スーの旅日記

ひとり旅の日本100名城スタンプラリー、神社仏閣めぐり、その他。

二見浦

2012-10-14 18:30:25 | 日記
2011年3月25日(金)

前日(24日)は松阪から18きっぷで伊勢市まで行き、伊勢市駅の近くのホテルに宿泊。翌日の25日に二見浦に行きました。目的は夫婦岩拝見と二見玉腰神社の御朱印を頂きに。

帰りに撮った写真になりますが



のんびりとした雰囲気でした。



↑ 夫婦岩をモチーフにした駅舎。なかなか洒落てますよね。



↑ 道路を渡ると白い鳥居があり、夫婦岩表参道から撮ったものになります。



↑ 二見町のマンホール。町のシンボルの夫婦岩と町の花ひまわりがデザインされています。

本居宣長

2012-10-08 17:26:50 | 日記
松坂城の藤見櫓跡から角櫓跡の石垣の周りをグルっと散策。あまり人が通らないのかカラスがまた居てびっくり。 何匹か居ると怖いです。まぁ、私よりもカラスの方がびっくりして飛び立ちましたけどね…。

歩き進めると“本居宣長記念館”がありました。



↓ ここにもありました。観光旅行の記念に



写真を撮っていると中の人が出てこられて「撮りましょか?」と親切に言って頂き、ありがたいと思いながら…断りましたわ。 撮るような顔じゃないので

そして、今度は「記念館の中に入りますか?」と聞いて頂き、こちらも断りました。記念館とか博物館は好きなのですが、時間がなくて…。

すぐ傍には



↑ 本居宣長旧宅(鈴屋) 元禄4年(1691)築造。元は魚町にあったものを移築。2階は物置を改造した書斎“鈴屋”がある。

撮る角度が悪く、分かりにくいですね

中に入りたかったのですが、これも時間がなくて断念しました。

↓ 松坂城に行く前に訪れた本居宣長旧宅跡





礎石と土蔵、長男の春庭旧宅が残っている。本居宣長が12歳~72歳まで過ごした場所。宣長はここで医者を開業する傍ら日本の古典を研究。“古事記伝”、“源氏物語玉の小櫛”など78種206冊に及ぶ著述を成す。また全国500余名の門人を指導。

と説明板に書いてありました。


歴史で習って名前は聞いたことがあるぐらい…。国学者で、大変偉い方…ぐらいしか知らないので、勉強になりました。歴史ある町を訪れると色々と新しい発見があり、面白いです。



宿泊先は伊勢なので、また18きっぷを使って行きました。そうそう、松阪は松阪牛で有名なので、自分のお土産に“松阪牛のしぐれ煮”を買いましたわ。







松坂城跡

2012-10-08 13:19:35 | 日記
松坂城跡には1時間程ぶらぶらと散策

希代丸(きたいまる)のところに梅林があり、梅が綺麗に咲いてました。





あっ、じゃあ伊賀上野城で撮った花は桃じゃなくて梅になりますね。

希代丸…本丸の西側に配置された曲輪で、古田勝重の子である重恒の幼名“希代丸”にちなんで付けられたそうです。




↑ 本丸上段の兵部屋敷跡

ドカーンと広かったです(笑)。古田勝重の屋敷跡らしいです。

ちなみに松坂城は本丸上段・本丸・二の丸・希代丸・隠居丸・三の丸で構成




↑ 撮り方が悪いのですが、こちらが表門跡です。両側には石垣が有り



↑ 裏門跡


裏門跡の傍には常夜灯があります。



↑ 旧伊勢街道常夜灯

初めは津の藤枝町にあったが昭和初期に現在地へ移転。津の新玉講(参宮講)が文政6年(1823)に寄進



↑ 旧櫛田川渡し場常夜灯

初めは伊勢街道筋の早馬瀬河原にあったが、昭和29年(1954)に現在地へ移転。江戸干鰯問屋仲間が安永9年(1780)に寄進


そして、常夜灯がある向かい側の三の丸には御城番屋敷があります。



↑ 城を警護する武士軍団20名が住んだ武家長屋。文久3年(1863)築造。今も人が住み、生きた文化財として保存・活用している。

この通りを少しだけ歩いてみました。江戸時代にタイムスリップしたような感じで、武士が歩いているところを妄想(笑)。まぁ、当時だとすると私は“怪しいヤツ”と見られ“斬捨て御免”とバッサリと殺られてますわな~(笑)。



↑ 土蔵 江戸時代末期に松坂城隠居丸に建てられた米蔵。明治初期に苗秀社に払い下げ、現在地に移築。これが事実なら、松坂城の建物としては唯一の現存する建物になる。

…と説明板に書いてありました。歴史ロマンを感じますね

松坂城の石垣群

2012-10-05 15:33:06 | 日記
松坂城の石垣もなかなか立派なものでした。

資料によると、蒲生氏郷は近江から石工集団の穴太衆を呼び寄せ自然石を利用した野面積み、江戸時代には石垣修復で“打込接”“算木積”などの工法を用いられました。


↓ 本丸上段の天守台跡




↓ 排水溝跡 




平成元年~平成3年に本丸上段の発掘調査が行われ、天守閣跡の集石遺構、櫓跡の礎石、排水施設などの遺構、金箔瓦を含む大量の瓦類、金銅製の六葉金具などが確認されました。

そして、16年の歳月(昭和63年~平成15年)をかけて石垣の修復事業が行われました。


石垣マニアは松坂城もなかなか良いんじゃないでしょうか?

注意深く観察すると古墳の石棺材などがあるそうです。私は分かりませんでした。






100名城 48番 松坂城

2012-10-05 13:55:08 | 日記
松坂城は、天正16年(1588)、築城の名手である蒲生氏郷が四五百森(よいほのもり)に築城。地名も蒲生家に吉祥をもたらす“松”の字と豊臣秀吉の本拠地大坂の“坂”の字を併せ“松坂”と改める。城下町建設にも力を注ぎ、楽市楽座、近江商人や伊勢商人の招致等、のちに江戸で活躍する松阪商人の礎を作った。

天正18年(1590)、小田原合戦の軍功により会津に移る(松坂築城は未完成)。その後、古田重勝が入封し、再建・完成したといわれる。

(資料より抜粋)





↑ 歴史民俗資料館 明治45年に建設された旧飯南郡図書館

100名城のスタンプはここでゲットしました。