再び日光道中粕壁宿をみてある記ます。
日光道中の全景は、
春日部市郷土資料館にあるジオラマ、手前が江戸方向、反対側が日光方向、結構精巧に出来ていおり、往時の粕壁宿の姿が良くわかります。なお、許可を得て撮影しています。
東陽寺・源徳寺
東陽寺・源徳寺からかすかべ大通り「旧日光道中」を日光方向に100メートルほど下って行くと粕壁宿の脇本陣跡があります。
と言っても、今はマンションが建っているだけで、往時の面影は全くありません。
前掲のジオラマでは、
上の方に粕壁小学校・春日部市教育センターなどの表示が見えます。なお、許可を得て撮影しています。
そして、現在は、
マンションになっています。
マンションの前に、ポール型の案内表示があるのみです。
マンションの前に、ポール型の案内表示があるのみです。
脇本陣跡
文化会館前交差点の付近には、かつて水路があり、三枚の板石の橋が架けられいたため、この辺りは三枚橋(さんまいばし)とよばれた。脇本陣(わきほんじん)は大名や高僧が宿泊・休憩した本陣の予備施設である。中宿(なかじゅく)〘仲町(なかまち)〙の蓮沼屋庄兵衛(はすぬまやしょうべい)が勤めた後、天保(てんぽう)元年(一八三〇)に現在地で旅籠屋(はたごや)を営んでいた高砂屋竹内家(たかさごやたけうちけ)が勤め、嘉永(かえい)二年(一八四九)から幕末までは本陣になった。明治九年(一八七六)六月、同十四年(一八八一)七月、明治天皇の東北巡幸の際、高砂屋は御昼食所となった。宅地は四一七坪あったと伝えられる。
平成二十七年七月
春日部市教育委員会
敷地が417坪あったと書かれており、ジオラマを見る限りでは、相当立派な建物(本陣)だったと思われます。約200年前の歴史の1ページです。
そして、約200年の時を経て、この辺りは一年前の東京2020オリンピックの当地での聖火リレーの出発地点となりました。
今は、何ら痕跡もありませんが、歴史のバトンは次の世代に繋がれて行くことを願っています。