公開日:2021/10/08・更新日:2022/11/04
神林山仲藏院
日光街道の新町橋を渡り、少し歩き、八丁目新町地区の八坂香取稲荷合社に隣接して真言宗智山派の寺院「神林山仲藏院」があります。
隣接と言っても元々江戸時代までは同じ敷地に仲藏院と神社(合社)があったとされています。その後、明治時代の「神仏分離令」により別々になりました。
左前方・八坂香取稲荷合社 右前方・仲藏院
仲藏院門前
門前右には仲藏院の由緒沿革が書かれた案内版が設置されていますが、約40年経っており、かなり古くなっています。何れは書き換えられることもあるとは思いますが、とりあえず文字起こししてみました。
由緒・沿革
一、真言宗智山派神林山 仲藏院
一、創立開基
秀宥大和上(四百二十四年前)(永禄元年正月 戦国時代)
一、本尊
正観音菩薩坐像
十一面観音菩薩立像(秘仏)(御大三尺二寸五分立像にて恵心僧都の彫刻 豊作子育ての仏)
一、本堂
宝永年間に本堂庫裏残らず焼失 幾星霜も假室なり文化十二年九月(徳川時代の末期)時の仲藏院住職傅應大和上再建を発願、成田山に一大浄業を祈願し、無魔完成せし建物が現存の本堂伽藍です
一、厄除子育
地藏尊(徳川時代)
一、三体尊
供養塔 青面金剛碑
一、位牌殿
納骨堂 無縁塔
一、修行大師像(弘法大師千百五十年御遠忌記念)
一、牡丹つつじ(関東名木樹齢ニ百五十年)
一、墓地分譲
昭和五十七年二月吉日
仲藏院住職 第十六世
平原寛融代記
開基は永禄元年(1558)正月、と案内板に書いてあります。
因みに永楽元年正月とは、甲斐の武田信玄公が信濃の守護職になった年だそうです。まさに戦国時代、そのくらい古いお寺です。
隣接の「八坂香取稲荷合社」社蔵の棟札や嘉永(かえい)3年(1850)の「鎮守香取大明神来歴」に永禄(えいろく)元年(1558)、時の仲藏院住職秀宥(しゅうゆう)が当社の別当を務めていたことが書かれており、それが根拠のようです。
◆門前には
いよいよ、境内に入る、その前に、案内板の右手5m程の所に、小さな祠があり、格子戸越しに見ると小さな仏像が安置されています。地藏尊です。
案内板によると、この地藏尊は江戸時代のものとのこと。
また、門柱の脇の掲示板下には、可愛らしい三猿がお出迎え。
そして、この仲藏院には、何とあの松尾芭蕉翁の書簡があると言われています。
この続きは後編で
続く…