少子高齢化の進展に伴い、膨張が続く国民医療費と医療保険の保険料。この10年余りで(現役世代)1人当たりの負担額は4割増加し、年30万円を超えるようになったと日本経済新聞が伝えています。(「医療保険、現役負担4割増 10年超で膨張」2023.9.15)
世界でも評価の高い日本の皆保険制度。全体で見れば、年間40兆円を超える国民医療費の約1割を患者が窓口で支払い、4割を国や地方が負担、残りの5割を保険料で賄っています。
記事によれば、そうした中35~39歳の医療保険料が09年度から20年度の10年間で41%増加し、21.8万円だった1人当たりの年間保険料は2020年度には30.8万円にまで膨らんだということです。
病気にかかるリスクは年齢を重ねるほど増えていく。後期高齢者の1人当たり医療費は年90万円ほどで、65歳未満の5倍近いと記事はしています。生活習慣病による入院治療の機会なども増え、高度・高額な医療のお世話になりやすいということでしょう。
とは言え、個々の高齢者と医療機関との関係で言えば、医療費の増加はそうした生死にかかわるような場面で生まれるものばかりでもなさそうです。
高齢者になると、若いころと違ってあちこち調子の悪いところが出てくるのは当然のこと。「ちょっと眩暈がする」などと言って近所のクリニックに足を運べば、「血圧が少し高いですねぇ」とか「夜眠れていますか?」などと言われ、「じゃ、ひととおり検査しますね」とか「お薬を出しておきましょう」という話になって、気が付けばなんか病人になったような気がしてきてしまうものです。
「人生100年」とも言われるこの時代を、心身ともに健康で生き抜くためには一体どうすれば良いのか。昨年12月30日の経済情報サイト『PRESIDENT Online』に、精神科医で作家の和田秀樹氏が『医者いらずのほうが確実に長生きできる』と題するブラックジョークのような一文を寄せていたので、参考までにその一部を小欄に残しておきたいと思います。
「医療行為をしないほうが死ぬ人は減る」と聞けば、「そんなことはないだろうと」と反発される向きも多いかもしれないが、実際この日本でも、医者いらずのほうが寿命が延びた例があると、和田氏はこの論考に記しています。
氏によれば、有名な例としてしばしば挙げられるのが、「夕張パラドックス」というもの。2006年、北海道の夕張市が財政破綻し、市民病院が廃止になり、19床の診療所となったため、夕張市民たちが病院で医療行為を受ける回数が格段に減った。しかし、こうした状況の中、夕張市ではがんで死ぬ人と心臓病で死ぬ人、脳卒中で死ぬ人の数がすべて減り、老衰で死ぬ人の数だけが増えたと氏は話しています。
また、近年のコロナ禍においても、新型コロナウイルス感染症が日本にやってきた最初の年である2020年、実は日本全体の死者数が驚くほどに減ったという状況に驚かされた関係者は多いとのこと。コロナによって通常の医療が制限を受ける中、一方で(医療行為をしなかったゆえに)病気で死亡者数が減るという不思議な現象が生まれていたということです。
2020年は死亡数が約138万人で死亡数は11年ぶりに減少。本来、少子高齢化が進んでいるため死者数は毎年増えるはずなのに、2020年は前年より死者数が約9000人も減ったと氏は説明しています。
普通に考えれば、コロナ禍によって人がバタバタと亡くなっていったと思いがちだが、コロナが流行ったせいで(この間)医療機関に行かなくなった患者がものすごく増えた。その後の2021年と2022年は史上最大の死者数を更新したが、これは、以前と同じように医者の治療を受けていたら死んでいた人たちが、一年間寿命が延びた結果だと考えれば十分に説明がつくということです。
そして、この間のもう一つの特徴は老衰が大幅に増えていることだと氏はしています。これも「医者に行かなければ、病気で死なないで自然に死ぬことができる」ということの証左となるということです。
言葉は悪いですが、朝早くからせっせと病院に足を運び、あそこが痛い、ここが調子悪いと(まるで自慢をするように)訴えるお年寄りたちが多いことに、確かに違和感を感じないわけではありません。
病は患者と医者が作り出すもの。医者が無理やり病気をつくった結果、本来は治療しなくてもよい人が治療する羽目に陥っているケースが驚くほど多いことが、これらの事例からわかると話す和田氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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