スーの旅日記

ひとり旅の日本100名城スタンプラリー、神社仏閣めぐり、その他。

垂仁天皇陵

2011-03-27 14:10:30 | 日記
近鉄電車で西ノ京に向う時に車窓から見えたので、薬師寺と唐招提寺を訪れた後に興味津々で行ってきました。(^。^;)

近くまで行き、説明板を観ると“垂仁天皇陵”でした! 正確には“垂仁天皇 菅原伏見東陵”と書かれてあります。地図では“宝来山古墳”とも書かれています。



↑この道は意外と長く真っ直ぐで、白い玉砂利が敷かれています。ジャリジャリと踏み締める音を聴くと神聖な領域に居る事を実感させられます。



↑白い鳥居があり、崇め奉られています。監視所もあり厳粛な場所にただ一人、そのまま突っ立てるのも失礼な感じがして、手を合わせてお詣りさせて頂きました。

正直、垂仁天皇の事は私の勉強不足で知りません。(^。^;) 調べたところによると、凄い天皇だった事が分かりました。

第11代垂仁天皇(すいにん)は、日本書紀によると“140歳”、古事記によると“153歳”まで生きたそうです。思わず「ホンマでっか~?」って感じですよね(笑)。

その他に色々と説話があり、簡単に書きますと…

†皇后の兄(狭穂彦王)の叛乱により、天皇暗殺未遂で終わった皇后(狭穂姫)は、兄と共に焼死。

†亡くなった皇后との間に生まれた皇子は顎髭が長くなっても口がきけなかった。

†先の皇后の願いで丹波から姫を4人(5人の説あり)後宮として向かい入れたが、そのうちの2人は容姿が醜い為に追い帰され、それを恥じた姫は自ら命を絶った。

†天照大神の祭祀を皇女の倭姫命に託す。(元伊勢伝承)

†殉死の禁令。変わりに埴輪を埋納する。(埴輪起源説)

等があります。

古事記や日本書紀は文章で読むと難しそうなので、いつか漫画で読んで勉強したいと思います。



↑円い小島がありますが、田道間守(たじまもり)の墓と伝わっています。天皇の命で常世の国へ不老不死の果物を探しに行き、それを持ち帰ってきた時には、垂仁天皇は崩御されていました。田道間守は悲しみのあまり泣き叫びながら死んだそうです。



↑御陵に沿って道があり、そこを歩いて帰りました。途中に小さい鳥居があります。田道間守は菓子果物の神様になったそうです。


帰りは、近鉄尼ヶ辻駅からとなりました。

■垂仁天皇陵
近鉄尼ヶ辻駅下車