↑鑑真和上御廟です。鑑真大和上は聖武天皇の熱い願いに応えて日本に行く事を決意しましたが、当時の航海は大変難しく、五度の失敗を重ね盲目の身となってしまいました。しかし、屈する事なく753年12月には六度目の航海で遂に来日する事が出来ました。その後、日本に戒律を伝え、戒律を学ぶ道場(唐招提寺)を創立しました。以来1250年、律宗総本山としてその法灯を今に伝えています。鑑真大和上は763年(天平宝字7年)に76歳で遷下しました。
御廟にもお参りされている方が居ました。私も同じく手を合わせてお参りさせて頂きました。鑑真大和上の事は学校の歴史で習いました。歴史の教科書に載っている高僧の方の御廟をお参りする事が出来て、何だか感慨無量になりました。これもお導きなのかもしれませんね。

↑経蔵です。唐招提寺が創建される前からあった新田部親王邸の米蔵を改造したものといわれ、日本最古の校倉で、国宝です。画像にはありませんが、経蔵の横には、もう一つ一回り大きい校倉があり、宝蔵になります。

↑戒壇です。僧となるための授戒が行われる場所で、創建時に建物が築かれていたそうです。今はインド様式の宝塔が築かれています。ここだけ異空間な感じがしました。(^。^;)

↑唐招提寺境内には木や草が茂り、四季折々の花が楽しめるそうです。境内を歩き回ると森林浴をしているようで気持ち良かったです。
建物の画像はありませんが、新宝蔵にはたくさんの仏像がありました。別料金100円ですが、仏像が好きな方は良いと思います。

↑唐招提寺の御朱印です。売店の横の御朱印所で頂きました。
■律宗総本山 唐招提寺
奈良市五条町
御廟にもお参りされている方が居ました。私も同じく手を合わせてお参りさせて頂きました。鑑真大和上の事は学校の歴史で習いました。歴史の教科書に載っている高僧の方の御廟をお参りする事が出来て、何だか感慨無量になりました。これもお導きなのかもしれませんね。

↑経蔵です。唐招提寺が創建される前からあった新田部親王邸の米蔵を改造したものといわれ、日本最古の校倉で、国宝です。画像にはありませんが、経蔵の横には、もう一つ一回り大きい校倉があり、宝蔵になります。

↑戒壇です。僧となるための授戒が行われる場所で、創建時に建物が築かれていたそうです。今はインド様式の宝塔が築かれています。ここだけ異空間な感じがしました。(^。^;)

↑唐招提寺境内には木や草が茂り、四季折々の花が楽しめるそうです。境内を歩き回ると森林浴をしているようで気持ち良かったです。
建物の画像はありませんが、新宝蔵にはたくさんの仏像がありました。別料金100円ですが、仏像が好きな方は良いと思います。

↑唐招提寺の御朱印です。売店の横の御朱印所で頂きました。
■律宗総本山 唐招提寺
奈良市五条町