
また今頃になって更新ですが…、前回の続きになります。(^_^;)
↑福知山城天守閣の鯱瓦

↑豊磐の井(とよいわのい)
井戸の深さが50m、井戸底は海面下7mに達し、城郭内湛水井としては日本一になるそうです。
機械が無い時代に人力で掘ったのが凄いですよね。
資料によると、築城時(石垣や井戸等)に地元の人達が「ドッコイセ~」と言って運んだのが、“福知山踊り”の合いの手になったそうです。

↑朝暉(あさひ)神社
御神体は江戸時代の福知山初代藩主朽木稙昌(たねまさ)の父“稙綱(たねつな)”〈朽木元綱の三男にあたる〉が祀られています。

↑天守閣最上階から見た福知山市内

↑銅(あかがね)門番所
二ノ丸の登城路にあった銅門の番所。大正時代は天守台に移転、天守閣の再建に伴い本丸に再移転されました。現存になるそうです。
ゆっくり観ている時間がなく、1時間ぐらいで切り上げあげました。お城を散策している時は雨が降り出し、お天気が良くなかったのですが、お城を出てからは雨が止み晴れ間も見えて、変な天気でした。福知山城には歓迎されてないのかしらん?と思う程でした。
(^_^;)
↑福知山城天守閣の鯱瓦

↑豊磐の井(とよいわのい)
井戸の深さが50m、井戸底は海面下7mに達し、城郭内湛水井としては日本一になるそうです。
機械が無い時代に人力で掘ったのが凄いですよね。
資料によると、築城時(石垣や井戸等)に地元の人達が「ドッコイセ~」と言って運んだのが、“福知山踊り”の合いの手になったそうです。

↑朝暉(あさひ)神社
御神体は江戸時代の福知山初代藩主朽木稙昌(たねまさ)の父“稙綱(たねつな)”〈朽木元綱の三男にあたる〉が祀られています。

↑天守閣最上階から見た福知山市内

↑銅(あかがね)門番所
二ノ丸の登城路にあった銅門の番所。大正時代は天守台に移転、天守閣の再建に伴い本丸に再移転されました。現存になるそうです。
ゆっくり観ている時間がなく、1時間ぐらいで切り上げあげました。お城を散策している時は雨が降り出し、お天気が良くなかったのですが、お城を出てからは雨が止み晴れ間も見えて、変な天気でした。福知山城には歓迎されてないのかしらん?と思う程でした。
(^_^;)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます