公開日:2021/10/12・更新日:2022/12/08
◆境内
境内に入ってすぐ左側に、様々な石碑が並んでいます。
そして、右手の茂みの中には、小さな仏像があります。
「南無興教大師」像です。
五輪塔
本堂
古い本堂は、宝永年間に消失しており、この本堂は江戸時代に建てられたものです。
なお、門前の案内板には、ご本尊は、正観世音菩薩坐像 と十一面観世音菩薩立像で、特に十一面観世音菩薩立像は、恵心僧都(えしんそうず)作の秘仏と書かれています。出来れば拝観したいと思いますが、何しろ「秘仏」ですから難しいでしょうね。
供養塔
青面金剛
美松観音
美松観音の裏、松が塀を超えて隣の「八坂香取稲荷合社」の方まで張り出しています。
そして、
◆芭蕉翁の書簡
郷土家の須賀芳郎氏は、「ふるさと春日部『春日部の寺院/幸松地区/仲藏院』」に、この仲藏院には、「寺の宝」として松尾芭蕉翁の書簡があると書いています。
寺の宝
- 観世音菩薩坐像【秘仏】
- 芭蕉翁の書簡【原文】
御文被下殊に何寄之一品誠に御厚志之所察入候且又集会之事も当月中に被成候由可然候万一無拠用事御座候はば連名の所まで此通り御書可被候下候
木(こ)がくれて茶摘(ちゃつみ)もきくや郭公(ほととぎす)
何も間日候万々申越候其角子も昨日帰候右の通り御斗申べく候
四月十二日樵月舎御僧
◎寛円和尚は宗師として知られる人、書画・骨董に趣味を持ち多くの人々と親交があり、芭蕉翁とも俳句で交わり名を樵月舎という
(引用:ふるさと春日部『春日部の寺院/仲藏院』須賀芳郎著/1996年)
なお、松尾芭蕉が亡くなったのは、元禄7年(1694)と言われていますので、四月十二日は何年の四月なのでしょうか、その点の記述はありませんのでわかりません。
また、門前の案内板には、「宝永年間に本堂庫裏残らず焼失」と書かれています、つまりは全焼したと言うことだと思います。建物は焼失したが、ご本尊やこの芭蕉翁の書簡は焼失を免れたのでしょうか? そこはわかりません。
また、須賀芳郎氏は現物をご覧になって上記のような文章をお書きなったと思います。もしその書簡が現存しているとすれば、春日部市郷土資料館などで一般公開があると嬉しいですね。
終わり