「エイジング」という言葉を聞いて最初に思い浮かべるのは、飲み物や食べ物の「熟成」という作業でしょうか。ワインだとかウイスキーだとか泡盛だとか、お酒の中にはより良い品質に変質させることを目的として、一定の環境に何年もの間保存しておくことで新たな価値を生み出すものがあります。また、ジビエや牛肉など、一定の熟成期間を置くことで肉に含まれる蛋白質を(多くは酵素の力で)分解させ、旨味を増すといった調理法もあるようです。
時間の経過によって風味が増すと言えば人間だって同じこと。通の間で「名人」と呼ばれるような歌舞伎役者や落語家など、(「渋み」というか「円熟」というか)、人生経験が醸し出す得も言われぬ雰囲気をまとった大御所を、あれこれ思い浮かべるのは楽しい作業です。
とはいえ、エイジングの原義は年齢を重ねていくということ…つまり「加齢」を指す言葉です。近年の医療や美容の世界では(社会の高齢化を踏まえ)「アンチ・エイジング」が重要なテーマとなっていますが、「加齢」すなわち「老化」をどのように防ぎ、また「活かして」行くのかが今問われているということなのでしょう。
こうして、近年注目されるようになったこの「エイジング」。実はマーケーティングの世界でも、これからの市場を占う重要なキーワードとなっているようです。11月18日の日本経済新聞のコラム「経済教室」に、慶応義塾大学教授の白井美由里氏が『消費者の行動を考える(7) ―「エイジング」の理解が重要』と題する一文を寄せていたので、その指摘の一部を紹介しておきたいと思います。
高齢化の進行に伴い高齢者市場が大きく課題する中、エイジング(加齢)が消費者行動に及ぼす影響を理解することが重要になっていると白井氏はコラムの冒頭に綴っています。
氏によれば、人間の記憶には情報を長期的に保持する「長期記憶」と、取得した情報や長期記憶から想起した情報を用いながら思考する「作業記憶」がある由。両者とも加齢で低下することから同時に処理できる情報量が減るため、人は齢を重ねるにつれ多くの商品を比較しながらの選択が難しくなるということです。
情報探索の部分で言えば、(高齢になるに従い)「探索時間の短縮」や「検討するブランド数の減少」といった収縮効果が見られるようになるとのこと。このため高齢者には、若者に比べリピート購買が増え、長く存在するブランドを好む傾向があるということです。
ブランドへの愛着や郷愁、慣性など、高齢化によって顕著になるのが、感情的な情報をベースにした意思決定だと氏は話しています。感情的に意味のあるゴールを設定し、感情状態のバランスや後悔の回避、満足の最大化を重視する。例えば、コーヒーのフレーバーの楽しみ方を表現した広告は、コーヒー豆の種類や鮮度などを記述した広告よりも好まれ、記憶されやすくなるというのが氏の見解です。
加えて、ポジティブ感情の強化に焦点を当て、ネガティブな刺激や情報を避ける傾向も強くなる。さらに情報の処理量が限られるため、自分と関連し、自分にとって意味のある情報を選ぶようになるということです。
一方、様々な年代の消費者を対象にした製品やサービスの満足度調査から、高齢者は多くの製品やサービスに対する満足度が相対的に高いという結果が報告されているというのが氏の指摘するところ。新製品情報への関心が低下し、基本的なニーズを満たす製品やサービスへの満足度が高くなると氏は説明しています。
高齢者は時間を有限と捉えるため、「今満足する」ことに視点を置くことも、満足度の高さにつながる由。また、その「満足度」や「幸福感」の捉え方も高齢者と若者では違っていて、高齢者は日常的な経験を幸福感と関連づけつが、若者が結びつけるのは非日常的な体験だということです。
そういえば、以前にも少し書きましたが(♯2651 バイクはもはや年寄りの乗り物))近年では「旧車」と呼ばれる1980年代製のオートバイが市場でもてはやされ、時には数百万円の高値で取引されているとのこと。「ノスタルジー」とても呼ぶのでしょうか。若い時分には(高価で)手に入らなかったオートバイを磨いたり、週末ちょっと乗ったりしながら仲間内でめでる高齢者の気持ちもわからないではありません。
市場は、「時代を映す鏡」とはよく言ったもの。高齢者は穏やかさに、若者はわくわくすることに幸福を感じるため、製品やサービスに求めるものは大きく異なると話す白石の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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