MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1241 逮捕されたらどうなるか?

2018年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム


 カルロス・ゴーン日産自動車前会長が11月19日に金融商品取引法違反の容疑で逮捕されてから、間もなく丸20日が過ぎようとしています。

 日本では検察が逮捕した容疑者の拘束期間は48時間とされており、検察側の勾留請求が裁判所から認められれば10日間、さらに裁判所が了承すれば10日間の延長が可能で、勾留期間は最長でも20日間ということになります。

 当然ゴーン氏はその間「容疑者」として拘置されているわけで、起訴をされていない現在の状況下では(人権上)決して犯罪者として扱われるべきものではありません。

 しかし、NHKをはじめとした多くの国内メディアではゴーン氏の有罪を前提とした報道が続いており、「地に落ちたカリスマ」「強欲の報い」などといった一方的な内容のものも目につきます。

 ゴーン氏の逮捕事由は有価証券報告書虚偽記載容疑で、その内容は、2015年3月期までの5事業年度の役員報酬99億9800万円を49億8700万円とした虚偽の有価証券報告書を関東財務局に提出したというものです。

 少しわかりにくいのですが、(どうやら)過少計上した50億円はゴーン氏が受け取る役員報酬の先送り額であり、報道によれば、高額報酬の批判を避けるためこれを退職後に顧問料などの名目で受け取ることを企図していたとされています。

 これがどれほどの「悪事」であるかについて、上手く説明できているメディは今のところ見当たりませんが、いずれにしてもゴーン氏逮捕に踏み切った東京地検特捜部は国際社会の耳目が集まる中で、ここ1日、2日の間に各国が納得できる結論を示す必要があるということです。

 それにしても、今回のゴーン氏逮捕の報道を通じ、日本の司法制度、特に容疑者の拘留の在り方が(人権への配慮を欠くものとして)改めて世界中から注目されているのも事実です。

 その一例として、12月8日の東洋経済onlineに掲載されていた仏「フィガロ」紙東京特派員のレジス・アルノー氏による「拘置所に入ったゴーンが過ごす異常な日常」と題するレポートを、ここで紹介したておきたいと思います。

 このレポートによれば、今回のゴーン氏の逮捕に関し11月26日のウォール・ストリート・ジャーナルは「(カリスマ経営者として尊敬されていたゴーン氏は)起訴されることなく何日間も勾留され、弁護士の立会いなしに検察から尋問を受けその地位を追われた。これは共産主義の中国で起きたことではない。資本主義の日本で起きたことだ」と記しているということです。

 ゴーン氏が拘留されている東京の小菅にある東京拘置所には、被勾留者のほか、受刑者や死刑囚も収容されており、死刑執行室もあるとアルノー氏はこのレポートに綴っています。

 ソビエト連邦のスパイだったリヒャルト・ゾルゲの絞首刑が行われたのもこの拘置所で、7月にはオウム真理教教祖の麻原彰晃の死刑もここで執行されたということです。

 さて、逮捕されたゴーン氏には、一体どのような状況が待ち受けていたのか?

 小菅に到着した被勾留者は、まず一連の質問に答えなくてはならないのだが、異なる刑務官から(プレッシャーをかけるかのように)何度も同じ質問が繰り返される。そしてその上で、(入れ墨の有無などの)身体的特徴をチェックするため裸にされて絵を描かれるとアルノー氏は説明しています。

 それは、暴力団の人間が受けるような非常に侮辱的なもので、全裸にされ性器の状況まで確認されるということです。

 被勾留者が利用する畳の独居房の広さは約3畳。部屋には布団と小さなテーブル、そして座布団があり、壁には流しがついている。お皿とお椀が1枚ずつ与えられるが鏡はない。

 正面ドアには明かりを取るための穴が開いており、食事を出し入れする小窓が付いている。部屋に暖房器具はないなど、氏は(日本人もよく知らない)拘置所の拘留環境を細かく説明しています。

 アルノー氏によれば、被勾留者日常は午前7時に流される音楽で始まり、自分で布団を畳んだ後、点呼。朝食はご飯とみそ汁で、器は洗ってから刑務官に返す。基本的に3食こうした形で提供され入浴は週に2、3回できるということです。

 そして、最もつらいと思われるのは、1日中、居室内で一定の姿勢を保っていなければならないことだと氏は説明しています。

 布団に寝そべることも、その上に座ることも許されていない。1日中、座布団の上で特定の姿勢で座っていなくてはならない。午後7時になると部屋の電気が半分暗くなるが、ベッドに行くこともできなければ本を読んだりモノを書いたりすることもできない。そればかりか部屋の中では(終日)、話すことすら許されていないということです。

 面会はなかなか認められず、現にゴーン氏は家族と面会できていないと氏は指摘しています。ゴーン氏が嫌疑を否認していることから、同氏が家族との面会を希望しても、それが受け入れられる可能性は低いということです。

 こうして見ていく限り、日本における逮捕と勾留の状況は、ほかの先進国の民主主義の標準から大きくかけ離れているというのがこのレポートにおけるアルノー氏の認識です。

 ゴーン氏は起訴すらされておらず、現時点では無罪と推定され、罪を犯していない人として扱われるべきである。それにもかかわらずすでに2週間以上勾留され、拘置所の中でもこうして自由をひどく奪われていると、氏は日本の司法制度を厳しく非難しています。

 さて、(そうは言っても)確かに、証拠隠滅を図る恐れがある場合などにおける容疑者の拘留は(状況に応じて)必要になる場合もあるでしょう。

 しかし、少なくともその時点では犯罪者ではありません。それにもかかわらず、取り調べに弁護士も立ち会わせず、社会から隔離してプレッシャーを与え孤独の中で被拘留者を追い込むような現在の拘留の状況は、確かに人権に対して鈍感な日本の司法制度の前時代性を物語っていると言っても仕方がないかもしれません。

 実は私も、(人に頼まれ)2回ほど警察署の留置場に拘留されている被拘留者の面会に行ったことがあります。薄暗い地下の留置場に他の留置者と一緒に押し込められた彼らは(その環境に)一様に憔悴しており、正気を保つのがやっとの状態であったことを思い出します。

 「そんなの自分には関係ないよ」と高を括っている私たちだって、いつ何時、何かの手違いで警察に逮捕されるかもしれません。

 こうした機会を奇貨として、国際社会からの批判を梃に被疑者の拘留環境の見直しを図るべきだと考えますが、皆さんはどうのようにお考でしょうか。



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