動き出した。
ボトル2本が終わりかけている今週、何かが少しずつ動き出す予感がした。
さっそく会いたいと思う友達には外出するたびにスーパーで会うことになり、
長いこと会わなかった友人から誘いのメール。
今日は長い間子供を欲しがっていた妹みたいにかわいがっている友達の
妊娠の報告を聞いた。
そして。。。。
姑が癌で手術をするという知らせも受け取った。
先月義祖母の介護に実家に帰っていた母のことがすごく気になって仕方がなかった。そしてどうしても夫に電話して元気かどうかだけ聞いてごらん。
なんだか電話をかける必要があるきがする。と何度も行ったのだけれど、もともとシャイで口下手な彼は恥ずかしがってついに電話せず、帰京となってしまった。
私ががたがたと彼をせっついているとき、やはり義母は血尿を出していたのだった。腫瘍を疑って検査のため帰ってきたのだ。
はじめてあったときから健康には自信を持ち、私に絶対負けたくないという競争心と若さを持っている人だったので、どんなにかショックを受けて落ち込んでいるだろう。
でもそれはおくびにもださず、大丈夫だからと言うだけで結果はやはり息子に聞いて欲しいらしかった。ようやっと電話した彼が聞いた話はやはり深刻だった。
腎に腫瘍があり、尿管が狭窄していること。片方は腎を取らなくてはならないこと。転移はないこと・・・・
姑には結婚前から去年まで意地悪と嫌味の言われ放題だった。
比較的若く結婚したので、姑は最初に出会ったとき48歳だった。魔法使いの魔女のおばあさんのような怖い顔をしていて、体育指導員をし、太極拳、ママさんバレーと毎日忙しく活動していたので、激しい負けず嫌いだった。
「私はね、男みたいな性格で、女は嫌いなの。だから私と仲良くしようなんて思わないで。」
と、出会ってすぐから釘を刺されたり、
「あなたとの結婚は反対だった。嫌な女だもんあなたは。」
などと言われたり、料理を作れば作らなくていい、皿を運べば運ばなくていいと私の行動の全てを否定し、何も受け入れてくれることも教えてくれることもなく、親しくなることを拒まれていた。
実家に行くたびにさまざまに傷つけられ、帰ってきて何日も泣いたりした。
激しい拒否反応で寝込むことも。
義母はその後すぐ更年期障害になり、遊びに行くたびに私を夫や義父の見えないところに呼んでは意地悪を言うのだった。私はただ聞いているしかなかった。
それでも義母を憎めなかったのは、彼女のことがよくわかるからだった。
父親と早くに離別し、沢山の妹を面倒見ながら母親を手助けしたというのに、その母は男勝りで口が悪く、優しくしてもらったことがなかったようだった。
二十歳で結婚したのも、早くに家計の負担を減らそうとしたから。
嫁ぎ先では小姑が4人も家の周りに住み、全員が年上で寄ってたかって意地悪やわがままを言われて耐えに耐えたという。
産まれた2人の息子は女心、母心にはまったく疎く、夫にいたっては絵を描いたようなマイペースで、人の心には関心がない人だった。おそらく優しい言葉や思いやり、直接的な愛情に欠けて暮らしてきたのだ。
その中で殺伐とした女心を押し込めて生きてきたのだろうと思った。だからあんな鬼のような顔をしていて、優しさのかけらもないのだと。
3人目の子供が産まれたとき、見舞いに来た義母が開口一番
「負けたわ~あなたの勝ちね、私より多く産んだもの。」
と言った。このようなエピソードには枚挙に暇がない。いまではちょっと笑ってしまうのだけれど。^^
私が母を好きになれなかったように、姑のこともまた同じように人を受け入れない人として好きにはなれなかった自分に向けられたアクションだったのだ。
言い返さない私への。
そんな負けず嫌いで弱いところは絶対に見せない母が、
「術後の説明のとき、私が聞きに行こうか?医学関係の私が聞いた方がいいんじゃない?」
と言ったら、
「そうしてもらえる?お願い。なんだかお父さんだけじゃね・・・」
と言ったり、
「曾おばあちゃんは元気だった?」
「ああ、元気元気、入院でストレスがたまるから相変わらず口が悪くてポンポン言われちゃった。」
「あはは。。お母さんも私にどーんとぶつかってきていいよ~がっちり受け止めてボーンと返すから!」
というと、
「じゃ、そうしてもらおっかぁ」
と言って笑った。
私たちに生まれて初めて普通の親子らしい会話が成立したのだった。病気を機会に私たちはもう少し歩み寄れるのかもしれない。
そして今まで墓場まで持っていこうかと思っていた数々の暴言を、私は全て水に流すことにした。
胸がすっとした。
出来ることは何でもお手伝いしよう。
Yahoo! Days参加者に公開2007年3月2日 01:15
※この日記を他の人が見るときのURL
http://blog.days.yahoo.co.jp/blog-g51DbkM2erJ8Eq_Dr6MtK68s?p=20
ボトル2本が終わりかけている今週、何かが少しずつ動き出す予感がした。
さっそく会いたいと思う友達には外出するたびにスーパーで会うことになり、
長いこと会わなかった友人から誘いのメール。
今日は長い間子供を欲しがっていた妹みたいにかわいがっている友達の
妊娠の報告を聞いた。
そして。。。。
姑が癌で手術をするという知らせも受け取った。
先月義祖母の介護に実家に帰っていた母のことがすごく気になって仕方がなかった。そしてどうしても夫に電話して元気かどうかだけ聞いてごらん。
なんだか電話をかける必要があるきがする。と何度も行ったのだけれど、もともとシャイで口下手な彼は恥ずかしがってついに電話せず、帰京となってしまった。
私ががたがたと彼をせっついているとき、やはり義母は血尿を出していたのだった。腫瘍を疑って検査のため帰ってきたのだ。
はじめてあったときから健康には自信を持ち、私に絶対負けたくないという競争心と若さを持っている人だったので、どんなにかショックを受けて落ち込んでいるだろう。
でもそれはおくびにもださず、大丈夫だからと言うだけで結果はやはり息子に聞いて欲しいらしかった。ようやっと電話した彼が聞いた話はやはり深刻だった。
腎に腫瘍があり、尿管が狭窄していること。片方は腎を取らなくてはならないこと。転移はないこと・・・・
姑には結婚前から去年まで意地悪と嫌味の言われ放題だった。
比較的若く結婚したので、姑は最初に出会ったとき48歳だった。魔法使いの魔女のおばあさんのような怖い顔をしていて、体育指導員をし、太極拳、ママさんバレーと毎日忙しく活動していたので、激しい負けず嫌いだった。
「私はね、男みたいな性格で、女は嫌いなの。だから私と仲良くしようなんて思わないで。」
と、出会ってすぐから釘を刺されたり、
「あなたとの結婚は反対だった。嫌な女だもんあなたは。」
などと言われたり、料理を作れば作らなくていい、皿を運べば運ばなくていいと私の行動の全てを否定し、何も受け入れてくれることも教えてくれることもなく、親しくなることを拒まれていた。
実家に行くたびにさまざまに傷つけられ、帰ってきて何日も泣いたりした。
激しい拒否反応で寝込むことも。
義母はその後すぐ更年期障害になり、遊びに行くたびに私を夫や義父の見えないところに呼んでは意地悪を言うのだった。私はただ聞いているしかなかった。
それでも義母を憎めなかったのは、彼女のことがよくわかるからだった。
父親と早くに離別し、沢山の妹を面倒見ながら母親を手助けしたというのに、その母は男勝りで口が悪く、優しくしてもらったことがなかったようだった。
二十歳で結婚したのも、早くに家計の負担を減らそうとしたから。
嫁ぎ先では小姑が4人も家の周りに住み、全員が年上で寄ってたかって意地悪やわがままを言われて耐えに耐えたという。
産まれた2人の息子は女心、母心にはまったく疎く、夫にいたっては絵を描いたようなマイペースで、人の心には関心がない人だった。おそらく優しい言葉や思いやり、直接的な愛情に欠けて暮らしてきたのだ。
その中で殺伐とした女心を押し込めて生きてきたのだろうと思った。だからあんな鬼のような顔をしていて、優しさのかけらもないのだと。
3人目の子供が産まれたとき、見舞いに来た義母が開口一番
「負けたわ~あなたの勝ちね、私より多く産んだもの。」
と言った。このようなエピソードには枚挙に暇がない。いまではちょっと笑ってしまうのだけれど。^^
私が母を好きになれなかったように、姑のこともまた同じように人を受け入れない人として好きにはなれなかった自分に向けられたアクションだったのだ。
言い返さない私への。
そんな負けず嫌いで弱いところは絶対に見せない母が、
「術後の説明のとき、私が聞きに行こうか?医学関係の私が聞いた方がいいんじゃない?」
と言ったら、
「そうしてもらえる?お願い。なんだかお父さんだけじゃね・・・」
と言ったり、
「曾おばあちゃんは元気だった?」
「ああ、元気元気、入院でストレスがたまるから相変わらず口が悪くてポンポン言われちゃった。」
「あはは。。お母さんも私にどーんとぶつかってきていいよ~がっちり受け止めてボーンと返すから!」
というと、
「じゃ、そうしてもらおっかぁ」
と言って笑った。
私たちに生まれて初めて普通の親子らしい会話が成立したのだった。病気を機会に私たちはもう少し歩み寄れるのかもしれない。
そして今まで墓場まで持っていこうかと思っていた数々の暴言を、私は全て水に流すことにした。
胸がすっとした。
出来ることは何でもお手伝いしよう。
Yahoo! Days参加者に公開2007年3月2日 01:15
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