かすかべみてある記

日光道中第4の宿場町・粕壁宿を忠心にクレヨンしんちゃんのまちかすかべをみてある記ます。

粕壁宿と共に歩んだ東八幡神社(其のニ)

2022-06-06 19:30:00 | 神社
更新日:2022/06/6・公開日:2021/10/24
東八幡神社の境内
境内前の案内板には、「当神社のご祭神として、誉田別尊ほんだわけのみこと、第十五代応神天皇)をお祀りしている」と書かれています。

本殿

境内前の案内板には、「当神社のご祭神として、誉田別尊ほんだわけのみこと、第十五代応神天皇)をお祀りしている」と書かれています。

一方で、郷土史家の須賀芳郎氏は、御祭神について、

御祭神

誉陀別尊(ほんだわけのみこと)【応神天皇】

息長足姫命(いきながたらひめのみこと)【神功皇后】

武内宿禰(たけのうちすくね)【春日部氏の祖】

比売神(ひめのかみ)【宇佐の土地の守り神とされた海神】

豊受姫命(とようけひめのみこと)

倉稲魂命(うがのみたまのみこと)

素盞鳴命(すさのうのみこと)

神大市比売(かみおおいちひめのみこと)

引用:ふるさと春日部『春日部の神社/東八幡神社(大砂)』須賀芳郎/著/1996年)

と多くの御祭神が祀られているとお書きになっています。

◆御祭神について

ここで、誉田別尊と息長足姫命以外の神々について、少々補足を。

  • 比売神は一般に主祭神の妻や娘、または主祭神と深く関係する女性神で、八幡神社の比売神は宗像三女神を指すことが多いとされています。
  • 豊受姫命は、穀物を生育させる霊力を象徴するワクムスビ神の娘で、食物神の代表的な神です。トヨは豊かさを表わす美称で、ウケはケと同じく食(け)の意味であり、その名は伊勢神宮外宮(豊受大神宮)のご祭神として知られています。つまり天照大神の食べ物を司る神です。
  • 倉稲魂命は、宇迦之御魂神とも言い、稲の精霊を神格化、した神であり、神名の食(うけ)と宇迦(うか)は同じ意味で食物のことを指し、基本的な性格は五穀・食物を司る神。一般的には、お稲荷さん(稲荷神)と呼ばれ親しまれています。
  • 素盞鳴命は、日本神話の八岐の大蛇を退治したとされる荒神で、牛頭天王と同一神とされ、八坂神社のご祭神として知られています。
  • そして、神大市比売は山の神オオヤマヅミの娘で素盞鳴命と結婚し、宇迦之御魂神など代表的な穀物神を生みました。

こうしてみると、当東八幡神社には、大きく分けて武人の神食の神が祀られていることがわかります。

また、武内宿禰は、他の神々とは異なり、景行天皇から仁徳天皇までの五代の天皇に仕えた伝説上の忠臣とされ、300年以上生きたと言われています。そして、遂には神格を与えられ、延命長寿や武運長久の神、宰相の神として崇められてきました。

なお、郷土史家の須賀芳郎氏によると、春日部市外の八幡神社の場合、多くの場合、誉田別尊息長足姫命そして豊受姫命の三柱をもって御祭神とされているそうですが、春日部市内の八幡神社の場合は、春日部氏の祖先の紀貫之(土佐日記の作者)の先祖とされる武内宿禰を合祀しているそうです。

◆狛犬

阿形




台座側面に、文久3年(1863)八月十五日建
石工 宮仙蔵の銘あり。

吽形


足下に子犬が。

御神木


樹齢約600年の「東八幡大けやき」、幹の周囲が4.70mとされる巨木。

この樹齢約600年の大けやきですが、当地にある神社の御神木の多くは、樹齢約600年となっています。
「春日部八幡神社の大銀杏」は樹齢700年、「碇神社のイヌグス」は600余年です。600年前に何があったのでしょうか。

なお、樹齢約600年と言うと、この神社の創建以前かもしれません。そうすると、けやきの木があったところに神社をつくったと言うことになりますが、、、。

手水屋 


手水石には、元禄12年(1699)の銘があります。逆光になっていますが、ご容赦願います。


つづく…



粕壁宿と共に歩んだ東八幡神社(其の一)

2022-06-02 19:30:00 | 神社

更新日:2022/06/02・公開日:2021/10/20

◆三社の八幡神社

粕壁宿には春日部八幡神社、東元新宿の八幡神社、そして、この東八幡神社と八幡神社が三社あります。今回は、その内の一社東八幡神社ご紹介します。

日光道中粕壁宿の入口近くには、前回ご紹介した八坂神社がありますが、その北東に鎮座しているのが、この東八幡神社です。

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4号国道に面した東八幡神社の参道

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一ノ鳥居

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正面に見えるのが東八幡神社

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東八幡神社
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案内板

当神社は誉田別尊ほんだわけのみこと、第十五代応神天皇)をお守りする市内有数の古社で現在の氏子区域(旧町名)は元町、本町、三枚橋、一宮町、大砂、東町、川久保及び太田の八町内であります。

東八幡神社は、古き昔から氏子の人々を始めとして近郷近在の多くの人達から下(しも)の八幡様の愛称で親しまれ、篤(あつ)い崇敬を集めてまいりました。

口碑(こうひ)によると京都「男山(おとこやま)に鎮座(ちんざ)すきる「石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)」から分霊を勘請し、氏神としてお祭りしたものと伝えられており、家内安全、商売繁盛、五穀豊穣、厄除開運の神として広大なご神徳を輝かしめております。

  文化財

本殿(ほんでん)の彫刻(ちょうこく)

本殿に残された彫刻はすばらしく県内神社のなかでも貴重なものである。

大神輿(おおみこし)

大神輿は隔年ごとの秋の例大祭に氏子町内を巡幸し、そのさいには必ず元新宿八幡神社に渡御(とぎよ)する習しとなっている。

獅子頭(ししがしら)

約三〇〇年前から伝わる大きな獅子頭一対は神輿と一緒に渡御する習しである。

随神像(ずいしんぞう)

右大臣・左大臣一対の随神像が安置され、本殿をお守りされている。

案内板の通り、当初は、下の八幡神社と言われたそうですが、土地の人たちは「下」を嫌い、敢えて「東」に変え東八幡神社としたとも言われています。

◆粕壁宿と共に

なお、郷土史家の須賀芳郎氏は、 

由緒・沿革

鎮座年月日は不詳なれど、口碑によれば、粕壁宿が元和年中に【一、六一五】日光街道の宿駅としてさだめられ、駅業務が始まった時、上宿・仲宿と共に新宿組が組織され、元新宿【当時は新宿】の住民が二、三男を残してこの地に転居し、宿場業務の旅篭屋・伝馬制度の夫役等に従事するようになり、関根家もこの地に転居して旅篭屋【仙台屋…仙台藩の御用宿を勤めるようになった。】を開業した。関根家の信仰する八幡宮をこの地に祠ることとなり、石清水八幡宮のご分靈を勧請したと伝えられている。
『新編武蔵風土記稿』には、「八幡社」誉田別尊を祭る。と記されている。

武蔵国郡村誌』には、八幡社「村社」大砂にあり、誉田別尊を祭る。祭日九月

( 引用:ふるさと春日部『春日部の神社/東八幡神神社』須賀芳郎/著/1996年)

とお書きなっています。

案内板には当社の由緒などの記載がないので、はっきりした鎮座年などはわかりませんが、約300年前の獅子頭があるとのことですので、須賀氏の説の通り、江戸時代初期に鎮座したことは間違いないと思います。

以来、この土地(宿場)の氏神として人々の篤い信仰をあつめて来たことは間違いありません。

なお、『武蔵国郡村誌』にある「大砂」と言われる字名は、粕壁宿成立の時、下八幡社の大門と現八幡橋通りの東側の砂塚という集落が合併して伝馬組織を作ったのでそれぞれの頭文字をとって「大砂」と称えたものとのことです。

次回に続く…

【東八幡神社