また久しぶりの更新です。
早く終われって感じかもですが、申し訳ないですが、まだまだ続きます
↑ 不明門(内側)
多聞塀の下をくぐる埋門で、本丸御殿の大奥へ通ずる秘門であり、常に鍵が厳重に施され、別名は「あかずの門」。外側の軒桁に30cm余りの槍の穂先を並べ“忍返し”にした剣塀になっている。昭和20年の戦災で焼失。昭和53年3月に再建。…と説明板に書いてありました。
この剣塀は大天守と小天守を連結する橋台の西面にもあります。
私は、肝心な剣塀の画像を両方とも撮っておりませんでした。チーン
不明門のところの石垣の前に…。枯れかかっているのかなぁ?
↑ 御殿椿 (2011.4.9現在)
本丸御殿南の庭にあった尾張藩秘蔵の銘椿。昭和20年の戦災で焼失したかと思われたが、焼けた幹の下から新芽が伸び復活。昭和30年頃から原木から接ぎ木、成育したもの。…と説明板に書いてありました。
これですな… こういう強い生命力のある植物を目の前にするとパワーがみなぎってきますよね。ある意味ここはパワースポットって感じがしました。
↑ 天守閣基礎石
旧国宝名古屋城天守閣の基礎土台石。昭和34年天守閣再建のときにここへ移し再現したもの。
その奥に何やら気になるものが…
↑ 石棺式石室
説明板によると…島根県松江市山代町にあった団原古墳の石室。古墳時代後期のもので出雲地方独特の横穴式石室…とのこと。寄贈者…名古屋市の長谷川氏
得たいの知れないものが中に居そうな感じが…(笑)。古代人が石器を持って出てきたらびっくりしますわなって有り得ませんがね。ところで、武将の幽霊とかは聞きますが、縄文人や弥生人の幽霊を見たっていうのは聞いたことがありませんよね。実際に居ればかなり貴重ですよね(笑)。
早く終われって感じかもですが、申し訳ないですが、まだまだ続きます
↑ 不明門(内側)
多聞塀の下をくぐる埋門で、本丸御殿の大奥へ通ずる秘門であり、常に鍵が厳重に施され、別名は「あかずの門」。外側の軒桁に30cm余りの槍の穂先を並べ“忍返し”にした剣塀になっている。昭和20年の戦災で焼失。昭和53年3月に再建。…と説明板に書いてありました。
この剣塀は大天守と小天守を連結する橋台の西面にもあります。
私は、肝心な剣塀の画像を両方とも撮っておりませんでした。チーン
不明門のところの石垣の前に…。枯れかかっているのかなぁ?
↑ 御殿椿 (2011.4.9現在)
本丸御殿南の庭にあった尾張藩秘蔵の銘椿。昭和20年の戦災で焼失したかと思われたが、焼けた幹の下から新芽が伸び復活。昭和30年頃から原木から接ぎ木、成育したもの。…と説明板に書いてありました。
これですな… こういう強い生命力のある植物を目の前にするとパワーがみなぎってきますよね。ある意味ここはパワースポットって感じがしました。
↑ 天守閣基礎石
旧国宝名古屋城天守閣の基礎土台石。昭和34年天守閣再建のときにここへ移し再現したもの。
その奥に何やら気になるものが…
↑ 石棺式石室
説明板によると…島根県松江市山代町にあった団原古墳の石室。古墳時代後期のもので出雲地方独特の横穴式石室…とのこと。寄贈者…名古屋市の長谷川氏
得たいの知れないものが中に居そうな感じが…(笑)。古代人が石器を持って出てきたらびっくりしますわなって有り得ませんがね。ところで、武将の幽霊とかは聞きますが、縄文人や弥生人の幽霊を見たっていうのは聞いたことがありませんよね。実際に居ればかなり貴重ですよね(笑)。
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