MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯233 資本主義の終焉と歴史の危機

2014年10月04日 | 本と雑誌


 日本大学国際学部教授で経済学者の水野和夫氏は、国際金融の現状や問題点を文明史論を踏まえたマクロ経済の視点から捉えなおした著作で知られています。

 (誤解を恐れずに敢えて一言で言ってしまえば、)水野氏の様々な著作の基本に流れるのは、新自由主義を基調とするグローバル経済への不信感と、その新自由主義から社会を守るために我々は今何をなすべきかという、資本主義の現状への危機感ということになるのかも知れません。

 「利子」というものが制度上明確化された12世紀から13世紀のイタリアを端緒とする資本主義は、収奪する側の「中心」と、される側の「周辺」から構成される資本拡大のシステムであるというのが、水野氏の基本的な認識です。この資本主義は、その後数百年にわたり世界中に「周辺部」(フロンティア)を広げることによって、その時々の「中心部」が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進してきたと水野氏は指摘しています。

 しかし、現在、資本主義はいよいよ地球の果てまで市場や資源を開発し尽くし、地球上にはもはや手つかずの未開地は残されていないという危機的な状況に直面している。つまり、我々は「成長」の前提として必要となる搾取の対象を、ついにしゃぶり尽くしてしまったのではないかというのがこの問題に対する氏の見解です。

 「失われた20年」を経験してきた日本を筆頭に、アメリカやヨーロッパでも政策金利は概ねゼロとなり、長期の国債利回りも先進各国で超低金利となっています。このことはつまり、資本の自己増殖が限界を迎えいよいよ不可能となってきていることの証左であると水野氏は指摘しています。

 資本は、フロンティアとしての地理的・物理的空間(実物投資空間)からも、さらには「電子・金融空間」からも利潤を上げることが難しくなってきている。先に述べたように資本主義が資本を自己増殖させるプロセスであるとすれば、そのプロセスである資本主義が終わりに近づきつつあると捉える事が必要だということです。

 水野氏は、近著「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)において、資本主義の持つ(ある意味)凶暴な性格と、これを抑え込んできた先人たちの知恵に触れています。

 安倍政権が進める経済政策「アベノミクス」の成長戦略の基本は、「規制改革」、つまり政府や慣行による規制の緩和にあります。しかし成長・拡大のためにこれまで社会が積み上げてきた英知を捨象するこうした日本の経済政策について、水野氏は厳しく疑問を投げかけています。

 むき出しの資本主義のもとでは、少数の者が利益を独占してしまうのは必定だと水野氏は言います。現代の自由主義者が唱えている規制緩和とは、要するに一部の強者が利潤を独占し効率良く投資を回収できる環境を整えることが目的なので、そのような政策を推進していけば、国境を超える巨額の資本やグローバル企業だけが勝者となり、ローカルな企業や中間層はこぞって敗者に転落していく宿命あるという厳しい指摘です。

 水野氏によれば、19世紀の終盤から20世紀の約100年間を見ると、近代資本主義により豊かな生活を享受できたのは地球の全人口のうちの概ね15%でしかなかったということです。そんな中で曲がりなりにも資本主義が延命できたのは、その過程で資本主義の暴走にブレーキをかけてきた経済学者や思想家がいたからだと氏はここで述べています。

 「徳の道」を説いた18世紀のアダム・スミス、「資本論」を著し社会主義革命により国家体制をも動かした19世紀のカールマルクス、そして大きな政府の礎を築いた20世紀のケインズなど、資本主義の自己崩壊を抑えてきた先人の英知を、氏が指摘するように、現代に生きる我々はもう一度見直してみる必要があるのかもしれません。

 さて、失われつつあるフロンティアに話は戻ります。「地理的・物理的」な空間が消滅してもなおフロンティアを追い求めるとすれば、新しい「空間」を作る必要がある。それが「電子・金融空間」だったと水野氏はこの著作で説明しています。

 地理的・物理的空間では、先進国と後進国の間に見えない壁が置かれそこに収奪のシステムが築かれたわけですが、IT技術と金融工学を駆使したグローバル資本主義は、いったんその壁を取り払って新たに壁を作り出すためのテクニカルなイデオロギーであったとここで水野氏は述べています。

 一定の資本を有する者がグローバルな金融市場に参入し、レバレッジを効かせて実態経済を大きく上回る規模で取引を行うことで自らの富を増殖させていく。それはつまり、先進国内に見えない壁を作り、実態経済の中で収入を得ている下層の人達から上層のごく一部の人達へ富の移転を図っていることに他ならないと水野氏は述べています。

 つまり、グローバル資本主義とは、地図上の世界の中に無くなったフロンティアを、社会の均質性を消滅させることにより新たに国家の内側に生み出していくための(ある意味)「便法」であり、国内における格差をさらに助長している原因になっているということです。

 さらに水野氏は、こうした「電子・金融空間」で成長を求める経済活動は、「未来からの収奪」に繋がっている可能性が高いと指摘しています。

 金融空間では、需要を先取りすることで利益を上げる金融商品が主力になっており、こうした市場では将来価値を過大に織り込むことで利益が極大化することになる。つまり、このような取引は将来の需要を見込んでいるという意味で、結果的に、本来将来の人々が享受すべき利益を先取りしていることになるという指摘です。

 しかも、この「電子・金融空間」においてマーケットが過剰に反応すればするほどバブルのリスクが高まることも大きな問題だと水野氏は懸念を示しています。レバレッジを効かせた取引はバブルが崩壊すれば巨額の債務として市場を混乱させ、場合によってはその処理のために国家財政にも大きな影響を及ぼしかねません。

 さらに言えば、資本がなり振り構わず利益や市場の拡大を目指すことは、地球環境や限られた資源の活用という側面からも、未来世代から収奪することに他ならないとの指摘もあります。

 もはや拡大、成長の余地はないのに無理やり拡大すれば、風船が弾けるように収縮が起こるのは当然だと水野氏はこの著書で結論付けています。

 リーマン・ショックは金融工学によってまやかしの「周辺」を作り出し、信用力の低い多くの人々の未来を奪った。リスクの高い技術によって低価格の資源を産みだそうとした原子力発電も、3.11の事故により未来世代に対して放射能汚染という大きな災厄をのこしてしまった。そして今、資本主義は、未来世代が受け取るべき利益も環境もエネルギーもことごとく食いつぶし、巨大な債務とともに人類の存続をも脅かす負債を残そうとしている。

 そうした中、私たちがこれから取り組むべき最大の課題は、この膨れ上がった資本主義をどのようにして終わらせるのかの一点にあると水野氏は指摘しています。新自由主義を突き詰めることによるハードランディングに身を委ねるのか、あるいはそこに一定のブレーキをかけソフト・ランディングを目指すのか。

 いずれにしても、資本主義の現状をこのまま放置すれば、その代償は遠くない将来、経済危機のみならず、「国民国家の崩壊」や「民主主義の危機」、「地球の持続可能性の危機」という形で社会の中に顕在化してくるのではないかと、水野氏はこの著書の「あとがき」に記しています。

 確かに、実態経済を数倍も上回る資本が仮想空間の中で生み出されている現実が、最終的にどこにその出口を求めるのかは全く予想もできません。

 氏の主張するように、人間の欲望が社会の許容範囲を超える日はそう遠くないのかもしれない。それまでの間に日本は、新しい経済システムやむやみに成長を目指さない「定常化社会」の実現に向けた準備を始めなければならないとする水野氏の指摘を、私も大変示唆に富んだものとして読んだところです。



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