MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯253 グローバル社会は人間を不幸にするのか

2014年11月13日 | 本と雑誌


 今からちょうど25年前の1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊し、それまでは壁の向こうにある「東側」の(自分とは直接関係のない世界に暮らしていると考えていた)大勢の人々が、突如として「こちら側の世界」にやって来ることとなりました。

 「壁の崩壊」は、政治的なイデオロギーの再編ばかりでなく、人々の様々な思いを一度ごった煮にしたうえで、「幸せ」や「豊かさ」というものに対する新しい尺度や価値観の再構築をを社会に求め、そして世界全体を(その時点では思ってみ見なかったような)「大競争時代」に突入させたと言うことができるのかもしれません。

 社会心理学者の山岸俊男氏は、こうした時代の変化が社会にもたらした影響を振り返るとともに、現在の「グローバル社会」の実態を、著書「リスクに背を向ける日本人」の中で独自の視点から整理しています。

 グローバル化は、「政治の壁」ばかりでなく、基本的に「労働」と「資本」のバランスを完全に崩してしまったと山岸氏は指摘しています。

 ベルリンの壁が崩壊しグローバル化が進む以前は、一つの国の中で労働と資本はある程度独立していました。一方、現在では、 世界の「一体化」やITプラットフォームの共通化などによって資本は国境を超えて自由に移動できるようになっています。

 しかし、それでもその国で生活する労働者はそれに合わせて動き回ることはできないのが普通です。つまり、ある国で労働力が高くつくようになると、資本は別の国に移って安い労働力を使うことができるので、労働者は資本に対し非常に弱い立場に立たされるようになったということです。

 こうした環境下では、一国の中で労働者がいくら団結しても、資本に移動されればそうした団結は無意味になってしまうため、(代替が効かない特殊な能力を持った人を除けば)労働者は他国の労働者と賃金や労働の強化で競争をせざるを得ない状況におかれていると山岸氏は言います。

 氏はまた、ソ連に代表される社会主義圏が厳然として存在していた間は、労働運動の高まりに対する(政治的)脅威が資本主義国の政治家や経営者の間にあり、それがひとつの緩衝材の役割を果たしていたと説明します。さらに、国境を超えた資本や物資の移動も政治的な理由からある程度制限ざれていたので、労働力の安売り競争にもそれなりの歯止めがかかっていたということです。

 しかし、そうした制約が無くなってしまった現在、先進国の労働者と途上国の労働者との間の労働条件の格差が無くなるまで、資本はどんどん移転していくことが可能である。つまり、日本の中だけで競争のない社会を作っていこうとしてもそれば土台無理な話で、今日の日本を(そして世界を)席巻している競争主義はグローバル社会の中で構造的に育まれたものだというのが、この問題に対する山岸氏の認識です。

 氏は、グローバル社会が生み出す大競争は人間を不幸にすると断じる一方で、競争を抑え込む集団主義的な秩序も、人々の自由と自己実現の妨げになるものだと指摘しています。

 穏やかな喜びである「幸せ」と、強烈な喜びである「悦び」とは本来違う種類の感情だと山岸氏は言います。「悦び」は特定の行動の結果に伴う感情で、「幸せ」は状態についての感情と言えるかもしれません。そして人間は、本能とも言える「悦び」の感情(達成感)に突き動かされて、しばしば「幸せ」とは逆の方向の行動をとってしまいがちだということです。

 多くの国々で「収入」と「幸福感」の関係を調べた調査により、収入が低い場合は収入と満足感の間には正の相関がみられるが、ある程度以上の豊かさがあればそれ以上の豊かさは人々の満足度を増やさないことが知られているそうです。

 確かに、身近な共同体の中で温かな関係を作る方が、自己実現とか、目標を目指して生きることより大切だと感じる人も多いと山岸氏は言います。そしてそうした人々は人々の「思い」によってそれが実現可能だと信じており、そうした信憑が広がること、つまり人々の「心がけ」によって創始や世界がやってくるはずだと考えているということです。

 実際、今の社会が人々を不幸にしているのはマーケット主義的な競争原理が人々の倫理を破壊しているからだとする考え方は、日本においても多くの人々に説得力を持って受け入れられているようです。しかし、こうした倫理性は単なる「心がけ」の問題ではなく、同時に「制度」の問題だというのが山岸氏のこの問題に対する見解です。

 倫理的に行動する人が馬鹿を見ることなく、あるいはそのことにより利益を得られるような仕組みが社会の中になければ、結局は人々の間にそうした倫理は受け入れられない。社会制度の基盤なくして倫理は維持できないと山岸氏は言います。

 さて、ベルリンの壁の崩壊から四半世紀。世界的に広がる競争主義の中、世界の人々は「喜び」と「悦び」の間でどのように折り合いをつけようとしているのか。

 「競争主義はけしからん」とか「思いやりのある社会を作る」といった、「心がけ(倫理)」を叫ぶだけではこうした問題は解決できないと、山岸氏は繰り返し指摘しています。競争主義がグローバル社会の構造的な問題であればこそ、人々の「悦び」の存在を前提とし、人間の感情を踏まえた「等身大の制度」として社会に組み込まれていく必要があるとする山岸氏の指摘を、今回大変興味深く読んだところです。



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