公開日:2019/04/08・更新日:2022/11/02
…前編からの続き
様々な困難を経てようやく開通した「千住馬車鉄道」でしたが、同時期には、東武鉄道の敷設計画(営業開始は、明治32年(1899))もあり、その影響をもろに受け、千住馬車鉄道会社も徐々に経営が悪化、ついに明治30年(1897)5月、粕壁〜大沢(現在の越谷市)間の営業を取り止め、さらに同年7月には、全線の営業を終了してしまいました。わずか4年ほどの儚い営業運行でした。
その後、大沢〜千住間の営業は、明治31年(1898)11月に設立された「草加馬車鉄道」に引き継がれました。そして、その「草加馬車鉄道」も明治33年(1900)2月に廃線・廃業となりました。この草加馬車鉄道、当時建設中だった東武鉄道(東武伊勢崎線)の工事関係者が多く利用したそうです。皮肉なものですね。
現在、「埼玉県文書館」(さいたま市浦和区)に当時の出願書類等の行政文書はありますが、写真はもちろん、軌条跡など、物としての痕跡は、残念ながら全く残っていません。
古利根公園橋に残るのみ?
今はわずかに、大落古利根川に架かる古利根公園橋のたもとに「千住馬車鉄道」をモチーフにした彫刻に残るのみです。
滝と噴水(テト馬車)雨宮一正作
千住馬車鉄道の評価
この千住馬車鉄道について、「時代を見誤った」とか「経営者が駄目だったんじゃないか」とか、仰る方は少なくないと思います。自分もその中の一人でした。
しかし、よくよく調べて見ると経営陣にもそれなりの人物がいたようです。中にはあの渋沢栄一翁に薫陶を受けた人も。私は、彼らは高い志を持った立派な人達だった、と評価してもいいのではないか、と思っています。
日本の鉄道史に詳しい跡見学園女子大学教授の老川慶喜氏は、著書『明治期地方鉄道史研究』「埼玉県下における馬車鉄道の展開」(1983年)において「馬車鉄道の研究は、近代交通史においていわば盲点ともいえる」、と述べています。
折しも、今年は鉄道の開通から150年目の節目の年。
この千住馬車鉄道については、ほとんど誰も知りません。鉄道の歴史の中の近代化という波に埋もれてしまいました。
それでも、埼玉県の東部地域に馬車鉄道という文明の足があったことは事実です。
なお、「千住馬車鉄道」についての
参考文献:
- 春日部市史 第5巻 民俗編 1993年
- 春日部市郷土資料館 第27回特別展 『馬車鉄道の想い出〜千住馬車鉄道〜』 2003年7月
- 春日部市史別冊『千住馬車鉄道』 春日部市教育委員会市史編さん室 1984年3月
なお、購入等のお問合せは、春日部市の文化財保護課(電話:048-763-2449)まで。くれぐれも電話番号をお間違えないようにお願いします。
老川慶喜氏の著書は、こちら
なお、2019年2月、幕末の導入前夜から現在に至るまでの歩みを振り返った『日本鉄道史』三部作が完結したとのことです。(読売新聞2019.4.1付朝刊)