世界的なベストセラー『これからの「正義」の話をしよう』で日本でも一躍有名となったハーバード大学教授で政治哲学者のマイケル・サンデル氏は、人間の個人的な価値観や倫理観の存在を前提としたいわゆる「共通善」を強調する「リベラル・コミュニタリアニズム(共同体主義)」の代表的な論者として知られています。
現在、アメリカを中心に世界中で強い信認を得ている市場主義への信憑に対し、サンデル氏は近著である「市場主義の限界-それをお金で買いますか」(鬼澤忍訳:早川書房)において、様々なエピソードを挙げながら、「全てをお金の尺度で比較検討する」市場主義的な考え方の将来に強い疑問を投げかけています。
経済学は本来、ある種の価値観とか倫理観を前提にして成り立っているはずなのに、エコノミストたちはそのベースになっているはずの価値観や倫理観についてまったく語ろうとしていない。これが同著における氏の基本的な問題意識です。
モラルとして守られてきた場所への市場主義の導入は、(それが意識されているか否かにかかわらず)人々の価値観を変質させている。しかし、エコノミストたちは、市場化によって締め出されることになる「道徳的規範」のコストを、一切勘定に入れないことに(見ないことに)しているのではないか…サンデル氏はそう指摘してきしています。
実際、世の中では、知らぬ間に様々なものがお金で買えるようになっているとサンデル氏は説明しています。
例えば、カリフォルニアをはじめとする一部の州では、囚人が一晩82ドルを支払えば静かで清潔な独房に入ることができるということです。さらに、南アフリカで全滅寸前のクロサイを撃つ権利は15万ドル、カーボンオフセットにより1トンの二酸化炭素を大気中に排出する権利は約18ドルで取引されているというような指摘もあります。
また、ミネアポリスをはじめとする多くの都市では、8ドルを支払えば交通渋滞を緩和するために設けられた相乗り車線を一人乗りでも利用することができるようです。ロサンゼルスでは、ラッシュアワーであっても料金を払いさえすればバスなどの「専用レーン」を通行することが認められており、高級車ばかりが通るので「レクサスレーン」と揶揄されているという話もありました。
この本の中にもありましたが、確かにお金を支払うことによって(並ばない、待たせないというような)特別な扱いをすることを制度化したいわゆる「ファスト・トラック」は、気が付けば私たちの日常生活にも普通に入り込みつつあるようです。
ファーストクラスの乗客は、成田でも並ばずにイミグレーションを通過できますし、ビジネスクラスのチケットを持っているだけで、(当たり前のように)エコノミークラスの客よりも先に飛行機に搭乗できます。東京ディズニーランドや大阪のユニバーサルスタジオなどのテーマーパークの多くで「ファーストトラック・チケット」が通常料金の倍程度の金額で販売されており、お金のある家の子供はそれが買えなかった子供の恐らく3倍以上のアトラクションを楽しむことができるでしょう。
「お金を払うこと」と「待つこと」は、物事を分配するに当たっての二つの異なる方法であるが、「早い者勝ち」という行列の倫理には(富や権力を超えた)平等主義的な魅力があると、この著書の中でサンデル氏は述べています。
例えば、遊園地やバス停、劇場の公衆トイレなどの行列にふさわしい場所では、多くの人は自分の前に割り込まれると腹を立てる。それでも、急ぐ必要(理由)のある人に「前に並ばせてほしい」と頼まれれば、大抵の人は願いを聞き入れるのではないかとサンデル氏は言います。
そうした中で、後ろからやってきた人から「10ドル払うから場所を代わってほしい」と言われたら、寒い中を並んでいる人々はどのように思うか。しかし一方で、管理者側が、裕福な顧客の使用に供するため、無料のトイレの隣に(かなり高額の)有料トイレを設置したらどうでしょうか。
行列の中の人々に共有された「お互いさま」という平等感が市場の論理に取って代わられるのは、実はそんなに難しいことではないとサンデル氏は考えています。
公共的な価値観で動いている関係性の中に市場主義を侵入させることは、人々の心を変質させ、ひいては社会の在り方を変質させていく可能性が高い。市場的なインセンティブは、往々にして非市場的なインセンティブであることころの「社会規範」を破壊したり締めだしたりするというのが、この問題に対するサンデル氏の見解です。
イスラエルのいくつかの保育所では、ときどき親が子供を迎えに来るのが遅くなるため保育士を居残りさせなければならないという(よくある)問題に直面していたということです。この問題を解決するため、保育所では迎えが遅れた場合には罰金を徴収することにしました。するとどういう事態が起こったか。予想に反して、親が迎えに遅れるケースが増えてしまったということです。
サンデル氏は、人が(市場的な)インセンティブに反応すると仮定すれば、これは理解しがたい結果だとしています。それでは、そこに何が起きたのか。これを氏は、「お金を払わせることにしたことで(親たちの)『規範』が変わってしまった」からだと説明しています。
以前であれば遅刻する親たちは保育士に迷惑をかけているという後ろめたさを感じ、預かっていてくれる保育所に感謝していた。しかし、お金を払うことになったとたん、罰金を「料金」として勘定し、保育士の「善意」に甘えているのではなくお金を払ってサービスを受け取っていると考えるようになったということです。
「お金」で買えないものがあるのかないのか。お金で「買う」ことで失われるものがあるのかないのか。
ものの価値を(金銭で)定量化するということは、人の価値観を変えることに他ならない。金銭に換算することは、人がそれぞれに「大切」にしてきた様々なもの事の価値という重要な「社会資本」を壊すことに繋がっているとするサンデルの指摘を、私もこの著書で大変興味深く読んだところです。
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