今秋にも実施される衆議院の解散総選挙を占う前哨戦と目されていた7月4日投開票の東京都議会選挙も、終わってみれば(誰が「勝者」なのか)与野党伯仲のうちに幕を閉じ、過労で入院していた(はずの)小池都知事の発信力ばかりが目に付く結果となりました。
ここ数年、首都圏で大きな選挙があるたびにその一挙手一投足が報じられ、常に話題の中心にあるのが小池百合子という政治家です。
こうしたことから、一部には彼女を「政局の鬼」「言葉の魔術師」などと揶揄する向きもあるようですが、東京オリンピックやコロナの洗礼を受ける中、近年では東京都知事の枠を超えますますその存在感を増しているように思えます。
なぜ、状況が混乱すればするほど小池都知事は注目され、「小池劇場」の主役として光り輝くことができるのか。
7月8日の総合経済情報サイト「東洋経済ONLINE」では、コミュニケーション・ストラテジストの岡本純子氏が『「コミュ力お化け」小池氏の「最強コミュ術」大解剖』と題する記事において、今回の都議選でも発揮された「小池劇場」の「妖力」の謎に迫っています。
企業幹部や政治家などのプレゼン・スピーチなどのプライベートコーチングに長年携わりコミュニケーション戦略の研究家でもある岡本氏が、日本のあまたのトップリーダーの中でも特に注目し、時に舌を巻いているのが小池百合子東京都知事だということです。
氏はこの記事で、優れたコミュ力を持ったリーダーには「場の空気をその人色に染める妖力」があると話しています。
登場したその瞬間から、場を支配する「圧」や「気」「オーラ」を発している人は確かに存在する。2017年の都知事選での小池氏の演説にも、それに似た「空気感」を感じさせられたと氏は言います。
緑のたすきをつけた女性支持者たちの熱い視線を一身に受け、駅のロータリーを「緑旋風」に包み込む小池氏。そこに生まれる「場の熱狂度」は、他の候補者とは明らかに違っていたということです。
小池知事の支持率は現在でも「57~59%」と高く、30%台後半の菅首相に比べて高い水準を保っている。「風向き」を読み、何かあれば「国の責任」にし、攻撃の矛先から逃れる身のこなしも見事だが、彼女の「コミュ力」はこのコロナ禍だからこそ、さらにその強みを発揮しているのかもしれないと氏は話しています。
政局の混乱の中でさらにパワーアップする「コミュ力モンスター」小池氏の、「天才的コミュ術」の源泉はどこにあるのか。岡本氏はこの記事でいくつかのポイントを挙げています。
氏によれば、コロナ禍で各国の指導者たちはそれぞれに尽力したが、中でも、ニュージーランドのアーダーン首相、台湾の蔡英文総統、ドイツのメルケル首相のほか、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、デンマークなどで多くの「女性リーダーたち」が大きく株を上げたということです。
「女性のほうが男性より『リスクに敏感な傾向』にある」と言われており、このコロナ問題についても、女性リーダーのほうが、より慎重にリスクをとらえ、断固たる処置を一刻も早くとるという姿勢をとってきた。一方、男性リーダーの中には、「『男らしさ』とはウイルスという敵を恐れず、戦い抜くこと」だという感覚から抜け出せず、命を守ることを最優先する積極的な対応を躊躇する人たちも多かったと氏は言います。
「ウイルス」という見えない敵との戦いに、こぶしを振り上げ、(仮想)敵国をたたくようなレトリックは通用しない。人々に襲いかかる「恐怖」や「不安」、「孤独感」などには、女性の「共感力」が大いに力を発揮するということです。
人の痛みを感じる想像力。寄り添い、勇気づけ、たたえ、励ます「共感力」。数々の研究から、「女性のほうが、人の感情を読み取る、感情を表現する力が高い」という結果が出ているが、確かに、「人の気持ちを察し、悲しみや不安に寄り添う」といった言動にためらいがない女性のリーダーシップに、安心感を覚える人は少なくないと氏はしています。
今回の選挙戦でも、小池氏はそうした「気配り」を随所に見せてきた。ホテル療養者やエッセンシャルワーカへ向けた手紙作戦、子育て中の母親への気遣いなど、たまに会見をやって原稿を読み上げる程度の菅首相と比べると(そこには)大きな違いがあったということです。
さらに、氏が感じる小池氏の最大の凄みは、「絶対に怒りの表情」を見せないことだと氏は指摘しています。
残念ながら、「怒る男性」は許されても、「怒る女性」は非常に嫌われやすいもの。アメリカのヒラリー・クリントン元国務長官や立憲民主党の蓮舫氏がたたかれやすいのは、「怒気」を顔いっぱいに表現するコミュニケーションスタイルを本能的に受け付けない人が多いからだというのが氏の見解です。
そういった意味で、「感情」が顔に出やすい女性はリーダーとして非常に不利になるが、小池氏のすごいのは「怒り」を絶対に表情に出さないところにある。
記者から、あからさまに攻撃や不快なことを言われても、ぐっとこらえて、「どういう意味でしょう」とにこやかに返す姿には、(ある種の)「鬼気迫るもの」があり(それがまた「怖い」のですが)その抑制ぶりは実に見事だということです。
期を逃すことなく権力の懐に飛び込んだり、主義主張を翻したりする「臆面のなさ」や「ずるがしこさ」を「劇場型」と批判する人は多いが、小池氏が、密室の「おっさん政治」に嫌気がさした人たちの期待を吸い上げているのは間違いないと岡本氏は話しています。
「『おっさん』と『おばさん』の戦い」か、あるいは「共闘」か。その行方はまだわかりませんが、もしかしたらそう遠くない将来、私たちは本当に日本初の女性総理大臣の姿を小池氏に見ることになるかもしれません。
そうしたことを考えれば、まだしばらくは彼女の「権謀術数」から目が離せそうもないとこの記事を結ぶ岡本氏の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。
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