MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯170 おとなの教養

2014年05月28日 | 本と雑誌

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 少し古い話題で恐縮です。

 先日、2011年の11月に追手門大学の建学45周年行事において神戸女子学院大学教授(当時)の内田樹(うちだ・たつる)氏が行った、「大学における教育-教養とキャリア」と題する講演の講演録を目にする機会がありました。

 内田氏はこの講演において、明治維新後の日本において「教養」とか「一般教養」などと訳されてきた大学での「リベラルアーツ教育」に関して興味深い視点を投げかけています。

 講演の中で内田氏は、「教養」は「知識」とは異なる概念だとしています。氏が示しているのは、知識の一歩手前の「知性」を活性化させるための技術、これが「教養」の本質であるという認識です。

 一般に(英語では)、この「技術」のことをリベラルアーツと呼んでいると内田氏は言います。そして、「知は人をして自由を得さしむ」という聖書の言葉を引き、「人を自由にする知の技術」、まさにそれがここで言うところの「教養」であるというのが氏の講演の本旨となります。

 さらに講演の中で内田氏は、高等教育機関である大学の目指すべきことは実は一つしかないと指摘しています。そしてそれは、「どうしたら学生たちの知性が活性化するか」について創意工夫を凝らすことであり、学生が知的に前のめりになって自らの力で「もっと知りたい」と思うように導くことだということです。

 その目的に焦点化して行う教育こそが「リベラルアーツ」である。別に「総合的な科目」としての「教養」があり、これを総合的に勉強することがリベラルアーツではない。リベラルアーツは「知識」ではなく「目的」であるというのが内田氏の強く主張するところです。

 さて、元NHKのアナウンサーでジャーナリストの池上彰氏は、最近出版された著書「おとなの教養」(NHK出版新書)において、日本のリベラルアーツ教育に対し内田氏のこうした認識と共通する視点からひとつの疑問を投げかけています。

 池上氏によれば、そもそもリベラルアーツとはギリシャ・ローマ時代に源流を持つ「学問の基本」と位置付けられた7科目のことを指す言葉だということです。具体的には、①文法、②修辞学、③論理学、④算術、⑤幾何学、⑥天文学、⑦音楽に関する7つの教養であり、かつてはこれらの科目に習熟することが教養人の要件であったということです。

 リベラル(liberal)は「自由」であり、アーツ(arts)は技術、学問、芸術などと訳されていることからも分かるように、リベラルアーツは「人を自由にするための技術(学問)」であると池上氏はしています。こういう技を身に着けていれば、人は様々な偏見や束縛から逃れ、自由な発想や嗜好を展開していくことができる。池上氏が示しているのは、(内田氏とも共通する)そうした認識です。

 実際、アメリカのハーバード大学の学部教育の基本は、このリベラルアーツであると池上氏は言います。ハーバードでは、通常4年間のリベラルアーツ教育を受けたうえで、医者になりたい者はその後メディカルスクールで専門の技術や知識を学び、法律家を目指すものはロースクールに進み、経営学を学びたかったらビジネススクールへ行くことになる。

 マサチューセッツ工科大学のような科学技術の先端を行く(理系の)大学やボストンのエリート女子大ウェルズリーカレッジなどでも基本的に同じシステムを採用している。実は、世界基準での「エリート」を養成する大学の「学部」は技術を学ぶところではなく、「もの」を考えるためのベースを学ぶ場(段階)として位置付けられていると、池上氏は改めて指摘しています。

 一方、現代日本においては、特に昨今、大学新卒者に対し「即戦力」となることが求められるようになってきています。企業や政府は大学に対し、声をそろえて「社会に出てすぐに役に立つ学問」を教えてほしいと要請しているようです。

 しかし、これだけ市場優先主義が徹底されているアメリカであってさえも、実はすぐに役に立つ知識や技術を教えるのはあくまで「専門学校」であり、いわゆるエリート大学は、「すぐに役立たなくてもいいこと」を教えているということを、著書の中で池上氏は強調しています。

 「すぐに役に立つことは、世の中に出てすぐに役に立たなくなる。すぐに役には立たないことが、実は長い目で見ると役に立つ」と池上氏は言います。そこにあるのは、本当の「教養」というものは長い人生を生きていく上で自分を支える基盤になる存在であり、その基盤さえしっかりしていれば世の中の動きにブレることなく自分の頭で道を切り開いていけるという視点です。そして、現代において求められている「教養」とは、そういうものではないかというのが池上氏の認識です。

 知性は、自分を閉じ込めていた知の檻から逃れ出たいという欲望が起動した時に生まれると、前述の講演において内田氏は言っています。自分自身が何を知っており、何を知らないのか。さらに、何を知らなければならないのかについて俯瞰的に見ることのできる力、それが本来の知性のかたちであり、リベラルアーツ教育が目指しているものだというものです。

 自らを知り、社会を知り、状況を切り開いていく力を「教養」(リベラルアーツ)」がもらたしてくれるという二人の論客のこうした指摘を、約3年という年月を挟んで、この機会に私も大変興味深く読んだところです。

♯164 絶望の国の幸福な若者たち

2014年05月17日 | 本と雑誌
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 第2次大戦からの復興をなんとか成し遂げ東京オリンピックや大阪万博に日本中が沸いた1960年代から70年代にかけて、日本の若者や子供たちは社会の「進歩」を自明のこととして受け入れており、そしてそれはまさに時代の「感覚」であったように記憶しています。

 ベトナム戦争が泥沼化し、徴兵された大勢のアメリカの若者たちが「ヨコタ」や「嘉手納」から戦場に送られていく一方で、そうした戦場のニュースをブラウン管(←いや懐かしい)の白黒画面向こうにまるで「フィクション」のように眺めながら、日本の若者はアポロ11号の月面着陸のニュースをあたかも人類の勝利のように聞いていました。

 テレビアニメでは「鉄腕アトム」や「スーパージェッター」がどこからともなく現れて、科学の力で毎日この世界の悪者を退治してくれています(その節は、どうもありがとう)。ヒーローは必ず「未来の国」からやって来て、私たちを正しい未来に導いてくれる。つまり子供たちの描く「未来」はこうした時代の気分に支えられ、私たちの目指す未来の世界が基本的に「ひとつ」であることを示していました。

 僕たちが大人になる頃には科学が発達し、生活の苦労は減少して生きていくのが今よりずっと楽になる。便利で清潔で差別のない、皆が暮らしに困らない「豊かな」社会になっている。ニッポンの戦争は終わった。これからは技術と経済の力で世界に平和な社会がもたらされるのだ。

 大変な戦争を経験していた大人達は、次の時代を創るため四の五の言わず経済成長に向け(まっしぐらに)邁進していました。教師たちは教室で、「勉強をしろ」「戦争はいけない」「親や先生の言うことを聞け」と子供たちにまっとうな指導をしてくれます。子供の世界は世界で、けんかやいじめやなどの(今から思えばかなり)乱暴な出来事が毎日のように繰り返されてはいたけれど、家に帰ってご飯を食べながら家族と見る夜7時からの様々なテレビ番組は、若者や子供たちに現実とは少し違った様々なドキドキやワクワクを提供してくれていました。

 年間10%近い経済成長を成し遂げ「夢のような時代」として描かれることも多いこの時代、実際、若者は将来への大きな希望(言い方を変えれば「モデル」)を胸に幸せな(満足できる)日常を過ごしていたのでしょうか。

 内閣府の「国民生活に関する世論調査」によれば、こうした時代を暮らしていた1960年代後半の20歳代の若者の「生活満足度」は、概ね「60%程度」であったことがわかります。この数字を「高い」とするか「低い」と見るかは意見が分かれるところでしょうが、いずれにしても73年の第一次オイルショックなどに伴いこの数字は一時50%代まで低下しています。

 しかし、この「若者の生活満足度」は1980年代から一転徐々に上昇を見せ始め、1990年代後半以降は70%近くを示すようになってきているということです。実際2010年の時点の数字で見ても、20歳代の実に70.5%が「現在の生活に満足している」と答えており、それ以前の時代よりも、また他の世代よりも特異的に高い数字を示していることがわかります。

 東京大学大学院の大学院生であった古市憲寿(ふるいち・のりとし)氏は、今から2年前の2011年に著した「絶望の国の幸福な若者たち」(講談社)において、なぜ現代の若者たちの生活満足度がこのように高いのかに関する興味深い考察を行い、多くの研究者の注目を浴びました。

 ここ数年、増えるばかりの非正規雇用や低賃金で働くワーキングプアの問題、そして現代版ホームレスとも言えるネットカフェ難民の実態などを踏まえ、様々なメディアにおいて「不幸な若者」や「かわいそうな若者」という視点がクローズアップされています。しかし、そんな環境の中でも、どうやら現在の若者たちの多くは自分たちのことを「幸せだ」と感じているらしい…。それが古市氏の着眼点です。

 一方で、現在の若者たちは将来を「不安だ」とも思っていると古市氏は指摘しています。前述の世論調査によれば、「将来に不安がある」と答える20歳代はバブルが終わった1990年代後半から上昇し始め、2008年には67.3%にまで達しているということです。つまり、半数以上の若者が、この失われた(と言われている)20年間をそれまでよりも「幸福だ」と感じながら、同時に自分の将来を「不安だ」とも感じているということになります。

 古市氏はこうしたデータをもとに、この「幸せな若者」の正体を「コンサマトリー」という言葉で説明しています。「コンサマトリー」とは「自己充足的」という意味で、「今、ここ」にある身近な幸せを大事にするという感性を指す言葉です。つまり、「より幸せな明日」を想定した未来のために生きるのではなく、ともかく「今はとても幸せ」と感じる若者の増加がこの「幸せな若者」の実態だというものです。

 「中流への夢」が潰え企業の正式メンバーになれない若者が増えていく中で、遠い未来を展望することなく(視点を身近な所において)「コンサマトリー」でいられる若者が増えているのではないか…、それが古市氏の見解です。

 世代に共通した目標や生きがいが消失した時代において、若者たちは自らへの無力感を抱き「私生活への閉じこもり」が起こっている。まるで江戸時代のムラに住む農民のように、「仲間」がいる「小さな世界」で日常を送る若者達。これこそが現代に生きる若者たちが幸せな理由の本質だと古市氏は指摘しています。

 確かに、目標とすべき未来の姿が見えていれば、それに届かない現状に満足ができるはずはありません。成長や進歩が当たり前とされる社会の中で、教師から期待され親から期待され社会から期待される環境において、いつかは車が欲しい、家庭が欲しい、マイホームが欲しいというような10年先にある目標である「一人前の完成された大人」を目指す若者に、現状に「満足」している余裕はなかったかもしれません。

 「幸せは歩いて来ない」、だから自らの足で歩いていかなければ駄目だと尻を叩かれ続けていた当時の若者にとって、「満足」せよりも「不満」の方が身近な存在であったことは容易に想像できます。一方で、与えられた環境の中で自らが社会の主役だと感じることができない現在の若者にとっては、「幸せ」や「満足」は自ら勝ち取っていくものではなく、自分が「感じて」いくものだと考えられているのかもしれません。

 インフラや生活環境といった面では、現在の若者は過去最強の「豊かさ」の中で暮らしていると古市氏は言います。「現在」だけを見れば、確かに今の若者はこれまでにない豊かさを享受していると言えるかもしれません。しかし、この先の未来に広がるであろう厳しい社会を想像した時、そんな彼らも現状に「満足」してばかりはいられないのではないかと不安を感じるのは、年寄りの老婆心というものでしょうか。

 現在の「幸せ」を支えている社会の基盤自体が既に徐々に腐りかけているという現実を、若者の時代を安逸に過こしてきた私たちの世代も、時代の当事者の一人として責任を持って直視していかねければなりません。


♯163 「リーダー」なんていらない

2014年05月15日 | 本と雑誌

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 必ずやってくる人口減少社会と歴史上類を見ない人口構成の超高齢化。それなのに日本の国家債務は既にGDPの2倍、1000兆円を超えていると言われ、不透明な経済情勢の中、社会報償費の増大と原発事故に端を発するエネルギー問題などが相まって、日本人の多くは社会の先行きと将来の生活に依然大きな不安を感じていると言えるのではないでしょうか。

 一方、国際社会に目を向ければ、中国の台頭によって国家間のパワーバランスや国際秩序にも変化の兆しが見られ、歴史認識問題などもからんだ東アジア地域における国家としての日本の立ち位置の変化が、国民の間にも微妙ないら立ちをもたらしているようです。

 仕事がない、消費税が上がる、大地震が明日にも来るかもしれない、原発の廃炉をどうするのか、そしてTPPで日本の農業はどうなるのか。身近な暮らしに危機感をもたらす様々要素がメディアにより次々と並べたてられる中で、不透明な社会情勢をシンプルに分かりやすく説明し、日本の進むべき方法を力強く示してくれる、そんな(政治的な)「リーダー」を日本人は待望していると考えられています。

 お金もない、エネルギーもない、人もいない、確かにピンチだ。こんな「危機の時代」には「強いリーダー」が必要だという認識を、人々が持つのはもっともだ…。しかし、残念ながらもはやこの時代は、一人の「強いリーダー」で解決できるような分かりやすい仕組みでは動いていないと、東京大学大学院博士課程に在籍する古市憲寿(ふるいち・のりとし)氏は、近著「だから日本はズレている」(新潮新書)の中で指摘しています。

 複雑化した現代において、国家という単一の組織のリーダーができることは限られている。社会は(巨大企業やNGOや果てはテロリストなどの)様々な意思決定主体により動いており、(それぞれの意志により独自に活動する)こうしたアクターが多様になっている分だけ、政治的な強いリーダーが存在しにくくなっていると古市氏は言います。

 かつての日本の社会では人々が指向する方向が比較的はっきりしており、例えば「富国強兵をして戦争に勝つ」とか「経済成長をして物質的に豊かになる」などという、社会の構成員に共有された「大きな物語」があった。その時代、「物語」を達成するためには、一部の意思決定者とリーダーの考えた命令を言われたとおりに実行する「官僚制」という兵士がいれば事足りたが、気が付けば現代社会は、既にそういった直線的な関係の中では問題解決が図れない環境となっているというのが古市氏の見解です。

 現代社会に「強いリーダー」は必要ない。勿論「強いリーダー」はいてもよいのだけれども、強いリーダーに任せっきりでは組織は上手く回らない。「現場」において様々な対応が求められる現代は、誰もがリーダーであることが求められる時代だと古市氏は言います。

 古市氏によれば、そもそも求められるリーダーの条件はその場その場の状況によって大きく変わってくるものであり、解決すべき問題の種類によって必要なリーダーは違うはずだということです。だからリーダーは状況に応じて「その都度」自然に生まれてくるものであり、究極的に言えば「ついてくる人」がいること、つまりフォロワーの存在こそがリーダーの本質だというのが古市氏の認識です。

 結局、現代社会のように様々な主体の思惑により複合的な意思決定がなされている社会では、リーダーの個人的なリーダーシップに委ねるばかりでは問題解決を望むことは難しく、フォロワーの態度がリーダーシップの成否を決めていくのだと古市氏は指摘しています。

 そうした中、一方で官僚制のような既存のシステムの否定が、直接的に「強いリーダーシップ」の要請に繋がってしまう現代の世論の有様に、古市氏は大きな懸念を示しています。カリスマはカリスマを求める人によって生み出される。いわゆる「ファシズム」を否定するには、ファシズムを求める安直さをまず否定する必要があるという論理です。

 不安や戸惑いに直面した人々が政治や行政による問題解決を期待するのではなく、言うなればそうした「人まかせ」の姿勢から脱却して、同じ問題を抱える人々が「小さな集団」を作り、それぞれの集団が「小さな問題解決」を図っていくことこそが時代の空気を変えるカギとなるのではないかという発想です。

 古市氏は、こうした「小さな集団」の活動は、確かに国中の全ての人々を救うものではないとしています。しかし上手くいけば数百人、数千人の幸福に繋がるかもしれない。また、小さな集団の活動なので、失敗しても大した被害は生まれないだろうという理屈です。

 いくら小さな集団でも、リーダーは優秀であるにこしたことはないが、小さな集団であればリーダーに「無謬性」などを求める必要もない。結局、いつ現れるともしれない「完璧なリーダ」の登場を待っていても時間が無駄になるばかりだ。一人のリーダーが社会のあらゆる問題を解決してくれるなんて幻想以外のなにものでもないと、古市氏はにべもなく言ってのけます。

 何かどうしても解決したい問題があるのなら、自分でできる範囲で動き出せばいい。「危機の時代だからこそ、解決策はそれくらいしかない。」とする時代を代表する若手の論客の主張を、今回、非常に心強く読んだところです。


♯158 「半沢直樹」に人事管理を学ぶ

2014年05月02日 | 本と雑誌

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 引き続き、サラリーマンの日本型昇進システムに関しての話題です。

 「インテリジェンスHITO総研」の研究員である森安亮介氏は、昨年8月のHITO総研メールマガジンの中で、日本に特有なこのような(「選別のタイミングが遅い」という)昇進システムの課題について興味深い指摘を行っています。

 森安氏は、こうした日本型昇進システムのメリットを、

① 従業員のモチベーションに配慮していること
(長期間にわたり従業員のモチベーションを保つことができること)

② 従業員の能力評価を正確に行うことができること
(長期間にわたりじっくりと能力評価を行うことができること)

の二つに大きく括った上で、課題は特に、後者の「従業員の能力評価を正確に行うことができるかどうか」という部分にあるとしています。

 確かに短期間での評価では運不運などに左右されることもあるでしょうし、そうした意味で「早期選抜」のシステムが誤った評価を下すリスクを孕んでいることは事実です。その点、「遅い昇進」は長い時間をかけ複数上司の評価を経た者が昇進するため、理論上は評価の精度を高めることができると考えられます。

 しかし、(若干し古い話で恐縮ですが)昨年話題となったドラマ「半沢直樹」にも見られるように、こうしたシステムの下で昇進した幹部社員が、必ずしも職責に適任な人材であるとは言いきれないことは現実社会を見れば明らかです。

 こうした状況について森安氏は、このドラマ(半沢直樹)を参考に、日本型昇進システムの「機能不全」の原因が以下の2点にあると指摘しています。

 その一つは、評価に当たって「業績のみを見ている(業績に目がくらんで他のマイナスの要素やプラスの能力を見逃している)」という点です。ドラマの敵役であった(半沢の上司の)「浅野支店長」の行動に見られるように、

① 自らの業績をあげることに駆られて部下に無理な対応を迫る行為(や)

② 責任を全て部下に押し付けようとする姿勢(からは)

この組織における昇進に際しての評価尺度が「業績」だけになっていることが伺えます。つまりこの組織では、「手段は問わず業績さえ上げれば昇進できる」という企業風土が組織運営上大きな問題となっていると言わざるを得ないということです。

 そしてもう一つの原因は、社員の情報が上司一人に囲い込まれているところにあるのではないかと森安氏は言います。本来、優秀な人材はその「部門」の資産ではなく「会社全体」の資産であるにもかかわらず、その情報や評価や人事が直属の上司一人に握られ、組織として共有されていないところに構造的な問題があるというものです。

 実際、「半沢直樹」においても、(銀行マンは「人事が全て…」と言いながら)浅野支店長や副支店長の江島の意に沿う形で人事が動いていくことを当然の前提とて、ストーリーが展開されていきます。

 このように考えると、ドラマの舞台となった世界第3位のメガバンク「東京中央銀行」の人事管理には、評価・処遇段階におけるこうした構造的な問題があったのではないかというのが森安氏の見解です。

 「企業は人だ」とする経営者が多い中で、気がつけば「硬直的な人事」が会社の命運を分け、死活を決する要素ともなりかねません。自社内に半沢直樹のような人材を埋もれさせてしまっているのではないか。そして、もしかしたら支店長の浅野のような人物を昇進させてしまっているのではないか。組織を管理する立場にいる人は今一度「点検」してみる必要があるのではないかという森安氏のアドバイスに、苦笑している経営者も多いかもしれません。



♯146 ヤンキー化する日本

2014年04月05日 | 本と雑誌

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 ヤンキー」とはアメリカ人を指す言葉だとばかり思っていましたが、これからの日本人のおよそ9割が近いうちにヤンキーになるという記事が12月2日の「週刊現代」にありました。

 そもそもヤンキー(Yankee
とは、南北戦争時代のアメリカにおいて北部のアメリカ人(特に男性)をさす俗語として定着し、その後、米国北東部において地域の誇りやプライドを込めた文脈の中で(例えば「ニューヨーク・ヤンキース」のように)用いられてきた言葉です。

 しかし、現在の日本国内においては、「周囲を威嚇するような強そうな格好をして、仲間から一目おかれたい」という志向を持つ少年少女を指す用語(←Wikipedia)として定着しており、それらの少年少女に特有のファッション傾向や消費性向などライフスタイル全般を含めて、ヤンキー文化と呼ばれているとことです。

 さて、週刊現代に掲載された件の記事は、「一億総中流の時代は良かった…」という見出しとともに、これからの日本人が「格差」という言葉ではもはや説明できない、住む場所も食べ物も仕事も価値観も全く違う「ヤンキー」と「エリート」に分断されつつあることを指摘し、日本が欧米のような「階級社会」に突入しようとしていると警鐘を鳴らしています。20歳そこそこで「デキ婚」する。週末は家族そろって大型ショッピングモールで買い物をし、カラオケやボウリングを楽しむ一方、日常的には本も新聞も全く読まず暇な時間はテレビを見るか、スマホでゲームに興じる。そうしたライフスタイルが、首都圏郊外における40歳代以下の人々の間で、徐々に主流になりつつあるということです。同じチェーン店が建ち並び、似たような景色が広がる地方都市でこのように暮らすヤンキーが、実は日本経済の中で大きな市場となっていると記事は指摘しています。

 東京では全く売れないのに、地方では爆発的に売れているものがあるといいます。例えば、浜崎あゆみやEXILE、ケータイ小説などは、東京では誰も興味がないのに地方では皆が買っている。逆に、時折コンビニで売っているような野菜を多く使ったヘルシー弁当などは、郊外では長続きしない。健康に気を遣うのは首都圏の富裕層だけで、圧倒的大多数を占める地方の客は「から揚げ弁当」を買うからだと記事は書いています。

 つまり、いま日本で受け入れられているものは、実は嗜好が多様化している東京の住民が求めるトレンディーな商品などではなく、地方で一枚岩を形作っているヤンキー達に受ける商品だという指摘です

 記事はこうした状況が生まれた理由を、不況のため、経済的な理由から一生地元から出ずに過ごさざるを得ない人々が増えたからだとしています。現代のヤンキーは東京に憧れず、地元への愛着が非常に強い。インテリが集まる東京のことは、無視するか嫌悪しているというものです。

 ヤンキーは、基本的にその一生を「地元」で暮らすことを余儀なくされた人々です。一方、東京に住み、学歴が高く、収入の高い人は、物理的にヤンキーと接する機会がない。しかも、地方から東京に出てくる人が減ってくるということになれば、今後ますます階級格差は固定化されるはずだと記事は言います。

 一方で郊外や地方に住むヤンキーたちには、そもそもエリートが何の仕事をし、ふだん何を食べ、どんな遊びをして暮らしているのかまったく分からない。上流の文化が存在するということさえ知らないだろうとしています。

 これまで日本では、アメリカやヨーロッパのように経済以外、つまり文化の面で露骨な階級格差が表れることはありませんでした。しかし、社会構造が変わりつつある現在、記事の見出しにもあったとおり日本人の「一億総中流意識」は既に過去のものとなっているようです。こうした現状を踏まえ、気が付けば同じ日本に住んでいても、「新ヤンキー」と「エリート」とは、もはや別世界の住人だと記事は結論付けています。

 エリート達は子どもを作らないか、せいぜい生んでも1人か多くても2人というところでしょう。一方で、新ヤンキーたちは20代でどんどん子どもを作っている。このままいけば、「日本人の9割がヤンキー」という時代が来るのも時間の問題だと記事は言います。

 こうした新ヤンキーが「低学力・低賃金・非組織・非正規労働者」の供給源になることが経済の都合にも、政治の都合にも合致しているのだとしたら、この流れを押し止めることは容易ではないだろうとするこの記事の指摘に、日本の未来に横たわる大きな課題を見たような気がします。


♯143 中国が世界に深く入りはじめたとき

2014年03月29日 | 本と雑誌

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 新聞の短い書評を縁にamazonをクリックし、この本(「中国が世界に深く入りはじめたとき」:青土社2014)を手に取りました。

 第二次大戦後、一旦は国際社会との関係を断絶し、共産主義の理想、理念の狭い世界に閉じこもっていた中国と中国の知識人が、市場競争主義色を強めるグローバル社会との接触の中に何を見て何を感じ、何をしようとしているのか…。

 アメリカと並ぶ「二大大国」を自ら標榜し、成長を続ける国内経済を背景に国際社会における影響力を増している国、中国。世界でも唯一とも言うべき共産党による一党独裁の政治体制のもと、広大な市場と豊富な資源をもって世界経済を牽引する一方で、国内的には人権問題や民族問題を抱え、また領土問題などをめぐり日本をはじめとした周辺諸国との軋轢を「力」で解決する姿勢を鮮明にしているこの「大国」を、私達はどのように理解すればよいのでしょうか。

 国際社会における現在の中国は、時に巧みな外交手法によりその存在感を示す一方で、時に欧米諸国を中心に組み上げられた従来のルールを否定するかのような独自の立場を声高に主張することで、国際関係に様々な混乱をもたらしている存在とも言えます。

 いずれにしても、少なくとも日本にとって中国はもはや「異質」なものとして距離を置いておけるような存在ではなくなっていることは事実です。そんな中国、もしくは中国人の「流儀」の本質に少しでも迫るためには、中国という国家が一体どのような国なのか、中国人の「物の考え方」について内側からも捉えていく必要があるのではないかと思い、現代中国に内在する問題を思想史的な視点で発信するこの著作に興味を持ったところです。

 著者の賀正田(が・しょうでん)氏は1967年生まれの中国人で、現在、中国社会科学院文学研究所副研究員、復旦大学思想史センター学術委員会主席の職にあります。中国国内で反響を呼んだ雑誌『学術思想評論』の元編集長であり、80年代以降の中国思想史の分析や中国革命の認識構造についての意欲的な論考を発表し、東アジア全体でもっとも注目されている中国知識人の一人ということです。

 さて、著者の賀正田氏はこの著作において、1990年代以前の中国大陸では中国人民が国際的な経験を持つ可能性はほとんどなかったと改めて指摘しています。そして、90年代に入り、「改革開放」の名のもとに推し進められた「社会主義市場経済」の進展に伴って、中国と国際経済との接点は一気に、そして爆発的に拡大し、国際経験を持つ中国人民も乗数的に増加したということです。

 しかし、世界に接していく中で、中国や中国人民は「思いもかけず」多くの不愉快な現実に接し、ある意味悔しい経験を積むことになった。中国の関係した諸々の事案に対する国際社会からの批判は、中国人を非常に困惑させたと著者は言います。

 例えば中国人に対する一般的な悪評としての、「公共意識を欠く」「大声で騒ぐ」「公衆衛生の意識が低い」「成金的な消費性向」などの(中国人でも理解できる範囲の)指摘ばかりでなく、中国人の言語や身体への攻撃など中国人民が理解に苦しむ数多くの非友好的な言説がなされ、これらが中国人のプライドを大きく傷つけた
というのが著者の認識です。

 中国や中国人民は、このような悪意をもった一方的な批難の根底にあるものを理解できず、現在でも深く困惑していると著者は指摘しています。そして、こうした厳しい国際経験を理解し乗り越えるため、2005年以降、中国が掲げた挑戦的なスローガンが、「ワシントン・コンセンサス」に対抗する中国の権威主義的な市場経済モデルである「北京コンセンサス」だということです。

 そして、さらに08年のアメリカ金融危機と中国のGDPの急成長を経験し自信を深めた中国は、この「北京コンセンサス」をさらに「中国モデル」という概念に進化させたと著者は言います。

 中国から発信する「新しいグローバルスタンダード」を意味するこの「中国モデル」という言葉は、「北京コンセンサス」との比較の上において自己評価としての中国人の自信の増大を示しているばかりではありません。中国の自信は、もはや経済領域だけでなく政治や統治方式まで拡大された優位性を含む「普遍的価値」にまで及んでいるというのが著者の見解です。そして、こうした観念(広範な自信)がその後の中国外交の理論や感覚のフレームワークとなり、そこに「責任を果たす大国」という意識が生まれたというのが著者の認識です。

 氏はここで、このようなスローガンの核心的なメッセージは、「中国の発展は世界の繁栄や発展に有益であり、中国は世界と発展の成果を分かち合う誠意を持っている」というところにあるという、非常に興味深い指摘をしています。

 つまり、中国人のこうした(ある意味一方的な)感覚の根底にあるのは、いわゆる「高位の善」というべき意識であって、中国との関係が緊密になれば他国とも「win win」の関係がもたらされるはずであるという一種の「善意」に基づくものだというものです。しかるに、こうした働きかけに対し、他国の民衆は中国公民に強い不満を示している。なぜこうした事態が生じるのか(中国人には)その理由が分からない。こうした戸惑いやいらだちが、一般的な中国人の感覚だと著者は分析しています。

 このような現代中国人の感覚を背景に、中国への批難や不愉快な国際経験に対する中国人の解釈は、近年大きく次の3つに集約されていると著者は言います。

① 批難されるのは我々のやり方が間違っているからではなく、宣伝が足りなかったことによる誤解である。

② この世界は本質的に力が全てであるので、中国が発展を続け圧倒的な地位を得れば中国への誤解や偏見も自ずと変化する。

③ 理不尽な批難や偏見の背後には特定の国家や集団による根深い敵意があり、国家の安全や海外利益の保護を重要視していかなければならない。

 著者は、これら三つの解釈の全てに共通(底流)する要素として、次の二つを挙げています。

 そのひとつは、「経済的な発展が全てに優先するという現在の中国の価値観への無自覚な盲信」というものの存在です。「(中国を中心とした)発展こそが強固な道理だ」という現代の中国社会で自明とされる「発展主義」は、「発展こそが全てに優先される」という狭隘な観念を内包しているため常に弱者を抑圧する形で実践される危険性をはらんでいることに、中国はほとんど気が向いていないと著者は言います。

 そして著者が掲げるもうひとつの要素が、中国人が、「なぜ、中国や中国人の意識や活動が国際社会の感情を刺激し嫌悪感をもたらすのか?」という、国際社会の心情的な複雑性に対する十分な分析や省察を欠いている…という現実です。

 中国人の理解を超えた戸惑いの背景には、中国人が長きにわたって形成してきた「文化的真理」、つまり帝国主義が100年にわたり中国近現代に与えてきた屈辱へのトラウマがあると著者は言います。中国には帝国主義に対し「きっぱり一線を画したい」という心理や価値観があり、伝統的な自己・他者理解に拘泥するあまり、主観的な意識を他の社会に対し無自覚に押し付けているというものです。

 また、著者は、中国と他の国家との関係が3000年を超える歴史のほとんどの期間において共通の歴史認識や文化様式を共有する国々との関係のみで成り立ってきたことを、もう一つの背景として挙げています。

 つまり、中国において過去に重んじられた伝統的な意識は皆が共通した歴史・文化様式を共有した環境にあることを前提としたものであり、異なった文化や歴史を持つ人々には受け入れられず、「自己中心的」なものとして誤解され悪意を持たれる場合があることを中国人は理解していないというものです。

 異なった文化との接触でしばしば発生するこのようなギャップを克服し、主観的な善意からの行動を建設的な方向へ導くため、中国人は相手の歴史・文化的な文脈に入り相手の脈略の中で理解する努力をしなければならないというのが、著者が導いた一つの結論です。

 中国と国際社会との間には過去の「蓄積」が極めて不足している。このため、中国人は、異なる意識間の調整を行うことで、「新しい知の構造」を打ち立てることを目的とした他方面にわたる挑戦を行っていく必要があると著者は指摘しています。

 短期間のうちに世界のなかでも突出して強大化した中国は、これから一体どこに向かうのか。著者は、国際社会が注目するこの問いに対して、中国大陸が他者(他の国々)を(自分とは違う価値基準を持った)明確な「他者」として把握・理解する方向へ素早く進めるか否かが、今後の中国にとって大変重要な意味を持つとしています。

 2012年の政治報告において胡錦濤総書記は「我が国の国際的地位にふさわしく」「強固な国防と強大な軍隊を建設することは我が国近代化建設の戦略的任務である。」と述べ、以来、中国は国際社会における軍事的な影響力の拡大(と東アジアにおける軍事的な覇権)を目指して軍備の増強に向けた道のりを歩んでいます。

 こうした状況に対し、著者は、中国が国際社会を「明確な他者」として認識し、そうした観念に基づく適切な交流の仕方さえ見い出せれば、中国や中国の人々の世界に対する感覚がかくも過剰に不安と警戒に向かうことはなくなるのではないかとしています。なぜなら、この方向性の裏側にあるのは、中国人が自明としている「善」の作用に対する自信の欠落であり、さらには国際問題を解決する上での軍事力への過信に他ならないというのが、この問題に対する著者の見解です。

 中国及び中国人民の問題は、自らが創り上げた国家(統治体制)の有様、経済の有様に自信を深め、国際社会を自らの影響下に置くことで世界を「良い方向」に導けると信じているところにある…。こうした前提に立つ著者の論説には、現在の中国の行動様式を理解する上で参考となる多くのキーワードが散りばめられているように感じました。

 現在の中国は世界への関わり方に戸惑いを覚えており、それを乗り越え、世界に深く入り込む過程で生じる様々な問題に直面している。中国は今、世界との関わりにおいて「歴史のターニングポイント」にあるというのが著者の認識です。

 中国大陸が「自己愛」と「国際感覚」の両面で陥っている思考のジレンマを克服し、「アジアの一員」として恥じない役割を果たすことを期待しているという著者の思いを、中国指導部は果たしてどの程度理解し、受け入れることができるでしょうか。



♯140 「大きな物語」の終焉

2014年03月23日 | 本と雑誌

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 かつて急進的なマルクス主義者であり、パリの5月革命の精神的な支柱の一人として運動を先導したことで知られるフランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタール。彼はまた、1980年代を象徴する「ポストモダン」という言葉(概念・運動)の、ある意味「引き金を引いた」人物としても世界的によく知られた存在です。

 ポストモダン(Postmodern)とは、文字どおり、「モダン(近代)の次に来るもの」を指す言葉です。モダニズム(近代主義)がその成立の条件を失った(と思われていた)時代背景の中で、モダニズムを批判する文化上の運動として成立し、20世紀の終盤、思想や哲学、文学、デザインなどの様々な分野におけるイノベーションのシンボル(キーワード)として盛んに用いられました。

 Wikipediaによれば、「ポスト・モダニズム」という用語自体は1960年代にも確認することができるようですが、この用語が今日的な意味で使用されるようになったのは、リオタールが『ポストモダンの条件』を著した1979年以降のことであり、この概念はフランス現代思想界からベトナム戦争以降のアメリカ社会に大きな影響を与え、さらに分野を超えた「時代の潮流」を形成するに至ったとされています。

 リオタールは、著書『ポストモダンの条件』において、「ポストモダンとは、『大きな物語(グランド・セオリー)の終焉』を指すものだ」と述べています。マルクス主義のような壮大なイデオロギーの体系(=大きな物語)を纏った時代は終わりを告げ、メディアによる記号・象徴の大量消費が行われる高度に情報化された社会が訪れる。つまり、「モダン=近代」の次に到来する混沌とした情報に満たされた社会は、民主主義と科学技術の発達が迎える一つの「帰結」として存在するというものです。

 一方、近代(=モダン)に特有なものとされる「大きな物語」は、もう少し間口を広げると、自立的な理性的主体としての人間のという理念や、整合的で網羅的な論理の体系性、世界の抽象的な客体化や中心・周縁といった階層化など、これまで合理的とされた「思考の態度」のひとつひとつを指しており、こうした態度を再考する立場が「ポストモダン」の立ち位置であるということもできます。

 芥川賞作家である藤原智美さんの近著に「ネットで『つながる』」ことの耐えられない軽さ」(文芸春秋社)という作品があります。この著作の中で藤原さんは、ネット時代の到来の中で、現代は「言葉の根幹」が揺らいでいる時代だ…としています。そしてそれは「国家の揺らぎであり、経済の揺らぎでもあり、社会の揺らぎにつながっている」というものです。

 ネット環境の普及により体系を失った日本語の「話し言葉化」は、受け手の感情に訴える機能を極大化する一方で、「論理のプロセス」を否定する方向に向かっていると藤原さんは指摘しています。そして、こうした傾向は、人々から「俯瞰的なものの考え方」や「長期的な視点」を奪い、その場その時の瞬発力のみが脚光を浴びるという、非常に短期的に「入力」と「反応」を繰り返す断片化された社会の到来をもたらすという懸念につながっています。

 また、このような「話し言葉」の重用は、教育におけるコミュニケーション能力、プレゼンテーション能力の偏重をもたらし、論理ではなく表現の巧拙が社会における影響力を左右する、ポピュリズム的アジテーション社会をもたらすのではないかと藤原さんは危惧しています。

 実際、政治の世界においても、日本語の「話し言葉化」は顕著に進んでいると藤原さんは言います。政治家の言葉の幼児化、オノマトペ(擬態語、擬音語)用語の多用、そして繰り返される失言など。最近の政治家の口調には、共通して「反省的思考」に乏しい話し言葉の特徴が顕著に表れていると藤原さんはしています。

 数年前の日本には、二大政党制を理想とする政治的な指向がありました。そしてその後の二度にわたる政権交代を経た今、こうした「大きくまとめられた」政治体制を現実的に可能な選択と認識している日本人は、一体どのくらい存在するのでしょうか。

 国民の間にある様々な意見を、たった二つの政党、その「物語」に集約することは、今の政治には不可能だということに国民は気が付いたと藤原さんは指摘しています。現代の政治には、人々の様々な価値観や主張を束ねて拾い上げるような力はない。政治家がいくら耳を澄ましても、多くの声が混じり合ったノイズにしか聞こえない…という認識です。

 政治家の「書き言葉」が、話し言葉として拡散する「声」を吸収し、大きな物語に「紡ぐ」力を失っている。よって、それぞれの声に合わせたグループがその数だけ生まれる。その結果、話し言葉を行動原理とする(書き言葉をなくした)政党が数多く創出される。これが現在の日本の政治的景色に対する、藤原さんの俯瞰的な認識です。

 外交上の問題解決や先の戦争の歴史認識に係るトラブルについても、同様のことが言えるのかもしれません。問題を整理し、理解し、認識の違いを埋めていく。「大きな物語」を必要としている現場の要請に応えられるだけの能力を育てていくための努力が、今後は改めて必要になる…ということでしょうか。

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♯139 OUTLIERS

2014年03月21日 | 本と雑誌

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 現在、ビジネス書の範疇で「世界で最もよく読まれている」とされるベストセラー作家に、マルコム・グラッドウェルがいます。「世界で最も影響力のある経営思想家Thinkers50(2013.May)」のベスト10にもノミネートされた彼は、「成功」というもののセオリーを追い求めるという意味で、まさしくアメリカのプラグマティズムを屈託なく体現する現代世代と言うことができるかもしれません。

 そんなグラッドウェルは「朝日新聞GLOBE」のインタビューに答え、「成功」とは次のようなものだと言っています。

 「意義ある仕事」、それこそが私の成功の定義です。複雑だが自主的に働くことができ、夢中にさせられてしまう。そして、努力に見合った報酬があるということが何より重要です。報酬の総額がいくらになるかや、どれだけ権力を持てるか、どれだけ有名になれるかは重要ではないのです。大事なのは、仕事に夢中になれるか、朝起きた時に仕事をしたいと思えるか、夜帰宅した時に自分のやったことに満足できるか。それが、「成功」なのです。

 その「成功」を得るためにはどうすればうまくいくのか。ビートルズやビル・ゲイツなど、「天才」と呼ばれ、常識では計り知れない「傑出した人々」(「outliers」=平均から大きく外れた例外的な存在)らの経験を通して「成功する法則」を見極めようというのが、マルコム・グラッドウェルの著作に底流する願望であり、彼の目論みと言えるでしょう。

 グラッドウェルは、著書「天才!成功する人々の法則」(勝間和代訳:講談社)の中で、「成功した人は生まれつき成功するための才能があったのだ」という一般的な認識を否定しています。一定水準の能力さえ備えていれば、成功は誰にも訪れる可能性がある。そして、成功するかしないかを決定づけるのは、結局、人生においてどれだけの好機に恵まれたのか。つまり「チャンスの差」でしかないというのがグラッドウェルが得た結論です。

 果たして「チャンスの差」はどこに現れるのか。グラッドウェルはそこに、「成功が予定された彼」に与えられるべき「3つの要素」を示しています。

 そのひとつは「スタートライン」です。どれほどの才能や知能指数があろうとも、そもそもの出自や生育環境、そして文化的、歴史的な背景が無いと、彼の人生は「苦渋に満ちたもの」になるばかりでなく、多くの「挫折に満ちたもの」になる可能性が高いとグラッドウェルは言います。それはいわゆる「社会的地位」というようなものばかりでなく、もっと大きな、彼自身が寄って立つアイデンティティのような存在です。彼が生来のものとして占める「ポジション」のようなものが「成功」にもたらす影響力について、グラッドウェルは決して懐疑的ではありません。

 成功をもたらす二つ目の鍵は、「トレーニングの量」だとグラッドウェルは言います。そして、様々な成功者を分析した結果~得られた成功に必要なトレーニングの量は、概ね「1万時間」であると指摘しています。1万時間のトレーニングは、1日8時間であれば3~4年、1日3時間なら概ね10年間の専念によって得られる成果です。グラッドウェルによれば、ビル・ゲイツもビートルズも、実はこうした1万時間以上のトレーニングを行う機会を(偶然にも)得られたことで、世界的な成功を手にするチャンスを得たということです。

 そして、グラッドウェルの言う、成功するための最後のポイントは「タイミング」です。歴史を彩る世界の富豪をリストアップしていくと面白いことがわかるとグラッドウェルは言います。

 クレオパトラからロックフェラーに至るまで、歴史上の「大富豪」と呼ばれる上位75人のうち、実に14人が19世紀半ばの10年間に生まれたアメリカ人であり、また、同様に、ビル・ゲイツからスティーブ・ジョブスまで、現代世界をリードしている億万長者の実に9人がI1953年から56年までの3年間というごく短い期間に生まれているという、いわば「時間軸」の存在です。

 グラッドウェルはこれらの事実から、成功するための「タイミング」を読み取ります。前者で言えば、アメリカ経済の大きな転換点に「若者」として存在し「好機」を掴み得た人々に「成功」が訪れたということであり、後者で言えば、メインフレームからパーソナルコンピューターへの転換点において、若さゆえの柔軟性により時代をリードし得た世代が、その後のIT革命を常にリードしてきたということです。

 グラッドウェルはこうした分析を踏まえ、なるべく多くの人が「意義ある仕事」を成し遂げ、その結果として「成功」が体現されるために必要な社会的原則は、「幸運」や「気まぐれな優位性」や「タイミング」のいい誕生日や「歴史の偶然」の代わりに、「全ての人間に好機(チャンス)が与えられること」だとしています。

 グラッドウェルは、「天才!」の後書きにおいて、人は「歴史」や「文化」や「遺伝子」や「偶然」から様々な「ギフト(贈り物)」を受けている…としています。

 社会にとって最も大切なのは、個人に与えられたこうした「ギフト」を活かすための「チャンス」が、人々にできるだけ平等に提供されることである。なぜなら、これこそが多くの人々に満足をもたらし、多くの人々を幸せにし、多くの人々を「成功」に導くカギであり、そしてそのことが、結果として社会全体を豊かにするからだということです。


♯137 呪いの時代

2014年03月17日 | 本と雑誌

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 リベラル系ニュースサイトとして知られる「ハフィントン・ポスト」の日本語版に、「呪いは犯罪か?慶大生のLINE自殺教唆事件について」と題するコラムが紹介されていました。「AERA」などでも活躍するライターの小野美由紀さんのブログ「None.」から転載されたものだそうです。

 このコラムで取り上げられているのは、昨年11月に都内で起こった以下の事件です。

 時通信社の配信によれば、交際中の女性に「死ねよ」などと繰り返しメールを送って自殺させたとして、警視庁三田署は「自殺教唆」の疑いで慶応大法学部3年の容疑者Aを逮捕したとしています。

 逮捕容疑は2013年11月8日午後6~8時ごろ、交際中だった同学年の女性に、「お願いだから死んでくれ」「手首を切るより飛び降りれば死ねる」などと自殺を唆すメールを、スマートフォンの無料通信アプリ「LINE(ライン)」を使い繰り返し送信した疑いです。女性は翌9日早朝、東京都港区芝の自宅マンション8階から飛び降り自殺しており、容疑者は警察の調べに対し大筋で容疑を認めているということでした。

 しかし、この報道ののち、容疑者であった慶應大学生は検察側の勾留(延長)請求が東京地裁に却下されたことから、逮捕から丸3日目の22日夜に釈放されています。この経過に対し、本年2月24日付の「週刊ゲンダイ」は、周辺への取材の結果からこう報じています。

 11月7日、同じ慶大生で交際していたB子さん(当時21)から別れ話を切り出されたAは、翌8日、「ライン」で「お願いだから死んでくれ」「飛び降りてくれ」などのメッセージを送信。翌9日早朝、A子さんは自宅マンションの8階から飛び降り自殺した。これではどうみてもAがフラれた腹いせに自殺をそそのかしたかのように見える。」

 実際のところ、2人は大学のサークルで知り合ったようで、一昨年秋ごろから付き合い始めたようだ。もともとB子さんは精神的に不安定で、交際中も自傷行為を繰り返しており、彼女のツイッターには自らの手首を写した写真もたびたびアップされている。Aも最初のうちは「そういう女性の方がかわいい」などと周囲に話していたようだが、だんだん彼女が重荷に感じるようになっていったらしい。」

 さて、この事件に対し小野さんは、「呪い」を「言葉によって相手の生命力を奪い、身体的なパフォーマンスを低下させる行為全般」と定義するなら、彼の行為は「呪い」に間違いない。しかし、人を呪うこと自体、果たして犯罪だろうか?…とコメントを切り出しています。

 もちろん、犯罪であるはずはない。小野さんは続けます。「名誉毀損」および「脅迫」という形で訴訟をする事はできても、それは受け手が「そう感じた」という、リアクションがあって初めて成り立つもので、相手の解釈を待たずして「言葉をかける」というその行為のみを罪に問うことはできない。

 それでも…「呪いの効力というのは、思いのほか大きい。」と小野さんは言います。特に、LINEやインターネットなどのツールによって、身体性を失った言葉だけが増幅され、力を持ち、相手に光の早さで突き刺さるようになってしまった現代においては、「ネットという増幅装置によって、(相手を呪う)言葉の強さはかけ算的に増幅している」のではないかというものです。

 さらに、小野さんの指摘は続きます。

 「ともすれば親指で画面をフリックするすべらかな勢いに乗っかって、あるいは画面がつるりとスクロールするスピードに便乗して、あるいはLINEが届くあのはじける速度に背を押されて、うっかり本人にまで届けてしまう人もいる。他人を呪うことは、呪いに対する感受性が鈍じた現代、呪いを避ける瞬発力を削がれた現代においてことのほか簡単だ。そして我々は気づかぬうちに誰かが誰かにかけた呪いをバトン渡しのように拡散して大波を作ってしまう。」

 しかし、そうした現代だからこそ、「呪い」を自覚することは案外難しいと小野さんは言います。例えばもし、自殺してしまった女子大生に男子生徒が直接会って「あの言葉」を言っっていたとしたらどうだっただろうか?彼女にも彼に対抗するだけの身体的な強度があったのではないか…と、そういう疑問です。

 ネット世論に拡散する「呪い」の語り口について、神戸女学院名誉教授の内田 樹 氏は、著書「呪いの時代」において、この問題の本質は「「私」の自尊感情の充足が最終戦的に目指されているところにある」と看破しています。

 日本の社会において「呪い」がこれほどまでに瀰漫したのは、人々が自尊感情を満たされることを過剰に求め始めたから…。ネットユーザーから発せられる数々の「呪いの言葉」は、高い自己評価と低い外部評価の落差を埋めるために社会のルール自体を「アンフェア」であると見なし、他者を呪うことで自らの万能感を得ていこうとする自己防衛的な反応ではないかというものです。

 こうした「呪いの時代」をどう生き延びたらいいのか。この問いに対し、内田氏は「呪いを解除する方法は祝福しかない」と答えています。

 自分の弱さや愚かさや邪悪さを含め、自分を受け入れ、自分を抱きしめ、自分を愛すること。利己的で攻撃的な振る舞いが増えたのは、人々があまりに自分を愛しているからではない。むしろ「愛する」ということがどういうことかを忘れてしまったところにあると内田氏は言います。

 他者を受け入れ「祝福」し、同時に自らを受け入れ愛すること。こうしたシンプルな行為が難しくなったこの時代。他者の気持ちに寄り添い、共感してその成果を言祝ぐこと。そして、呪う自分を自覚し自らの存在を祝福により確かなものしていくことが、呪いの言葉の力をそぎ、呪いに対抗する身体強度を高める唯一の方法ということになるのでしょうか。




♯136 フード左翼とフード右翼

2014年03月15日 | 本と雑誌

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 週刊「AERA」の3月10日号では、「ファスト食VS.地産地消…なぜ理解し合えないのか?」と題して、「巨人・大鵬・卵焼き、カレーライスは国民食──。一億総中流、日本人がみな同じものを食べていた時代は終わった。」という長い見出しを打ち出して、現在の日本では食に対する考え方の違いにより「人間関係の分断」が始まろうとしていると報じています。

 最近、ベストセラーとして書店の店頭に平積みされている本の中の一冊に、速水健朗(はやみず・けんろう)氏の『フード左翼とフード右翼-食で分断される日本人-』(朝日新書)があります。人々が日常生活の中で口にする「食」への考え方と、個人の「政治意識」や「イデオロギー」。一見、何の関係もなさそうに見えるこの二者に目を向けた斬新な切り口が、メディアでも話題を呼んでいるようです。

 思えばこれまで、「生活習慣」と「政治」とは、日本においては全く切り離された無縁の存在として取り扱われてきました。しかし環境問題や原発稼働への姿勢など生活に直結する政治マターがその存在感を増すにつれ、生活の延長上に政治が普通に存在する、自らの生活への視点がイデオロギーを規定する、そんな時代がやってきたと言えるのかもしれません。

 ベジタリアンと反原発。ジャンクフードと愛国思想。著者の速水氏は、同著の中でそんな「食」と「政治意識」の相関関係を「フード左翼」と「フード右翼」と名づけ、幅広い観点からマッピングしています。

 食べ物をめぐる選択肢や情報があふれる現代社会において、値段や手軽さを重視するのか、農薬や遺伝子組み換え作物の使用の有無を気にするのか。国産の個別生産の食品を選ぶのか、それとも世界的大企業がつくった規格の整った製品を選ぶのか。どのポイントを重視しているかで、その人の寄って立つ政治意識や思想が見えてくると速水氏は指摘しています。

 そんな中、実際の社会において人々の消費行動と政治意識には関連があるのかどうか。「AERA」がWeb上で行ったアンケート調査によれば、コンビニで弁当や総菜を購入する回数の多い人ほど「社会保障は不十分でも税金などの負担は軽くすべき」と答えるなど、比較的行政の関与を否定する(保守的で「右」的?な立場をとる)傾向が強く、遺伝子組み換え食品や食品添加物を気にする人は原発再稼働に反対するなど、比較的行政による規制・管理を認める(リベラルで「左」的?な立場をとる)傾向が強かったということです。

 さて、こうした食に対する現代人の消費性向の分断に関して、速水氏は昨年12月27日の「日経ビジネス」誌のインタビューに対し、以下のように答えています。

 「日本人って右とか左とか、リベラルとか保守とか分けられることにすごく嫌悪感を持つんですね。「言霊信仰の民族」というのもあるのか、レッテル張りを嫌がるんですよ。政治的に自分がどっちの立場にいるかということを表明したがらない。基本的には、あまり政治的判断をしなくても自然選択的に物事が決まってきたせいなんでしょうね。」

 「ところがそうじゃない問題が最近になって生まれてきた。それがエネルギー問題や原発、それからTPP(環太平洋経済連携協定)などですね。どっちかに決めないといけない時代になっている。そんな時代には、自分の立場はどっちか、または利益がどちらにあるのかを表明する必要があるんだと思います。」

 日常の消費行動の一つ一つにおいて、社会が人々に政治的な立ち位置についての判断を迫る…そういう状況が訪れているということでしょうか。

 速水氏によれば、ここで言う「フード左翼」という概念は、ある意味「食に関しての“理想主義者”」を指す言葉だということです。イタリアで生まれた「スローフード」運動は、マクドナルドへの反対運動を通して「反グローバリズム」という左派運動として広がっていき、現在では大量生産・大量消費社会に反発する左派運動の代表的なものとして位置づけられているということです。

 「理想主義」という意味では、まさに「左翼」なのかもしれません。こうした、地域主義、地産地消、自然派食品などにこだわる「フード左翼」に対して、「フード右翼」は現実主義者に相当すると速水氏は言います。第一義には、グローバルな食の流通や、産業化された食のユーザーであり、現状肯定的な視点を持つ保守的な階層ということです

 実際のところ、工場などにおいて大量生産された食品が、必ずしも地域で少量生産された食品よりも安全性が低かったり栄養価が少なかったりするわけではないでしょう。むしろ外的環境から適切に隔離し機械化された施設において生産される高度に規格化された安価な食品は、手作りでムラのある高価な食品よりも消費者にとってはより機能的な存在と言えるかもしれません。

 しかし、現代の先進国の消費者は、そうした「管理された」商品からどんどん距離を置いていく傾向にあるようです。気が付けば、「環境」や「健康」という存在が、欧米諸国を中心に一つのイデオロギーとして展開され、その存在感を日に日に増しています。

 存在が目に見えるもの、肌で触れるものに回帰する現代の消費者の姿は、工業化された近代社会にアンチ・テーゼを投げかけると同時に、生活に対峙するスタイルがそのまま政治に結びつく、そんな時代が既に訪れていることを示しています。

 「政治」よりも「消費」で社会を変え始めた日本人。「政治の世界」よりも消費者の方が、一つ先を歩き始めていると言えるのかもしれません。



♯134 「核心的利益」とは何か?

2014年03月11日 | 本と雑誌

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 急激な経済発展を背景に、軍事力の拡大や海外投資、途上国への経済支援などを通じ国際的な影響力を強める中国は、今や「アメリカに並ぶ超大国」「世界二大超大国」を自ら標榜し、漢民族を中心としたいわゆる「中華帝国」の威信の回復とアジアにおける覇権の奪回に自信を深めているように見受けられます。

 一方、中国国内では、現在でも多くの少数民族を抱えるチベットや新疆ウィグル、内モンゴルなどに意図的に漢人を移住させる膨張政策が継続的に進められています。少数民族を圧迫することにより辺境地域における「領土」の既成事実化を図るこうした手法は、人権に対する挑戦として欧米諸国を中心にしばしは国際的な非難を浴びているところです。

 また、他国との関係においても、東シナ海や南シナ海において領土と海洋権益の拡大を狙って周辺国と衝突を繰り返したり、日本や韓国、台湾などと重複する形で一方的に防空識別圏を設定するなど、軍事力の拡大を背景とした中国の動静は、東アジア最大のリスクファクターとして顕在化してきています。

 少し古い話題になりますが、最近とみに顕著となっているこうした中国の膨張政策に関し、週刊「PRESIDENT」誌(2013916日号)の誌上において、経営コンサルタントの大前研一氏が、「中国とどう付き合うか」という視点から興味深い論評を加えているので、改めてその視点を整理しておきたいと思います。

 今や中国共産党指導部は、共産主義の「教義」と毛沢東時代の「版図」を守ること自体が政権の目的と化していて、何のために「それ」をやるのかという、本当の目的がわからなくなっている状態にあるのではないかと大前氏は見ています。

 国家の「繁栄と発展」を目的とするなら、漢民族が楽に支配できる版図に絞り込んでも中国は問題なくやっていけるだろう。例えば英連邦のような形で、北京を盟主にした中華連邦に移行して、余計な締め付けをやめるほうが統治しやすいのではないかと大前氏は疑問を呈します。

 香港と台湾、チベット、ウィグルなどに対し、「それぞれ勝手にやっていけ」と自由にやらせれば彼らは喜んで発展していくだろうし、国民国家としての体裁を整えてやれば国連の加盟も可能なはず。縛り付けておく負荷が軽減されれば北京政府も楽になるし、締め付けを緩めたほうが、中華連邦全体としては繁栄する。総じてみれば国際的な影響力も高まるはずだ…というのが大前氏の指摘です。

 しかし、今の中国政府にはそれができない。その理由として大前氏は、共産党の一党独裁体制を正当化するための教条的な政治姿勢と、社会の不満から国体を守るための(ある意味ポピュリズムを扇動する)不透明で硬直的な政策運営を挙げています。

 そもそも世界で「最も赤裸々な資本主義国」となった中国は、すでに農村をベースとしたコミューン建設を教義とした毛沢東時代の共産主義とはかけ離れていると大前氏は見ています。それでも共産主義の版図を縮小することは、中国共産党の生みの親である毛沢東を否定することにつながるとその末裔たちは考えているのだろうというのが大前氏の認識です。

 日本との関係に関して言えば、「抗日戦争で勝利し、独立を勝ち取り、人民を解放したこと」、これが中国共産党の一党独裁を正当化している縁(よすが)であり、たとえこれが歴史的事実とかけ離れていたとしても党としてその大義名分を覆すわけにはいかない。従って、日本にはいつまでも「植民地支配で中国人民を苦しめた許しがたい軍事独裁国家」というイメージを纏っていてもらわねばならず、それが日本へのぎこちないほど頑な(かたくな)な態度の理由であると大前氏は見ています。

 つまり、日本に対する現在の中国政府の姿勢は「政策」以前の問題としてとして妥当性(必要性)を帯びており、彼らの言う「国家の核心的利益」とは、要は共産党一党独裁という国体を守るための「確信的利益」であり、今後も一歩も譲れないものだというのが大前氏の指摘するところです。

 歴史的に見れば、抗日戦争で勝利したのはどう考えても蒋介石(或いは国共合作+連合軍)であり、戦勝国が集まったヤルタ会談にもカイロ会議にも毛沢東は招待されていない。しかしこの簡単な論理の整理さえ行われていないのは、戦後一貫して自国民に対し説明してきた中国共産党の存在理由、そして一党独裁の正当性が否定されてしまうことになるからだと大前氏は言います。

 中国共産党が中国全土の土地を所有し民主主義ではなく一党独裁を正当化している背景には、この「抗日戦争で中国人民を植民地支配から解放したのは中国共産党である」というレトリックがあり、中国共産党指導部が歴史を直視しこの欺瞞を改めない限り、日本との関係が友好的かつ互恵的になることはありえないという厳しい視点です。

 そもそも、「マルクス・レーニン主義」は貴族や資本家から収奪した富の分配については説明しても、富をどうやって創るか、皆で創った富をどうやって分けるかという論理がきわめて弱い。ここが共産主義の一番の問題だというのが大前氏の認識です。また、このような視点から大前氏は、そもそも共産主義とは「皆が貧しい時代の教義」だと言い切ります。

 そして中国が国家として経済的に豊かになってきた現在。たとえ社会に不正や腐敗が横行していても、また富の偏在が革命以前よりも拡大していても、それでも指導者層の中に「共産主義革命は失敗した」と中国版ペレストロイカを叫ぶ人間が現れないのは、富の創出に貢献のあった人よりも権限を持った共産党の幹部や政治家に富が集中しているせいである。それが中国における一党独裁の「成果」であり、今の中国が抱えている矛盾の全てを物語っているというのが大前氏のもう一つの認識です。

 当然、中国社会、中国人民には不満が充満しています。現在も年間20万件くらいのデモやストライキが発生しているようですが、その主役はあくまでも土地を取り上げられた農民など貧しい人たちだったと大前氏はしています。

 しかし、成長が止まり土地バブルが崩壊するとなると、先に豊かになった「ハズ」のインテリ層、小金持ち、中金持ちが不満分子の中核となってくる。そういう人たちの不満が表出した形の1つとして、中間層による昨今の「国外脱出の風潮」がさらに加速されるだろうというのが大前氏の指摘です。

 習近平国家主席は、党の重要会議で「民衆の支持がなくなれば、党の滅亡につながる」として、内政引き締めの動きを強めています。しかし、改革開放で決定的となった貧富の格差の拡大がこうした腐敗の摘発で埋まるわけもなく、結果として中国の政治と経済の矛盾はますます拡大していると大前氏は言います。

 そのような諸々の状況の中で、人民の目を外に向けるために必要な政策として周辺諸国との関係を緊張させている。今の中国指導層にそれ以外の知恵も歴史を見直す勇気もないというのが大前氏の立場です。

 そして、中国に進出した日本企業の経営者達は、次の10年も、チャイナリスクと向き合う覚悟と準備をすると同時に、アジアの他の諸国との「リバランス」を検討する時期に来ているのではないかと大前氏は示唆しています。

 現在の中国には、建国以来の枠組みを変えていくほどの「中興の祖」が育っていないと大前氏は指摘します。いずれ出現するかもしれないけれど、まだ出現していないと言ったほうが適切かもしれません。アジアの大国であり、歴史上も日本とのかかわりが深い隣国であり、大国である「中国」と付き合っていくには、中国の体制が抱えるこうした矛盾を十分に認識しておく必要があるということです。


♯132 日本軍と日本兵

2014年03月06日 | 本と雑誌

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 もう10年以上も前に亡くなりましたが、昭和一ケタ世代、昭和の初頭に生まれた父は、若いころの話、特に戦争当時の話をほとんどしない人でした。生前、何度か話を振ってみたこともありますが、「話をしたがらない」というよりも、まるでそのような時代など「なかった」かのように話題を自然と避けている、そんな印象すら残っています。

 思えば私の父ばかりでなく、当時何らかの形で戦争(特にS1520の最盛期)にかかわったと思われる世代の男性には、兵士としての戦場での姿はもとより、彼らが多感な青年期や思春期を過ごした時代の雰囲気や自らの思いに関して、ずいぶんと口の重い大人が多かったような気がします。

 当時、「日本の兵隊さん」はどのような心持ちで遠く中国大陸や南方の島々に赴き、かの地の戦場でどのように戦っていたのか。南京やシンガポールを占領した日本兵たちはどのような状況に置かれていたのか。戦争の終盤、島々で玉砕していった兵士たちはどのような心理状態にあったのか。

 戦後、「先の戦争」に関する様々な検証が行われていく中で、機会は幾らもあったにもかかわらず、その時代に直接かかわった日本人達の多くは絶えず寡黙でありました。実際、戦場にあった元兵士達が(そしていわゆる銃後にあった者達ですら)、戦前の日本の全てを否定するようなイデオロギーの前に、また一方で戦争を賛美するかのような精神主義の前に、改めて声を上げることはほとんどなかったのではないでしょうか。

 そして近年、東アジアの国々、特に中国や韓国との間で、戦争中の侵略行為や植民地政策などに関し、日本人のいわゆる「歴史認識」の在り方が大きくクローズアップされるようになってきました。周辺諸国との政治的な軋轢や領土問題、経済的な摩擦などの中で、いわゆる村山談話が示す「日本の植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」とする日本政府の立場についても、国内的には様々な解釈が生まれているようです。

 約63年間続いた「昭和」という時代を、それこそ最初から最後までその身を持って受け止めてきた最後の世代の日本人が、現在、徐々にその人生の舞台から降りていこうとしています。「戦争の時代」に何が起こり、日本人は戦場でどのように戦ったのか。彼らが今、「あちらの世界」に持っていこうとしているこうした「過去」に対し、また別の意味で社会の変化に迷える現代の日本人たちが、「今に役立つ何か」を探して最後のアプローチを行っています。

 その一人、埼玉大学准準教授の一之瀬俊也氏は、著書「日本軍と日本兵」(講談社現代新書)において、太平洋戦争時におけるアメリカ軍の軍内広報誌を分析し日本軍の戦闘の実態に迫るという興味深い試みを行っています。

 新書の「帯」にもあるよう、一之瀬氏はこの著書の中で、まさに「敵」という鏡に映し出された日本軍(日本の兵士)の実態について、赤裸々な姿を明らかにしようとしています。そしてそこで得られた結論は、アメリカ軍の敵国兵士に対する戦闘技術論の視点から見た日本兵の実像は、結局のところ、基本的に現代の日本人の姿とあまり変わるものではないという、思えば当たり前の事実でした。

 戦後の「日本の歴史」や「物語」の中で、そして様々な「メディア」によって描かれてきた日本兵は、「突撃」や「玉砕」などその戦いぶりの愚かしさばかりがいたずらに強調された「理不尽」で「非人間的」なイメージを纏ったものか、あるいは逆に「皇軍」としての日本軍の規律の正しさや剛健さ、意志の強さや頑張りを極端に美化した形で描かれることが多かったと一之瀬氏は言います。

 しかし、アメリカ軍の報告書に現れる日本軍の姿は、物量に劣る中で少しでも犠牲を減らそうとモグラのように穴にこもり徹底抗戦を心がける、しぶとく手ごわい相手であったこと。一方で捕虜になった兵士に話を聞くと、兵士それぞれには、「アメリカと戦うこと」に自体への「大義」がほとんど感じられなかったこと。攻撃を指揮する指揮官がワンパターンで大局観を欠いているように見えたこと。そして下級の兵士たちは上官の命令には命を賭して従うが、指揮官を失うとパニックになって自らの判断で動くことができなくなること…など、相当にリアルな様相を示していました。

 こう
して見ると、当時の日本兵も現代に生きる我々とあまり大差がないのではないかと一之瀬氏は記しています。「戦時中は全てが狂っていた」とする責任回避論は、そういう意味でも他国にとってはなかなか受け入れられず、そこにはきちんとした説明が必要となると一之瀬氏は言います。

 今、日本は東アジア諸国との関係の中で、太平洋戦争の「総括」を改めて求められています。私達の父祖の世代は、東アジアの将来に何を観ていたのか。何のためにたくさんの自国民の血を流し、また何故他の国々の人々の血を流すことになったのか。日本がこれからも他国から「尊敬される」国であるためには、一方的に己れの主張を繰り返すばかりでなく、他国の国民に理解できる言葉で説明し、必要があれば当然きちんと謝罪していく必要があるものと考えます。

 そのためにも、戦後70年という歳月が経過しようとしている現在、様々なイデオロギーとは一歩距離をおいて、偏った歴史観や精神論にとらわれることなくそれぞれの戦場における冷静で客観的な状況とらえ、日本軍の戦いの一つ一つに目を向けていく地道な努力が必要なのではないかと感じたところです。



♯126 気分障害と社会の負担

2014年02月20日 | 本と雑誌

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 「気分障害」というのも日本語としては何やら少し不思議な響きを持った言葉ですが、きちんとした定義を持つれっきとした医学用語として最近は耳にする機会も増えてきました。

 もちろんこれは、単に「気分がすぐれない」というような一時的な精神状態(いわゆる「気分」)を表すようなものではなく、「ある程度の期間にわたって持続する感情の変調により苦痛を感じたり、日常生活に何らかの支障をきたしたりする状態」を指す用語ということです。

 Web上などで「気分障害(mood disorder)」を説明するもう少し分かり易い表現を探してみると、文字通り気分が沈んだり「ハイ」になったりするパターンの病的な症状を示す症候群に付与された「病名」…ということになるのでしょうか。以前は「感情障害」などとも呼ばれていたようですが、泣いたり笑ったりする「感情」の障害というよりも、もっと長く続く身体全体の変調を伴う病気という意味で「気分障害」と名付けられたということです。

 この「気分障害」と呼ばれる症状に対して、現在の精神医学はこれを大きく二つに分けてそれぞれ別の病気として扱っています。

 その一つは「うつ病」であり、もう一つが「双極性障害」、いわゆる「躁うつ病」です。また、その他にも「気分変調症」、「気分循環症」、「抑うつ気分を伴う適応障害」、「器質性気分障害」、「内科疾患に伴う気分障害」など、気分障害をもたらせた原因や程度の違いなどによりそれぞれ病名として一般化(パターン化)されている症状もあるようです。

 こうした「気分障害」は、先進各国では「ストレスが多い(と言われる)現代社会」に内包された現代人の大きなリスクのひとつとして、また社会や経済に無視できないロスをもたらす存在として広く認識されており、政策的にもその対策が強く求められるようになっています。

 一方、昨今では、メディアに登場する医師などから「うつ病は、ストレスにさらされれば誰でもなる可能性がある」という意味で、「心の風邪のようなもの」などという言い方が一般的になされるようになっています。

 こうしたことからも分かるように、病気としての「気分障害」「うつ」に対する偏見や誤解が解消されるにつれ、これまで「うつ」が纏ってきた非生産的で何故か大きな声で言えないようなマイナスなイメージも次第に変化を見せており、加療により完治可能な(特別ではない)病気として市民権を得始めているようです。<o:p></o:p>



 さて、週刊「PRESIDENT」誌では、「職場の心理学」と題した連載コラムにおいて職場における心理学の活用法や仕事と働き手の気持ちの問題などを毎号分かり易く解説しています。最新号(2013.3.3)では、都内でメンタルクリニックを開業する精神科医の山本亜希氏が、臨床医学の立場から見た職場における「気分障害」の現状と、「うつ」への認識の変化に伴う問題点などについて興味深い視点を投げかけています。

 山本氏は、最近とみに多くなった現象として、初めてクリニックを受診する患者から「休職したいので診断書を出してください」といきなり要望されるケースを挙げています。「職場に行けない」「仕事に行きたくない」…職場における人間関係のトラブルと気分の沈滞を前提に、すぐに診断書を欲しがる最近の患者との感覚のギャップに医師として戸惑いを感じることが多いというものです。

 従来「気分障害」は、意欲や活動性が極端に低下した重篤な状態となって初めて精神医療の対象となっていましたが、近年ではある意味「気分変調症」といったようなそう激しくない落ち込みが持続するような状態も疾患の範囲に含まれるようになり、投薬、治療の対象となっていると山本氏は言います。

 このような臨床現場の傾向に対し、山本氏は、医師が診断によって重篤感のない気分変動までも含めて病名を付すことは、時に患者が人生の課題に対峙する機会を奪うことになるのではないかと強く懸念しています。乗り越えるべき人生の障害や葛藤に突き当たっている未完成な個人に対し、安易に病気として認定し、困難を回避させ、抗うつ薬を処方することは果たして本人の利益となるのか、いたずらに成長の機会を奪うことになるのではないかという(これはもはや医学の範疇を超えた)問題です。

 こうしたことから、医師は診断をつける際に常に慎重であるべきだと山本氏は言います。特に10年ほど前から、いわゆる「新型うつ」と呼ばれる症状を訴える患者が占める割合が増加しており、これがさらに職場や診療の現場に混乱を引き起こしているということです。

 この「新型うつ」の特徴を整理すると、

(1)自分の好きな仕事や活動の時だけ元気になる

(2)「鬱」で休職することに抵抗が少なく逆に逆境を利用する傾向がある

(3)身体的疲労感や不調感を伴うことが多い

(4)自責感に乏しく他罰的で勤務先の会社や上司のせいにしがちである

(5)どちらかというと真面目で負けず嫌いな生来の性格が影響している

ということになります。

 これだけ見ると「救いようがない」と言うか、どうもあまり良い印象は受けませんが、ここに共通してみられる特徴的な心性は、①役割意識に乏しく、②他責的・他罰的で、③薬物が奏効せず、そして④遷延化しやすいという点にあるようです。

 実際それらの多くはパーソナリティ障害(パーソナリティ障害の傾向を持つ者)が遠因していると考えられており、多分に自己愛的、回避的心性を読み取ることができることから、これを病気として扱わない立場の医師も多いと山本氏は述べています。

 山本氏によれば、うつ病の概念の広がりと歩調を合わせるかのように「気分障害」で受診する患者数が急増しているのも事実で、厚生労働省の「患者調査」によると1996年の433000人から2008年の1041000人へと、12年間で2.4倍に膨らんでいるということです。

 こうした状況を踏まえ、山本氏はうつ病で社員が休職した場合の会社の負担がどのくらいになるかを試算しています。年収600万円(月収50万円)の社員が、発症3か月、休職6か月、試し期間3か月で復職した場合を想定すると、6ヶ月間の休職期間中は本人への給与負担が無かったとしても、これをフォローする社員の人件費(残業代)などを考慮すれば会社のコストは4815000円にも及びます。売上営業利益率が5%の企業であれば、この負担をカバーするのに1億円近い売り上げを必要とするという規模のリスクです。

 近年、「明らかな病気とは言えないが、健康とも言えない」というケースに数多く遭遇するようになったと山本氏は指摘しています。これは、精神科の敷居が低くなったことにより、これまでは病気として認

 そうした中で、臨床現場の精神科医にとって、従来のように患者の訴えに寄り添い「休職させる」ことだけが仕事ではないだろうと山本氏は言います。初診の段階から「医師は診断書を出してくれる人」と考える風潮自体が間違いであり、また、医師が安易にそれに応じてしまうことは社会保険制度や社会のコスト増加させることに繋がってしまう。そこには「社会的」な存在としての医師の自覚が必要だ、というものです。

 このような状況を回避し医師が正しい診断を下して治療するため不可欠なものとして、患者本人に加え、職場の上司と医師(産業医)との連携に山本氏は重きを置いています。

 それができれば、日常の勤務態度を勘案した診断をしたり、休職という判断をする前に業務の負担を減らしたり、必要に応じた配置転換を行ったりというような対応を行うことができる。そうしたきめ細やかな対応を積み重ねることにより、気分障害による患者本人の負担はもとより、従業員の休職による会社の負担や家族、社会の負担も大幅に減らすことができると山本氏は言います。

 様々な職場、様々な状況のもと、感情も気分もその時々のストレスの影響を大きく受けることになります。その中で、自らの精神状況ときちんと向き合い、必要に応じて専門家としての医師の判断を仰ぎ、整理された(感情的でない)環境の中でこれをコントロールしていくというシステマチックな対応が必要なのだろうと感じるところです。



♯121 わたしを離さないで

2014年02月07日 | 本と雑誌
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 長崎県出身の日系イギリス人作家、カズオ・イシグロは、1989年に、小説「日の名残り」でイギリス最高の文芸賞と言われるブッカー賞を受賞し、2008年には英紙「タイムズ」の紙上で、「1945年以降の英文学で最も重要な50人の作家」の一人に選ばれています。

 1954年に長崎市で生まれたイシグロは、5歳の時に海洋学者の父親が北海で油田調査をすることになり一家でイギリスに移住。その後現地で成長し、大学卒業後の1982年にはイギリスに帰化しています。こうした環境に育ったイシグロは、日本人である両親に育てられる一方で幼少期から英語に馴染み、現在では日本語はほとんど話せないとしています。

 さて、そんなイシグロの著作として2005年に出版された「NEVER LET ME GO」(邦題:「わたしを離さないで」早川書房刊)は、その年のブッカー賞の候補作にノミネートされ一躍注目を浴びました。

 また、2010年にはイギリスにおいて映画化され、そのエモーショナルな主題設定が世界的に話題を呼ぶことになります。また、2014年4月には、日本においても蜷川幸雄演出、多部未華子主演により舞台化が計画されており、今年最も脚光を浴びる作家として大きく注目されています。

 小説「わたし私を離さないで」は、作品中で言うところの「提供者」となることを運命づけられた少年・少女と、そして彼らが成長した姿である若者達の日常によりつづられた物語です。「選ばれた」提供者の一人である少女「キャシー・H」の言葉により、彼らの過去と現在が時を超え自在に織り交ぜられながら、ストーリーは未来に向けて淡々と紡がれていきます。

 作品の前半、キャッシーの回想として、彼らが少年・少女時代を過ごした「ヘールシャム」と呼ばれる施設における様々な出来事がきめ細やかに描写されることにより、読者はまさにモノクロームの「イシグロ・ワールド」に誘われることになります。そして、次に何が起こるのか分からないままそれに付き合わざるを得ないという独特の世界観の中で、ヘールシャムにおいてキャッシーと同じ時間を過ごすことになります。

 それはイギリスの荒涼とした湿地帯であり、冷たく湿った風や藁の匂いであり、厳しくそして陰鬱でスノビッシュな寄宿舎生活です。イシグロは、古典的ともいえる手法により、十数年にわたる異常な少年少女の日常生活を、これでもかというほどに克明に描き続けます。

 この作風を、「抑制された」と評する文庫版の解説は、ある意味的を射たものであるかもしれません。この確信的に歪んだ孤独な世界観は、不可解な「狂気」の入り口として読者を不安に陥れます。そしてそこがまた、たとえば日本の作家で言えば村上春樹の作品などとも共通する、「諦念」ともいうべき運命に寄り添う現代人の意識に共振するのではないかとも思えます。

 この小説を、科学と人間の尊厳との接点における問題提起ととらえることは容易いことかもしれません。しかし一方で、キリスト教を背景とした欧米人の自我の存在と、宿命を生きることを是とする東洋の感性の狭間に育ったイシグロの葛藤が、この小説の主題を一つ上の領域における矛盾への覚醒を促す原動力として、読者の心に「揺らぎ」をもたらすことに成功しているような気がします。

 この小説に接して、1956年から「日本奇譚クラブ」に連載され、三島由紀夫、寺山修司らの評価により話題となった「家畜人ヤプー」(沼昭三著)を久々に思い出すこととなりました。日本民族は本来欧米白色人種の家畜として開発され、タイムマシンの利用によって日本列島に放たれた家畜人「ヤプー」の末裔であるとしたフィクションで、出版に当たって妨害事件まで引き起こした問題作です。

 東洋人の多くにとって、例えば家畜とペットの違いに関する欧米人の認識を、いわゆる「腑に落ちる」形で理解し共感することは難しいのではないかと思います。

 家畜を人間と切り離し人間にとって所与のものとする世界観と、輪廻転生を「現在」の前提とする無情の世界観には、「生命」に対する根本的な認識に大きな差異が存在しているのではないか。意識するしないにかかわらず、イシグロはそうした前提、違和感の上に立ってこの小説を世に投げかけたのではないか。そのように私は感じています

 この作品において、信じてきた運命から突き離されることへの不安をかすかに感じながら、主人公達は最後の時を生きていきます。そして、人間が生まれてきた意味について、生きることの目的とその価値について、イシグロは読み手に向かって冷徹に回答を迫ります。

 必ず訪れる「死」を、「生」に付随する当り前ものとして安心して受け入れることが果たして現代人に可能なのか。このシンプルな問いかけに対し、読者は答えを探さなくてはなりません。

♯120 明けない夜はない

2014年02月05日 | 本と雑誌

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 一昨年(2012年)の暮れも押し迫った12月26日に成立した第2次安倍晋三内閣が打ち出した経済政策、いわゆる「アベノミクス」の効果により、2013年の日本経済は過度な円高の是正と年間で概ね60%という株価の上昇に後押しされ、年間を通じて私達に明るい兆候を見せてきました。

 「失われた10年」、そして「…20年」と言われて久しい経済の長期的な低迷を経験しデフレ環境に慣れきったエコノミストやマスコミには、「成長」という環境がにわかに現実味を帯びたことへの戸惑いや不安を隠せない様子も垣間見えます。しかしそれでも、日本(国民)が景気の「気」というものを掴みかけているという感触は、今、多くの人々が感じ始めているところであるようです。

 流行語大賞も受賞した「アベノミクス」というこの言葉。実は201211月に朝日新聞(「朝日」というのも意外ですが…)が使用したことをきっかけに各メディアなどにより用いられるようになったということですが、Wikipediaによれば、「アベノミクス」「三本の矢」という呼称自体は2006年時点で第1次安倍内閣の中川秀直自由民主党幹事長が(それまでの「小泉構造改革」を継承する経済対策という意味合いで)使用した例も確認されているのだそうです。

 安倍首相自身、昨年の9月26日にはニューヨーク証券取引所における講演で、胸を張って「Buy my Abenomics(アベノミクスは『買い』だ)」と述べ、世界の注目を浴びました。確かに、日本の経済政策が経済分野でこれほど話題をさらったことは、ここしばらくなかったことかもしれません。

 そういう意味で、2013年が日本経済の歴史において大きなターニングポイントとなる年であったと後に評価され、「アベノミクス」というキーワードとともに人々の「記憶に残る年」となることを願っている経済人も多いことでしょう。

 さて、ローマの歴史家クルティウス・ルーフスは「歴史は繰り返す」という有名な言葉を残していますが、人類の歴史はまさに繁栄と衰亡の繰り返しと言うことができます。そういう意味では、近代以降の日本の社会、そして経済も、いくつかの浮沈を繰り返しながら現在に至っていることがわかります。

 「次の時代」は来るのか来ないのか。「新しい資本主義」とはどのようなものか。日本大学教授で経済学者の水野和夫氏や元国家戦略担当大臣の古川元久氏らの共著である「新・資本主義宣言」(毎日新聞社)において、公益財団法人日本国際交流センター理事長の渋沢健氏が、日本の近代史の動態を踏まえ日本の経済社会への興味深い視点を提供されているので整理しておきたいと思います。

 我が国の歴史を遡り、まず明治維新直後の1870年から1900年までの30年間の日本を見ると、そこはまさに「維新」の時代。江戸時代の常識の多くがリセットされ、西欧の文明が怒涛のように鎖国日本に流入し社会全体が生まれ変わる、日本が近代社会に変貌する激動の時代であったと渋沢氏は言います。世の中の仕組みが入れ替わり、生きていくためのルール自体が変わってしまう、そういう時代だったということです。

 それでは、次の30年はどのような時代だったのでしょうか。1900年から1930年までの30年間は、東アジアのさらに辺境の後進国であった日本が当時の先進国に追いついた時代でありました。そしてそれを象徴するのが1904年に起きた日露戦争であり、この戦争における勝利を契機として日本の国際的な世界的ステータスは向上し、大正デモクラシーにつながる繁栄の時代を迎えたというのが、この30年間に対する渋沢氏の評価です。

 時代は進んで、その次の30年間はどうだったか。1930年から60年は、一言で言えば「戦争の時代」だったというのが渋沢氏の認識です。それまでの時代の常識が戦争で破壊され混乱を生む中、破壊された常識から新しい常識が生まれ、最終的に国家としての新しい方向が示されていく、そのような挫折と変化の時代だったというものです。内外で多くの血が流された悲惨な戦争と、破壊の上にゼロから始まった復興の時代。それはまさに「やり直し」の時代ということもできるかもしれません。

 そして、次に訪れた1960年から1990年。高度成長の名のもと、多少の紆余曲折はあったものの。日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれるまでの前例のない経済発展に突き進みます。

 東京オリンピック、大阪万国博覧会、オイルショック、円高不況、不動産バブルの発生と、団塊の世代の成長と歩調を合わせるかのように時代は賑やかに過ぎていきます。そして1990年。バブル経済はピークを迎え、その崩壊とともに日本は「失われた」と呼ばれる時代に静かに沈んでいくことになりました。

 こうして時に単純に考えていくと、日本の近代経済社会は30年の破壊の期間の後に30年の繁栄があり、また新たな30年の破壊を経て30年の繁栄を迎えているのではないかと渋沢氏は指摘しています。歴史は繰り返す…。つまり、1990年以降の「失われた20年」と呼ばれる時代を過ごす我々は、実は「破壊の24年目に入った」ところだと考えてもいいと、そういう仮説です。

 「破壊」という言葉には非常にネガティブなイメージがありますが、見方によってはそれは次の時代への調整期間であり、準備期間と捉えることができるかもしれません。いずれにしても、30年をかけてそれまでの常識が破壊され新しい常識が生まれてくる。現在は、そうした雌伏の期間として考えられるのではないかというのが渋沢氏の主張するところです。

 繁栄と破壊の期間を1年のカレンダーに喩え、「春」と「夏」、4月から9月を繁栄の期間とすれば、10月から3月の「秋」と「冬」が破壊の季節。つまり2014年、破壊が始まって24年目の今年は、暦の上では2月末の一番寒い季節となると渋沢氏は言います。

 また、このサイクルを24時間の時計に合わせ、繁栄の期間を午前6時から午後6時までの昼間の時間、破壊の期間を午後6時から朝の6時の夜の時間に喩えれば、現在は午前3時を少し過ぎたところ。つまり、夜明け前の一番暗い、一番寒い時期と言えるのではないか…というものです。

 明治維新の立役者の一人、土佐の坂本竜馬は、高知の桂浜で「日本の夜明けは近いぜよ…」と言ったと(一説では「鞍馬天狗」の言葉とも…)されていますが、なんとなく明るい兆しも見え始めた昨今、こうした言葉には日本人の胸にしみるものがあります。

 今の時代にやるべきことをきちんとやれば、必ず夜明けが訪れ春を迎えることができる。近い将来、これまでの常識が破壊されて新しいものが生まれてくる、そんな肌感覚を既に誰しもが抱いているのではないかと渋沢氏は言います。

 新しい時代を見据え、(そして、次世代のために)本格的な春が来る6年後までにしておかなくてはいけないことを、私たちもそろそろ考えておく必要があるのかもしれません。