MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2694 秋篠宮家の「ご難場」

2024年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 11月に行われた記者会見で、安定的な皇位継承のあり方について問われた秋篠宮皇嗣殿下が、「皇族は生身の人間」と述べ、宮内庁は影響を受ける皇族の考えを理解する必要があると指摘したことがネット上で話題を呼びました。

 殿下の指摘は、(ご本人のお言葉によれば)「宮内庁の幹部は、その人たちがどういう考えを持っているかということを理解して、若しくは知っておく必要があるのではないか」というもの。つまり、(制度の問題として)勝手に議論を進めるんじゃなくて、自分たち(当事者の)の意見をしっかり聞いてほしい…ということなのでしょう。

 会見で示された殿下の御意向を受け、宮内庁の西村泰彦長官は12月12日の定例記者会見で、「まさにそのとおりで、十分お話を伺う機会はなかったと反省している」と述べたと伝えられています。

 まあ、部外者から見れば、記者会見で世論に訴えたりせず(長官に)直接言えばいいのに…と思わないでもないですが、既に宮内庁と秋篠宮家の間には、そうした話ができないような関係が出来上がっている(つまり、信頼関係が失われている)ということなのかもしれません。

 御長女眞子さまの結婚に関するトラブル以降、その公務の在り方や宮内庁との関係、さらには家族のつながりや子供の教育に至るまで、世間の注目を浴び「ご難場」が続く秋篠宮家。一部週刊誌による煽りなどを受けて、SNS上に「バッシング」とも見える厳しい投稿が続いているのも気になるところです。

 禍中の秋篠宮妃紀子さまは11月11日の誕生日に当たり、ネット上の批判について「こうした状況に直面したときには、心穏やかに過ごすことが難しく、思い悩むことがある」とのコメントを残されています。しかし、こうしたリアクションが(また)火に油を注いでいる可能性すらあるとのこと。

 まあ、(まさしく)平等日本唯一の特権階級に対する庶民の「やっかみ」…と言ってしまえばそれまででしょうが、ここまで悪役扱いされるのは宮様だって心外なことでしょう。事ここに至るまでの経緯を振り返ってみると、「宮内庁はもう少しやり方があっただろうに…」と思わないでもありません。

 そんな折、昨今の秋篠宮家の世論に対する姿勢について、12月7日の経済情報サイト「現代ビジネス」に、『国民に対して“ファイティングポーズ”をとってしまった「秋篠宮さま発言」』と題する論考記事が掲載されていたので、参考までに一部を小欄に残しておきたいと思います。

 秋篠宮皇嗣殿下がこれまで以上の逆風に晒されていると、記事はその冒頭に記しています。

 11月30日の59回目のお誕生日に行われた記者会見場で、記者から「秋篠宮家へのバッシングとも取れる情報についての受け止め」を問われた秋篠宮さまは、「当事者的に見るとバッシング情報というよりも、いじめ的情報と感じる」と発言されたとのこと。

 長男・悠仁さまの進学に対して反対署名が1万筆以上集まるなど、秋篠宮家に対する国民感情が悪化する中、(6月ごろに発覚した)次女・佳子さまの“独居騒動”も追い打ちをかけているということです。

 小室夫妻の結婚問題、悠仁さまのお受験、佳子さまの独居騒動、そして秋篠宮邸にかかった莫大な工費…これらの秋篠宮家に関するニュースがネット上にアップされるたびに、記事のコメント欄はバッシングとも取れるコメントで溢れたと記事はしています。

 誕生日の会見での発言は、その厳しい現状や、体調が万全ではない紀子さまを思い、皇嗣殿下としては抑止力につながることを願ってのことだったのだろう。しかし、今回の件は「完全に悪手だった」と、宮内庁関係者はうなだれているということです。

 殿下のお気持ちは痛いほどわかる。しかし、ネット上でバッシング的なコメント、(つまり)殿下で言うところの「いじめ的情報」を発したネットユーザーも“日本国民”であることに間違いないというのが記事の指摘するところ。つまり、秋篠宮さまは国民に対して“ファイティングポーズ”をとってしまったというのが記事の認識です。

 そもそも皇室とは国民の中に入っていくもの、ともに歩んでいくもの、国民あっての皇室。これは国民の税金で成り立っていることからも明らかだと記事は言います。皇室の方々は、日本国民の安寧と幸せを願う立場であり、ましてや皇位継承順位1位の「皇嗣」秋篠宮さまが国民に対して“攻撃的な言葉を発した”とすれば、皇室に対する国民の意識にも大きな影響があるだろうということです。

 ネット上に様々な情報が飛び交い、何よりも個性や多様性に価値が置かれるこの時代、全ての国民の「象徴」であり続けるというのは(かように)難しいことなのでしょう。自分たちがスポンサーでありカスタマーだと思えば、国民は言いたい放題。一方、(本人が望んだわけでもないのに)国民のサーバント(奉仕者)として宿命づけられた宮家の人々には、「私達だって人間だ」と叫ぶ権利も認められていないということでしょうか。

 ともあれ、いったんファイティングポーズをとってしまえば、相手もまた身構えるもの。自分たちとは違う(相いれない)相手として、国民から覚めた目で見られてしまっても仕方のないことかもしれません。宮内庁には(これ以上宮家に敵を増やさぬよう)、皇室をめぐる物語のきちんとした管理をお願いしたいものだと、記事の指摘を読んで私も改めて感じたところです。



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