MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1534 非正規拡大の実像

2020年01月24日 | 社会・経済


 国税庁の民間給与実態統計調査によれば、民間企業で働く会社員やパート従業員が2018年の1年間に得た平均給与は前年比2.0%増の440万7000円で、折からの雇用環境の改善などを受け6年連続で増加しているということです。

 金額だけを捉えれば約10年の歳月をかけて(ようやく)2008年9月のリーマン・ショック前の水準にまで戻した格好になりますが、それでもピークを打った1997年の467万3000円にはまだまだ及ばない数字と言うこともできるでしょう。

 これを男女別に見ると、男女では男性は545万円なのに対し、女性は293万1000円と男性の約6割の水準に過ぎません。雇用形態別では、役員を除く正規社員が503万5000円である一方非正規雇用者ではおよそ179万円にとどまり、両者の格差は一貫して広がっていることがわかります。

 また、1年を通じて勤務した人は過去最多の5026万人(うち女性は2081万人)に達していますが、そのうち正規雇用者は1.0%増の3322万人、非正規は3.0%増の1167万人と労働市場全体のおよそ4割を占めるまでに拡大していることにも驚かされるところです。

 さて、このような数字を見ていくと、年々サラリーマンの所得格差が広がり、非正規での就労を余儀なくされた多くの国民の暮らしぶりは、(貧困に向け)年々厳しい状況へと追いやられているように感じられます。

 一方、12月31日の日本経済新聞のコラム「経済教室」では、大阪大学教授の小原美紀氏が「労働巡る負の連鎖を断ち切れ」と題する論考において、こうしたデータの読み取り方について示唆に富んだ(ある意味「冷静」な)視点を提供しています。

 非正規労働者の経済厚生を議論する場合には(まず)統計の「慎重な整理」が欠かせないというのが、この論考における小原氏の基本的な立場です。

 それは、先入観に基づく感情的な意見や印象に基づく議論では、本当に必要な政策にたどりつけないから。特に、(様々な切り口からの)統計を分析する際には、いくつか注意が必要だと氏はこの論考に記しています。

 この問題に関して言えば、第1に非正規労働者を世帯として把握する必要があるということ。特に非正規が家計を担う者であるかどうかを見ていかなければならないというのが氏の示すポイントです。

 ある人が非正規労働者だったとしても、その人の世帯に安定した所得を得ている者が存在すれば、各世帯員の経済厚生は低くなりにくいと小原氏はしています。

 (逆に言えば)世帯の状況を考えずに個人が非正規かどうか「だけ」を見てその人の経済厚生を把握しようとすれば、それは非正規労働による経済厚生の低さを過小評価することにもつながりかねない。その点、世帯全体で分かち合うと考えられる消費に注目して経済厚生を計測すれば、この問題は小さくなるというのが氏の見解です。

 第2に、非正規労働者の所得や消費が低いとしても、それがただちにその人の経済厚生の低さを表すわけではないと氏は指摘しています。

 所得や消費よりも、個人や家庭の様々な事情の中で「非就業時間」の長さを求める者は当然に多い。(例えば)子育て中の者がそうだろうし、学業がメインとなる学生だってそうかもしれない。消費だけでなく個人にとっての時間の価値の考慮も重要だということです。

 そして第3に、経済厚生を計測する場合には、所得や消費といった金銭的な側面だけでなく、非金銭的な側面も考慮する必要があると小原氏は考えています。

 例えば精神的なものも含めた健康状態や資産の状況など、比較的時間にゆとりがある(または、心身への負担を抑えたい)高齢者が増えた現在では、見過ごせない要素になると氏は説明しています。

 小原氏によれば、これらに気を付けながら2人以上世帯に関する統計を整理すると、(当たり前と言えば当たり前ですが)主に家計を担う者が非正規である場合、所得や消費の水準が低いことがわかるということです。

 また特に既婚女性が非正規として働く場合には、働かない場合や正規として働く場合よりも精神的な健康状態が悪くなる傾向がみられると氏は指摘しています。

 いずれにしても、低賃金の中で生活に苦しんでいる非正規雇用者に対する政策を議論する場合には、その人が「働けない」のか、それとも「働かない」のかを(データとして)きちんと識別しなければならいあというのが、この論考で氏の主張するところです。

 貧困層を含む低所得階層で、人々が純粋に外的な理由で行動をとれないならば環境を改善する必要がある。本人の能力不足や家庭環境の悪さにより就業に関する質の高い情報を得られないのなら、それを与える場所を作らなければならない。

 しかしその一方で、実際は行動可能なのに行動をとろうとしないのならば、環境整備にどれだけ資金を投じても効果は見込めないというのが氏の見解です。

 小原氏はこの論考で、「注意すべきは、賃金格差は貧困とイコールでないこと」だと指摘しています。

 賃金が個人の労働の対価であるのに対し、貧困は世帯所得の問題となる。貧困か否かには、賃金のみならず世帯内の就業者や扶養家族の人数が密接に関わっており、さらに個人の賃金分布と世帯の所得分布は一致しないということです。

 さて、現在の日本では、総人口の減少や高齢化の進展により生産年齢人口(15~65歳人口)が減少し続ける中、(団塊の世代がリタイヤの時期を迎えているにもかかわらず)実際の就業人口は拡大の一途をたどっています。

 この状況の意味するところは、(恐らく)定年を迎えた正規雇用者の労働市場からの退出を上回る勢いで、女性や高齢者の就業が進んだということ。そして、その就業先の多くが非正規としての雇用だったと捉えれば、話の辻褄は合ってくるでしょう。

 かつて、サザエさん一家(大人4人、子供3人と猫1匹)の家計を支えていたのは、(正規社員の)サラリーマンとして働くお父さんの波平さんと娘婿のマスオさんの二人だけで、それでも何不自由なく世田谷の一軒家の生活が維持できていました。

 波平さんはあと1年で定年を迎え、(恐らくはそれなりの額の)退職金を受け取り、その後は役職を外されるつまらぬ再雇用などを考えることなく、悠々自適の年金生活に入っていけたことでしょう。

 しかし、バブル経済崩壊以降の厳しい経済環境下、(気が付けば日本は)お父さんたちだけが働く世の中から、お母さんやお爺ちゃん、さらにはおばあちゃんまでも、皆なで働く世の中に変わってしまいました。

 令和の時代を迎えたサザエさん一家では、定年を迎えた波平さんは(給料は半分になりましたが)引き続き同じ会社で非正規の再任用社員として仕事を続け、正社員はまだ薄給のマスオさん一人となっています。

 当然、サザエさんはタラちゃんを保育園に預けて駅前の不動産屋に事務のパートに出かけていますし、フネさんも(私が頑張らねばと)カツオやワカメの進学資金を貯めるべく、週3日でスーパーのレジ打ちのアルバイトをしているかもしれません。

 しかし、磯野家にはそれでも時価1億円を超える資産となった世田谷の一軒家はありますし、これまでの蓄えを合わせればカツオやワカメを私立大学に行かせることくらいは簡単にできるでしょう。

 非正規雇用者の増加やそれに伴う経済格差の拡大は現代社会に大きな影を投げかけていることは事実でしょうが、(そう考えていくと)非正規の増加こそが「貧困」の直接的な原因かと言われれば、確かになかなか難しいところがあるかもしれません。




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