してあげるが、奴らにはそんな感覚は不在なのだろう。とても私的なことであるが、何年経っても心のなかに棲んでいる。威張る、狡い、小心者、この3つで表現できる奴ら。内省しないのかな?ホンマに何が楽しいのかな?

原子物理学者が政府の要請により実用可能な兵器を開発、製造する。
仮にもナチスならば許されると、そんな理屈にも支持しない。毒ガス、ホロコーストに倍返しだという論理は成立しない。オッペンハイマーの愛人ジーンは自殺するが(殺されたのかもしれないが)彼自身の苦悩の先取りだ。

こういう視点、皮層的というかそんな感じでしか観れないのである。作品と対峙出来ないのかもしれない。

市民を巻き添えし都市の破壊は許してはならない。刺客を送るなりして権力者の暗殺でもすることにしたら(やっていたかもしれないが)どうか。

恫喝しないと日本は降伏しない?東京はじめあちこちの都市を空襲で破壊し市民まで殺戮しただけで充分ではないか? 
投下したいのならトリニティ実験と類似の地域を選択しても十分恫喝になるだろうに。
何寝言言ってるの?と言われることは百も承知だ。)
興奮してしまったようだ。 
 
偽善者より根っからの悪者の方が救いだ。
こんな感じだからもう一度、ちゃんと映画作品として観なきゃと思うのだが、
早川書房の本を読んでからでなければまた居眠りしてしまうに違いない。