MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2720 「敵の敵は味方」という話

2025年01月22日 | 国際・政治

 米ワシントンで1月20日に開催されたドナルド・トランプ第47代大統領の就任イベントで、トランプ大統領を支持する米富豪イーロン・マスク氏が演説したとのこと。報道によれば、その際、マスク氏が壇上で行った右手を左胸にあててか、右斜め上にまっすぐ突き上げる動作が、まるでナチスドイツの敬礼のようだと物議をかもしているということです。

 同氏の所作の意味はともかくとして、米国で発足した新政権における、実業家イーロン・マスク氏の存在感が高まっているのはおそらく事実でしょう。トランプ次期大統領と蜜月関係を築き、トランプ氏肝煎りの新組織「政府効率化省(DOGE)」のトップへの就任が決まっているマスク氏。既に巷では、実質的な「共同大統領」との声もあると聞きます。

 マスク氏と言えば、世界有数の大富豪として知られ、総資産は実に3530億ドル(約53兆円)。大統領選でのトランプ氏の勝利、またテスラなど保有株の評価額が上がったことなどで、大統領選直前の11月上旬と比べ資産を910億ドル(約13・6兆円)と、約3割も増やしたとされています。

 それにしても、トランプ氏の岩盤支持層と言えば、高学歴、高所得のエリートを嫌う生活に苦しむ生産労働者(いわゆるブルーカラー)がメインのはず。にもかかわらず、彼らが(自身も)大富豪であるトランプ氏を熱狂的に支持し、また「世界一の大金持ち」の評が高い自由人イーロン・マスク氏を親しみとともに受け入れているのは一体なぜなのか。

 その辺りの関係性に関し、作家の橘玲氏が「週刊プレイボーイ誌」に連載中の自身のコラムに『2025年に(たぶん)起きること』(2025.1.6発売号)と題する一文を寄せているので、参考までにその指摘を残しておきたいと思います。

 2024年の米大統領選では、ドナルド・トランプと世界一の大富豪イーロン・マスクがタッグを組んだことに注目が集まった。このことは、私達が今、どのような世界に生きているかを象徴する出来事かもしれないと橘氏はコラムの冒頭に綴っています。

 産業革命によって近代が始まり、身分によって人生が決まる社会が解体された。この「リベラル化」はその後、人種や国籍、性別、最近では性的指向や性自認にも広がり、自らの意思で変えられない属性によって他者を差別することが(ものすごく)嫌われるようになったと氏はしています。

 それ自体はもちろん素晴らしいことだが、組織を維持・運営するためには、何らかの方法で個人を評価し、採用や昇進・昇給を決めなくてはならないのもまた現実。そのとき、唯一公正な評価とされたのが「学歴・資格・実績」によるメリトクラシー(meritocracy:能力主義)だと氏は説明しています。

 そして氏によれば、そのメリトクラシーを正当化する根拠とされているのが、「これらは“努力”によって(その気になれば)誰でも獲得できる」という信憑とのこと。遺伝的多様性がある以上「やればできる」は単なる「きれいごと」に過ぎないが、それを認めるとリベラルな社会が成り立たくなってしまうので、この事実は「言ってはいけない」としてずっと抑圧されてきたということです。

 しかし、知識社会が高度化するにつれ、徐々に矛盾を隠蔽することが難しくなってきたというのが、氏がこのコラムで指摘するところ。人種問題を抱えるアメリカは、日本よりもはるかにメリトクラシーを徹底した社会。大卒と高卒では生涯収入が倍も違う(大卒と高卒の日本の収入格差は男性で13%、女性で30%)ことなどから、低学歴で工場のブルーカラーの仕事についた人たちが、中流から脱落しつつあると氏はしています。

 そして、こうした白人のワーキングクラスがトランプの岩盤支持層となり、アファーマティブアクション(積極的差別是正措置)で優遇されている(ように見える)黒人など有色人種や、マイノリティの側に立って白人の「特権」を批判する(主に白人の)高学歴のリベラルなエリートを敵視するようになったということです。

 さて、ここから先が不思議なところ。ところが、彼らに嫌われた当のリベラルは、建前上は「貧しい労働者階級の味方」なので、この批判に正面から反論できない。そこで、「グローバル資本主義」や「構造的差別」が諸悪の根源だと主張しはじめ、その「悪」を体現するのが、天文学的な富をもつマスクのようなテクノ・リバタリアンだと決めつけたと氏は話しています。

 シリコンバレーのベンチャー起業家は、極端に高い論理的・数学的知能とアニマル・スピリットによって大きな成功を手にした人々。そんな彼ら(その大半は男性)は、リベラルなエリートから、大きすぎる富をもつこと自体が不正であり、富裕税によってその富を国家が没収するのは当然だと追及され、強く反発しているということです。

 いわゆる、「敵の敵は味方」ということでしょうか。こうして、「アンチ・リベラル」の旗の下、知識社会の最大の勝者と「敗者」であるホワイト・ワーキングクラスが共闘するという、奇妙奇天烈なことが起きたというのが氏の指摘するところです。

 マルクスが、社会の進歩を「資本家」と「労働者」の対立のストーリで描いてから既に150年余り。技術の進歩とともに、現実社会はさらに混迷の時代を迎えているということでしょうか。

 (いずれにしても)どんなに疎まれたとしても、リベラルの主張は「社会正義」なので、それを撤回することはもちろん、批判に対して妥協することもできないというのが氏の認識です。そうなると、この分断は「善と悪の戦い」として終わることなく、えんえんと続くことになる。今年も、私達はその混乱をあちこちで目にすることになるだろうとコラムを結ぶ橘氏の予言を、興味深く読んだところです。