MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2260 日本のこの10年

2022年09月20日 | 国際・政治

 2012年(平成24年)11月の衆議院解散とともに、広く知られるようになった「アベノミクス」という言葉。それから早10年、「アベノミクスで日本経済は復活した」というのは政府筋がしばしば口にする説明ですが、事実本当にそうなのか。

 安倍晋三元首相が政権交代により第2次安倍内閣を発足させアベノミクスを始める以前、2011年の日本のGDPは概ね500兆円程。それが、新型コロナウイルス前の2019年には556兆円に増えているのですから、それでも数字だけ見れば1割ほどは伸びている計算です。

 10年で10%の伸びを(果たして)「成長」と言えるかどうかは別にして、例えばこれを世界の基準通貨である「米ドル建て」で見るとどうなるのでしょう。

 2011年時点の日本のGDPは米ドル建てではおよそ6.5兆ドル(1米ドル=76.89円換算)。新聞などでも報じられているように、これが最近では(4兆ドル割れの)3.8兆ドル(1米ドル=144.50円換算)にまで落ち込んでいるわけですから、10年で三分の二を大きく割り込み、半分近くにまで減少していることが見て取れます。

 これは率に直すと、10年間で40%のマイナス成長だったということ。この間、米国のGDPは15兆ドルから25兆ドルへと成長して日本の6倍以上となり、2011年時点では日本とGDP世界第2位を争っていた隣国中国も、7.5兆ドルから18兆ドルへと2倍以上の成長を遂げています。

 振り返ればこの10年間、東日本大震災などの度重なる災害や少子高齢化、人口減少、そして今回のコロナ禍など、多くのトラブルに見舞われるづけた日本経済ですが、それにしてももっと何か打つ手はなかったのか。

 経済の話ばかりでなく、広がる格差や貧困の問題、さらには暮らしの安全など、日本の社会全般がこの10年間で暮らしやすいものに変わったという話もあまり聞きません。

 神戸女学院大学名誉教授で思想家の内田樹氏が日本のこの10年を振り返り、9月1日の自身のブログ「内田樹の研究室」に『安倍政治を総括する』と題する論考を掲載しているので、この機会に(その一部を)紹介しておきたいと思います。

 実は直近の10年間で日本の国力は劇的に衰えている。経済力や学術的発信力だけではなく、「報道の自由度」「ジェンダーギャップ指数」「教育への公的支出の対GDP比ランキング」など、そのほとんどで日本は先進国最下位が久しく定位置になっていると氏はこの論考に記しています。

 だが、「国力が衰えている」という国民にとって死活的に重要な事実すら、日本では適切に報道されていない。安倍時代が残した最大の負の遺産は「国力が衰微しているという事実が隠蔽されている」というところにあるというのが氏の第一に指摘するところです。

 国力は、さまざまなチャートでの世界ランキングによって近似的には知られる。1995年世界のGDPで日本は17.6%を占めていたが、現在は5.6%。1989年の時価総額上位50社のうち日本企業は32社だったが、現在はわずかに1社のみなど、経済力における日本の没落は火を見るよりも明らかだと氏は話しています。

 しかるに、日本のメディアはこの経年変化についてはできるだけ触れないようにしている。だから、多くの国民はこの事実そのものを知らないし、それどころか、政権支持者たちは安倍政権下でアベノミクスが成功し、外交はみごとな成果を上げ、日本は(いまだ)世界的強国であるという「妄想」のうちに安んじているというのが氏の認識です。

 安倍時代における支配的なイデオロギーは、(今もそうであるが)「新自由主義」であったと内田氏は言います。すべての組織は株式会社のような上意下達組織でなければならない。「選択と集中」原理に基づき、生産性の高いセクターに資源を集中し、生産性の低い国民はそれにふさわしい貧困と無権利状態を甘受すべき…そう信じる人たちが法案を作り、メディアの論調を導いて来たということです。

 その結果がこの没落なのだが、(しかるに)誰も非を認めようとはしない。全てはなぜか「成功」したことになっていると氏は言います。

 その理由は、政権与党が選挙に勝ち続けているから。安倍元首相は通算6回の選挙に勝利したが、それは国民の過半が「安倍政権が適切な政策を行ってきた」と判断したことの証しだと政府は強弁しているということです。

 経済力、地政学的プレゼンス、危機管理能力、文化的発信力などで国力は表示される。その点で言えば「日本株式会社の株価」は下落を続けていると氏はしています。

 しかし、安倍政権下で経営者は交代させられなかった。経営が失敗し、株価が急落しているにもかかわらず、経営者の「すべては成功している」という言葉を信じ続けた従業員たちの「人気投票」で、経営者がその座にとどまりつづけてきたのが日本の実態だったということです。

 選挙で多数派を占めれば、それはすべての政策が正しかったということ。そしてそれこそが「民主主義」だと彼らは言い張る。しかし、選挙での得票の多寡と政策の適否の間に相関はないと、内田氏はここで指摘しています。

 亡国的政策に国民が喝采を送り、国民の福利を配慮した政策に国民が渋面をつくるというような事例は(歴史上)枚挙にいとまがない。政策の適否を考量する基準は、国民の「気分」ではなく客観的な「指標」であるべきなのだが、安倍政権下でこの常識は覆されたということです。

 決して非を認めないこと。批判に一切譲歩しないこと。すべての政策は成功していると言い張ること。その言葉を有権者の20%が(疑心を抱きつつも)信じてくれたら、棄権率が50%を超える選挙では勝ち続けることができたと氏はしています。

 そうした状況の中で、パンデミックについても、気候変動についても、東アジアの地政学的安定についても、人口減少についても、日本はついに一度も国際社会に対して指南力のあるビジョンを提示することができなかったというのがこの論考における内田氏の見解です。

 さて、日本においてこの10年間に起こったできことのすべてが政治の責任で、なかんずくこの間政権を担った安倍晋三という政治家個人の責任なのかどうかについては私にもよくわかりません。

 そこのところは今後十分な検証が必要でしょうが、少なくとも(内田氏の指摘を待つまでもなく)日本がこの10年間、衰退・没落の一途をたどってきたことは恐らく事実でしょう。

 で、あれば、私たちはその事実を謙虚に受け止め、再生の道を探らなければならない。素直に現実を受け止め、誤魔化さず、噓をつかず、一つ一つの問題に対しきちんとした議論を行わなくては前へ進めないのは言うまでもありません。

 きれいごとに聞こえるかもしれませんが、衰退の10年を経た現在、(それを誰が担うにしても)これからの日本の政治に求められるのはそうした律義さ、真面目さなのではないかと、内田氏の論考を読んで私も改めて感じているところです。



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