MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2265 女性の連帯を阻むもの

2022年09月26日 | 社会・経済

 毎年、発表とともに話題に上る世界経済フォーラムの「ジェンダーギャップ・ランキング」。7月13日に発表された今年のランキングでは、日本はOECD加盟先進国の中で最下位、146カ国中116位に位置づけられています。

 前回の120位よりも5位ほどポジションを上げましたが、調査対象が10カ国減っているので実質的にはランクダウン。実際、国内で生活していても、コロナ対応に追われる日常生活で、女性の活躍の場が大きく広がったという実感はありません。

 中でも、このランキングで毎年特に地位が低いのが、「政治」と「経済」の分野であることは広く知られています。今回も政治は139位、経済は121位と低迷しており、経済分野では達成率が去年より後退。今のペースでは、平等の実現まで132年もかかると「警告」されているということです。

 実際、この日本においても、ジェンダーの存在が認識され、また男女間の差別の解消が叫ばれるようになって久しいものがあります。非正規を中心とした雇用の問題やワンオペ子育ての問題、選択的夫婦別姓の問題や税制の問題など、女性たちが様々な課題に直面していることは多くの人の指摘するところです。

 しかしその一方で、政治的にもメディアにおいても、さらに労働分野や経済の場でも、(その割に)女性がまとまって大きな声を上げるような場面に出会わないのも事実です。

 「つつましさ」が美徳とされてきたこの日本で、もしも女性たちが大きく連帯すれば少しは現状を変えていけるのではないか。8月30日の東洋経済ONLINEに、「助けあえない日本人女性、女性間の「分断」が進んだ背景」と題する記事が掲載されていたので、参考までにその一部を紹介しておきたいと思います。

 時短勤務で働くワーキングマザーが、「(シフトに)穴を空けるから迷惑」と女性の同僚から煙たがられる話をよく耳にする。女性からは「女の敵は女」という言葉もしばしば口にされるが、日本の女性たちは同性に厳しく、女性が頑張っていても応援するどころか批判する傾向が本当に強いのか?

 記事によれば、これまで日本女性が置かれた状況を取材してきた『フランス・ジャポン・エコー』誌編集長のレジス・アルノー氏は、「日本女性は連帯しない」と指摘しているようです。

 日本では、(フランスやアメリカのように)ジャーナリストや経営者、政治家の女性たちが1つのグループとして結集し、問題に取り組むことがない。日本では、(例えば)女性は結婚すると名字を変えるが男性は変えない、賃金の不均衡やパワハラから効率的に保護されていないといった(ほかの国々では消えた)無数の差別があるにもかかわらず、性差別は女性権力者にとって政治問題にすらなっていないとアルノー氏は話しています。

 例えば、首相候補として名前が挙がる高市早苗経済安全保障担当相は、最もフェミニストから遠い人物として知られている。小池百合子東京都知事は、自分以外の女性のために何かしたのを見たことがない。森喜朗の発言が冗談の対象になっていても、高市氏や小池氏が、自分の性別を心配する話は聞いたことがないということです。

 日本の女性たちは、(アルノー氏の言うように)本当に連帯をしていないのか。そうだとすれば、なぜ連帯できないのか。

 記事はここで、社会学とジェンダー・セクシュアリティ研究を専門とする名古屋市立大学准教授の菊地夏野氏(へのインタビュー)のコメントを紹介しています。

 日本の女性たちの連帯を阻害している要因として、菊地氏はまず、①1985年に成立した男女雇用機会均等法、②1999年に公布・施行された男女共同参画社会基本法、③アベノミクスで生まれた2016年施行の女性活躍推進法の3つを挙げています。

 1980年代に女性たちが求めたのは「雇用平等法」だったが、「均等」法は差別規制が努力義務にとどまる残念な内容だった。しかも、この法律がきっかけで、総合職と一般職という女性同士の待遇格差が生まれたと氏は言います。

 さらに、1985年に専業主婦を優遇する第3号被保険者制度ができ、翌年に労働者派遣法が施行されたことで、女性たちは男性並みに働かされる総合職、補助的な業務に終始する一般職、非正規雇用の派遣労働者、そして主婦に分断されてしまった。

 男女共同参画社会基本法については、女性たちは『性差別禁止法』を求めたが、男女が共に社会に参加する、という中途半端な法律に。「女性活躍推進法」に至っては、女性は家事・介護・育児に加えて、男性と同等かそれ以上に働き、国や企業に利益をもたらさなければならない、という内容になっているというのが菊池氏の指摘するところです。

 さらに、負担ばかりが大きくなって女性が分断されているのは、ここ40年ほどで広がったネオリベラリズム(新自由主義)が影響していると、氏は話しています。

 そもそもオリベラリズムは、いろいろな立場に分類や区別をすることで、お互いに競わせ成果を得ようとするもの。誰もが、高い給料とキャリアを得ることが人間の幸せで目標だと思い込まされ、個人がバラバラにされて連帯できないから社会の実態も見えなくなるというのが菊地氏の見解です。

 そうした中、さらに言えば、多忙な毎日を送る第一線の「正社員」の女性たちは、そもそも疲弊していて運動を起こす、連帯する余裕がないと氏はしています。

 一方、非正規雇用で家庭責任を背負わされる女性たちは、正社員の女性より差別的な待遇を受けているにもかかわらず、フェミニズム・ムーブメントは自分には関係がないと考えている。それは、地位向上が彼女たちにとっては現実味がなさすぎ、夢を描くことすら自分自身で封印しているからだということです。

 さて、総じていえば、日本の女性たちの間にジェンダーの排除に向けた統一的な運動への意識や機運が高まらないのは、「女性」という大きな枠組みで連帯することへのリアリティがわかないから。「失われた」とされるこの30年間、個人としての日常に追われ、政治運動としての成功体験に欠けるからと言ってよいかもしれません。

 この記事で菊地氏も指摘しているように、国家の基本は家庭にあり、家庭における性別による役割分担を是とするのが、伝統的な「保守」の政治的な立場であることは紛れもない事実です。

 (それを前提とするならば)もしも、フェミニズムの視点からジェンダーの解消を目指すのであれば、保革を超えた形での(女性による)一点突破の戦略が必要なのではないか。(当事者として)立場を同じくする女性たちがまずは政治運動として連帯し、声を上げる必要があると考えるのですが、果たしていかがでしょうか。

 



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