かすかべみてある記

日光道中第4の宿場町・粕壁宿を忠心にクレヨンしんちゃんのまちかすかべをみてある記ます。

粕壁宿と共に歩んだ東八幡神社(其の三)

2022-06-10 19:30:00 | 神社

更新日:2022/06/10・2021/10/28

「摂社」と「末社」  

境内本殿の左手には小さな社殿(・ほこら)が幾つか並んでいます。本殿に祀られている神様が主祭神とすれば、その境内にある祠(ほこら)にお祀りされているのが従の神様。そのような従の神様を祀る小さな社殿は「摂社」(せっしゃ)もしくは「末社」(まっしゃ)などと呼ばれています。

「摂社」は主祭神と関係性の高い神様を祀っている(やしろ)、「末社」は主祭神と関係性の低い、他所から勧請した神様などを祀っている社と概ね区別されています。

当神社の場合は、主祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと=第15代応神天皇)ですので、境内の祠は全て関係性の低い末社と見做していいと思います。

と言うことで末社を順に観ていきます。

まずは、

松の木稲荷大明神

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朱い鳥居 稲荷社です。
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松の樹

稲荷大明神

祭神 宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)

京都伏見稲荷を勧請する。農工の守護、商売繁盛の神として信仰厚く、神使いは白狐と伝えられる。

古時松ノ樹の氏神として祭られていたが、明治末期の頃、政府の神社統合令にもとづき、当境内に合祀される。

※神社合祀令:明治39年(1906)内務大臣 原 敬によって発出された勅令

なお、この「松の樹稲荷大明神」について、「ふるさと春日部『春日部の神社/東八幡神社』須賀芳郎/著/1996年」には、

由緒は不詳なれど、古来粕壁宿の松樹の里【現在の粕壁東…三枚橋町内会で粕壁小学校の裏手】に鎮座せるものを、明治四十四年十一月、ここ八幡神社境内に奉遷される。
社前に『春日部駅松之樹の里』と刻まれた石碑が建立されている。

と記載されています。

その石碑

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石碑 表面には「春日部驛松樹里」の文字が、

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また、側面には「庚申塔」の文字が刻まれています。

◆川久保雷電神社

松の木稲荷大明神の隣りには、

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雷電神社
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川久保雷電神社
祭神 別雷命(わけいかずちのみこと)

群馬県板倉雷電将軍

を勧請する。古時川久保地区の氏神として祭られていたが、明治末期の神社統合令にもとづき、当境内に合祀される。

※群馬県板倉雷電神社は群馬県邑楽郡板倉町にある、主に関東地方にある「雷電神社」や「雷電社」の事実上の総本社格の神社で、板倉雷電神社とも呼ばれています。

※雷電神社はその名の通り、落雷から身を守ってくれる神さまであると同時に稲作の守護神として信仰されており、雨乞いなど農業守護のご神徳があるとされています。春日部市内にも板倉雷電神社を勧請した雷電神社が数社あります。

前掲書『春日部の神社/東八幡神社』には、

「雷電神社」
往古粕壁宿川久保に鎮座せるも、明治末期にここ八幡神社境内に奉遷される。

と記載されている。なお、川久保とは、粕壁宿の南東に位置する地域で、この雷電神社も、やはり明治の合祀令により当神社に合祀されました。

◆弁天社

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古利根川方向に少し下っていくと
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鳥居がありました。

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弁天社です。

また、社殿の左手には、小池の跡地のような低地あります。

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昔は水のある池だったようですが、干上がったのでしょうか、今は水はありません。

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弁天社

祭神 

市杵島姫神命(いちきしまひめのみこと)

福徳開運、財福をもたらす神。

女性加護の神として信仰が厚い。

神使は白蛇と伝えられる。 

市杵島姫命は、宗像三女神の内の一神。市杵島姫命は、神仏習合によって仏教の弁財天と同神とされ、「弁天様」として知られ広く信仰されています。また、弁天社は、知恵、財福、戦勝、子孫繁栄のの他、音楽、技芸など芸能に関する神徳があるとされています。

由緒などは書いてありません。この弁天社は他の末社から少し離れたところに在ります。ことから、この弁天社は、元元々ここに在ったの神社のようにも考えられます。

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土地奉納の石碑

御大典記念

土地五畝十歩

関根嘉兵衛

昭和三年十一月十五日建之

昭和3年(1928)の大典とは、11月10日に京都御所で行われた昭和天皇の即位の礼のことだと思います。

その慶事を寿ぎ約150坪の土地を奉納した石碑です。もしかしたら、弁天社があった土地ごと奉納したのかもしれません(あくまでも推測ですが)。

当東八幡神社には、この他にも明治末期の合祀令によって合祀された末社が何社かあります。時代は変わっても土地の氏神さまは地域の人々の心の拠り所であることには今も変わりません。

次回に続く…