MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

 伊皿子坂社会経済研究所のスクラップファイルサイトにようこそ。

♯280 ほどほどの医療へのニーズ

2015年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム


 80歳になった時、がんや生活習慣病を抱えながら年金で暮らす自分は、入院先の病院に一体どのような医療を求めるのでしょうか。

 人生90年という時代がもうすぐそこまで来ています。核家族化が進む中、一方で、高齢者が大家族に囲まれ「早く元気になって長生きしてね。」と子供や孫たちに応援されながら頑張る時代は、もしかしたらこの辺で終わりを告げようとしているのかもしれません。

 平成23(2011)年現在、65歳以上の高齢世帯では夫婦のみ世帯が最も多く全体の3割を占めており、単独世帯とあわせるとすでに半数を超えています。体力の衰えを感じながらもつつましく暮らす高齢者世帯をイメージした時、そこには病と「戦う」厳しい闘病生活ではなく、もう少し「幸せな」闘病生活があってほしいと願うのは果たして私だけでしょうか。

 12月10日の読売新聞では、国際医療福祉大学教授の高橋 泰(たかはし・たい)氏が、「とことん型医療 限界」と題し、今後一層進むとされる異次元の高齢化社会に適応した「まっとうな」医療の在り方について、興味深い論評を行っています。

 日本社会の人口構成は、今後四半世紀にわたり74歳未満の人口が毎年100万人ずつ減少していく一方で、75歳以上のいわゆる「後期高齢者が年間50万人を超える勢いで増え続けることがほぼ確実視されています。

 こうした中、75歳以上の高齢者が安心して暮らし、一方で社会の中枢を担う75歳未満の人々が必要とするだけの医療(のリソース)をきちんと確保していくために、今後、私たちは日本の医療をどのようにしていくべきなのか。

 当然、65歳代以下の現役の人たちが求めているのは「完治を目的とした医療」、つまり「とことん型」の急性期医療であると高橋氏は述べています。たとえば50歳のがん患者に対しては、最新の手法でがんを切除し抗がん剤治療も徹底的に行うなど、再発を防ぎ再び元の生活に戻るための技術を尽くした治療が必要だということです。

 それでは、75歳以上の人は必要としているのはどのような医療なのか。

 病気は完全には治らなくても地域で生活を続けられるように身体や環境を整えてくれる「生活支援型医療」を、高橋氏は「まあまあ型」医療と名付けています。

 例えば、90歳代の高齢者には、その体力や退院後の生活を考え敢えて手術以外の治療方法を勧めること。あるいは85歳の肺炎患者には、退院後の生活復帰を前提としたリハビリ中心の治療を行うことなど、年齢が進めば進むほど「生活支援指向」の強い医療が求めらるというのが、この問題に対する高橋氏の認識です。

 我が国全体で見た時、従来のような急性期型病床の需要は2020年以降急速な減少がみられる一方で、生活支援型医療の需要は特に都市部を中心に急激に増大すると高橋氏は見ています。

 当然、病院などにおける医療供給の面から言えば、人口構成の高齢化に伴う生活支援機能の充実や介護施設への転換が急務となっているのですが、それにもかかわらず、医療教育の現場において教えられているのはいまだに「とことん型」の医療ばかりであると高橋氏は指摘しています。

 実際の医療現場においては、民間病院を中心に高齢者に適した生活支援型の医療を提供する医療機関が着実に増え始めてきていると高橋氏は言います。また、在宅医療の現場でも、医師や訪問看護師、ケアマネージャーらの連携により、生活支援型の医療が徐々に普及し始めているということです。

 そうした中、地域の患者を集め現実にこれを担っている大病院が相手かまわず「とことん型医療」にリソースを集中させることは、地域の高齢者のニーズに応えられないばかりでなく、現役世代の医療機会まで失わせることにも繋がりかねないと高橋氏は懸念しています。

 そして高橋氏は、患者側も、50歳代で必要とされる医療と90歳代に適した医療の違いを十分に理解する必要がある。何が何でも最先端の医療を指向するのは、現在の健康保険制度がもたらした誤解に他ならないと指摘しています。

 もう充分に生きた。信頼できる医療機関のもとで、これからは苦しまずに穏やかに生き(逝き)たい…と考えられる老後は、思えば大変に幸せなのかもしれません。

 退院後の生活復帰を考慮しながら高齢者の状況に応じた医療を提供してくれる地域の身近な医療機関を見つけ出し、自分の状況に合った医療と上手く付き合っていくことの大切さを訴える高橋氏の主張を、高齢社会を迎える日本の医療を考える基本的な視点として、私も改めて認識したところです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿