MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯392 みんなで夏休みをとろう

2015年08月11日 | 日記・エッセイ・コラム


 8月中旬と言えば日本ではいわゆる「お盆休み」に当たり、休暇をとって海外や国内のレジャーに向かうご家庭も多いことと思います。㈱リクルートの調査によれば、昨年のサラリーマンの夏季休暇の平均日数は6.13日で、お盆周辺の曜日の並びの影響が大きいものの、少しずつではありますが年々増加傾向にあるようです。

 世界的に見た日本人の労働時間の長さについては以前から指摘されていましたが、最近では特にサービス産業などにおける労働生産性の向上が、日本経済の大きな課題として認識され始めているところです。

 そうした中、ホテルや航空券など旅行関連予約サイト大手の「エクスペディア」が2014年に世界25か国の18歳以上の有職者7,855名を対象に行った調査の結果が公表され、日本は有給休暇消化率で7年連続の最下位からついに脱却したという報道がありました。

 2013年における日本の有給支給日数は前年より2日増えて20日となり、消化日数も3日増えた10日となった。これにより日本の有給消化率は50.0%となって、7年連続の世界最下位から抜け出すことができたということです。

 なお、日本に代わっての最下位は、支給日数14.6日、消化日数7日で消化率48%の韓国だったとされています。また、日本に次いで3番目に有給消化率が低かったのはマレーシアの71%。逆に有給消化率が高かったのはブラジル、フランス、スペイン、オーストラリアで、いずれも100%であったということです。

 また、同調査では、有給休暇を取得する際の「罪悪感」についても聞いています。アンケートへの回答を見ると、有給休暇を取得する際に「引け目」のようなものを強く感じる日本人は全体の26%に及び世界最多ということです。一方、メキシコやスペインでは日本の3倍に当たる77%の人が「まったく感じない」と回答しており、国民性の違いが顕著に表れる結果となっています。

 さて、そんな日本人の「夏休み事情」に関し、クリエイターによるコラムサイト「cakes」に、フランス在住のライターである中村綾花氏が、『日本人はどうして長く夏休みをとれないのか?』と題する興味深いコラムを掲載しています。

 7月の半ばを過ぎバカンスシーズンに入ったパリは「まるでゴーストタウンのようだ」と、フランス人と結婚しパリに暮らす中村氏は述べています。この間、近所のスーパーは閉店したり改装したりのやりたい放題で、パリジャンたちの主食であるパン屋さえもが閉店。仕事をしようにも、この時期はほとんどのカウンターパートと連絡が取れなくなるということです。

 それに比べ、日本のサラリーマンたちは40度近い酷暑の中、8月に入っても毎日会社に出勤し普段と変わらぬ様子で仕事を続けています。日本を出てみた彼女が感じるのは、そうした環境を実は日本人自身が生み出してしまっているからではないか?という疑念です。

 中村氏はその原因を、日本では異常なまでに「質の高いサービス」が当たり前になっている状況にあるのではないかと考えています。

 (良い悪いは別にして)ことパリにおいては、店に入っても「客は店員以下」の立場が普通だと中村氏は言います。お客よりも働く人の都合が優先されるので小銭がなければ品物を売ってもらえないこと多いし、バカンスでお店が閉まっていても文句を言う人は少ないということです。

 しかし、そんな彼女もたまに日本へ戻ってくると、日本では「お客様」はいまだ神様として大切に扱われていることに改めて気付かされると言います。マニュアルにそった完璧な作業に笑顔が添えられ、素早い神業でレジを打つ店員さんからは「ありがとうございました」の言葉とともにあっと言う間にお釣りを手渡される。パリでは絶対に見られない一生懸命働く人たちを見ると、「おー、日本に帰って来たな」と感動するということです。

 一方、このような「最上級のサービス」に慣れている日本人たちは、まるで過保護に育てられた我儘な子供のようにそうした扱いに甘えているような気がすると中村氏はしています。

 ユニクロで買い物をしていると、50歳代前後の(専業主婦と思しき)女性客が店員に向かい敵意むき出しでクレームをつけている。「ね、奥さん。ここはシャネルじゃなくって、ユニクロですよ。たった一枚のパンツの取り置きでそこまで責めなくったって…」と、割って入りたい気持ちに駆られるということです。

 こうした日本のサービスは世界的に見ても本当に素晴らしい。店員さんも丁寧で一生懸命働いている。しかしこれは「サービスを受ける側」にとって快適である一面で「サービスを提供する側」に過剰な労働をもたらし、どんなに働いてもまだ足りないという事態を生み出しているのではないかと中村氏は指摘しています。

 氏は、パリのようにいい加減で誠意を持って働かない人が多い街では、その分自分も(それほどは一生懸命)働かなくても許される(ある意味「ゆるい」)空気があるとしています。日本人である彼女でさえも、そう考えると肩の力が抜けてきて、「ま、お互い人間だからね」といい加減な感じになれるということです。

 働き過ぎて仕事が続けられなくなったり、ましてや過労で死んでしまったりするなんて、個人にとっても会社にとっても、日本にとってもいいことなど一つもないと中村氏は断じています。一生懸命働く日本人を見ていると、「そんなに働かなくたって別にそう困ることはない。働かないことにも慣れましょうよ。」と声をかけたくなるということです。

 人生における「労働」のウェートは、人がらやお国からで確かに随分と違いがあることでしょう。しかしながら、グローバル・スタンダードに飲み込まれているわが日本において、「皆勤賞」が意味を持つ時代はもうすでに過去のものとなっているのもまた事実です。

 「勤勉さ」が美徳とされてきた日本においても、「こんな忙しい時に休むなんて」とか「人が働いていない時にこそ働く意味がある」などと言う上司はさすがに天然記念物と言えるかもしれません。それでも、仕事に対する国民全体の意識を変えていくためには、まずは顧客としての立場から「働く人の立場に立ってものを考える」という、ある種の「余裕」が必要ではないかとする中村氏の意見を、私も大変興味深く読んだところです。





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