MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1635 賭け麻雀はほめられた話ではないけれど

2020年06月03日 | 社会・経済


 今通常国会の会期末を6月17日に控え、野党各党は黒川弘務前東京高検検事長の賭け麻雀問題などを中心に、政権追及を強めていく姿勢と報じられています。

 野党は、国家公務員法上の懲戒に当たらない「訓告」にとどめた黒川氏の処分を軽すぎると問題視し、官邸の意向が働いたとして経緯を質すとしています。

 公務員の定年を段階的に65歳まで引き上げるという国家公務員法の近年にない大改正(案)が、「とばっちり」とも言える棚上げ・再検討を余儀なくされる一方で、争点となった検察官の定年延長は、「黒川氏の処分の軽重」という極めて矮小化された議論の中で幕引きを迎えそうな気配です。

 現在も、テレビのワイドショーなどでは、「違法な賭け事などけしからん」「自粛期間に三蜜とは自覚に欠ける」などといった街の声を拾い、黒川氏個人(の人柄や人格)へのバッシングを続けています。

 (こうしたこともあって)共同通信社が5月の末に行った電話による世論調査では、辞職した黒川氏を「訓告」とした処分について「甘い」との回答が78.5%、「妥当」は16.9%で、再調査を行わないとした安倍晋三首相の対応に「納得できない」との回答は69.0%、「納得できる」は22.3%と、いずれも厳しい見方をしていることが見て取れます。

 さて、そうした中、非常事態宣言下の賭け麻雀が、公務員として決して褒められた行為でないことは勿論ですが、(それにしても)それ自体を政府として詳細に調査したり、一国の総理大臣が国会で詳しく報告したりするような問題かと言えば、そうとも思えません。

 メディアなどでは「黒川氏の賭け麻雀」という姿ばかりが強調されていますが、本来、論点とすべき司法の独立性や検事の選任の在り方、メディアと検察の関係といった問題への視線が弱まってしまっているような気がしてなりません。

 こうして、少し論点が黒川氏個人の問題にズレてしまった観もある検事の定年延長問題に関し、6月1日のYahoo newsに、甲南大学法科大学院教で弁護士の園田寿氏が「黒川弘務元検事長の賭け麻雀については擁護したい」と題する論考を寄せています。

 渦中の人、黒川弘務元検事長に対しては、私も行政処分としては懲戒が妥当で、そうすべきだったと思う。しかし、それは黒川氏が「賭け麻雀をしたから」ではなく、彼が長年にわたってマスコミ記者と金銭が絡んだ個人的な関係を続け、特別に情報を提供していた可能性が認められるからだと、園田氏はこの論考に記しています。

 責任の追及や処分に当たり「賭け麻雀」ばかりが強調されてしまうと、本当に問題とすべき行為が霞んでしまうのではないかというのが、この論考において氏が抱いている問題意識です。

 実際のところ、「賭け麻雀」という行為自体については犯罪の構成要件が微妙で、少なくとも法的観点からはそのように断定できるものではないと氏は言います。

 かつては、賭博が「勤労の美風」という善良な風俗・習慣を損ない、国民に働かない怠惰な性格を作り上げるという点にその害悪性が認められていた時代もあった。しかし、公営ギャンブルやパチンコなどのギャンブル産業の年間総売上が20兆円を超えている現状を考えれば、法律家の間でも「勤労の美風」というモラルを維持するために刑罰を利用することに対する否定的な考えが強くなっているということです。

 また、賭博行為が勤労の美風を害する以外に、賭博で財産を失った者が窃盗や強盗などの別の財産犯に手を出す危険性から、賭博行為を禁止しなければならないという点を強調する判例もある(最高裁昭和25年11月22日判決)と氏は説明しています。

 しかし、公営ギャンブルの存在を否定しない限り、このような視点も説得力を失うというのが氏の認識です。

 個人の財産や家庭を守るために賭博を処罰するのだという理屈には、実際に競馬競輪で身を持ち崩す人がいる以上、説得力があるとは思えない。自分のお金で馬券を買っても処罰されないものが、賭け麻雀に使うと処罰される理由はそこには見いだせないということです。

 現実社会では賭博は暴力団などの反社会的集団の資金源となりやすい傾向があるので無制限に刑法から解放するわけにはいかないが、(こうしたことから)少なくとも単純賭博罪は非犯罪化されるべきではないかというのが、この論考における園田氏の見解です。

 黒川氏がもしも暴力団関係者と賭け麻雀をしていたということであれば、それはもちろん言語道断の行いで弁解の余地はない。しかし、そうではなく、しかも勤務時間外に行っていたということであれば、レートの高低にかかわらず賭博罪として問題にすることは妥当ではないと園田氏は指摘しています。

 さて、そのように考えていくと、今回の黒川氏の行動に対する問題を考える上では、「賭け麻雀」という氏の行為そのものよりも、その行為の悪質性の程度が問題になるのではないかとも思います。

 例えば、100万円を拾ってネコババしたのと、道端で拾った10円をそのまま忘れていたのとでは、(ともに法な行為であっても)わけが違います。

 黒川氏の行っていたテンピン(1000点で100円)のレートで半壮1回に3000円とか5000円とかというお金が動く「賭け麻雀」が、社会一般の常識から考えてどれだけ悪質性が高いと言えるのか。

 もしかしたら家庭の主婦の皆さんなどの中には判らない人も多いかもしれませんが、一般に麻雀というゲームの場合、金品を賭けずに行っていない方が少数派だという現実も見過ごすわけにはいきません。

 私自身はギャンブルには全く興味がないので(「無類の麻雀好き」と言われる)黒川氏の気持ちは理解しかねますが、社会通念の枠内で行われている個人的なゲームの違法性を論い、(「検事なのだから」という理由だけで)国会で追及されるというのも、ずいぶん大人げない話のような気がします。

 政府が広く国民に進める投資にさえ、商品によってはギャンブルとそんなに変わらない(もしくはレバレッジを利かせたそれ以上の)投機性の高いものが並んでいる状況を考えれば、月末の給料で清算している世の麻雀ファンに目くじらを立てて責める気持ちにもなれません。

 今回の検察官の定年延長問題の「本質」は一体何だったのか。官邸と、法務省、検察庁の関係はどうなっていて、今後はどのようにあるべきなのか。

 日本の司法の在り方を考え、失われた検察への信頼を取り戻すためにも、(少なくともメディアに携わる人々には)感情に走ることのない落ち着いた議論が求められていると感じるところです。
 



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