Wikipediaによれば、テレビの世界でよく口にされる「リアクション芸人」とは、バラエティ番組などで司会者からイジられたり、ドッキリを仕掛けられたり、体を張った仕事をさせられるなどヨゴレ役が芸風のタレントを指す言葉だそうです。
実は、「リアクション芸」の歴史はそんなに古いものではなく、1970年代後半にチャンバラトリオの「ハリセン芸」、ゆーとぴあの「ゴムパッチン」、ザ・ドリフターズの「たらい落とし」といった、痛みに苦しむ様で笑いをとるコントがその始まりだとされています。
1980年代に入ると、『スーパージョッキー』(←なつかしいですね)や『オレたちひょうきん族』といった主にビートたけしの関わるバラエティ番組で、稲川淳二や片岡鶴太郎、たけし軍団が体を張ったロケやコーナーを頻繁に行うようになります。高齢世代の(「下品だ」「いじめにしか見えない」といった)批判も多くありましたが、90年代以降、こうした(直感的な)笑いは若い世代を中心にさらに一世を風靡していきました。
その後の平成の時代も、ダウンタウンなどを中心に体を張った芸を売りにする若手芸人は後を絶たず、テレビ番組などで見せるその笑いは(かなり陰惨なものに変化し)、中には見ているだけ不愉快な気分になるものなどもあった記憶があります。
しかし、令和の時代に入り、気が付けば「笑い」の質は大きく変化しつつあるようです。昨今活躍している芸人さんの多くは上品で、しゃべくりやぼけ方、間のようなものを大切にする理知的な笑いを大切にしているようです。お客さんの多くが女性たちであることやコンプライアンスへの配慮もあって、不潔で暴力的な芸風では、もはやメディアの世界を生き抜くことができない時代になったということでしょう。
さて、そうした中、1990年代に入ってブレイクしたダチョウ倶楽部は、リアクション芸一本で令和時代に至る30年間を第一線で活躍し続けた、お笑い界では稀有な存在と言えるかもしれません。
「アツアツおでん」「熱湯風呂」などの彼らの持ちネタはリアクション芸のステレオタイプとされますが、四半世紀以上をかけて磨き抜かれた芸の質は、「待ってました!」と声がかかる領域にまで達していた感があります。特に、ボケを担当する上島竜平氏の(ほんわかとした)キャラクターとも相まって、その笑いの持つ安心感、安定感には何事にも代えがたいものがありました。
5月13日の日本経済新聞の巻頭コラム「春秋」は、笑いの持つ重要な役割として「緊張の緩和」を挙げています。ビジネスの世界では、しばしば「アイスブレイク」という言葉が使われる。これは「氷を砕く」、つまり初対面の人々が集う会議や研修の緊張した空気を和ませるコミュニケーション術を指す言葉だということです。
確かに、折り目正しい対応ばかりでは人間関係は作れない。笑いの成分の含まれた自己紹介やプレゼンテーションはお互いの不必要な緊張を解き、人と人との距離を縮めてくれるというのが筆者の認識です。
長く宮仕えを続けていれば、上司や取引先から無体な要求を突き付けられた経験を持つも人も多いはず。そんな時、相手の無茶振りを、「聞いてなよォ」と笑い飛ばす元気をくれるのもそうした力。人の嫌がる業務を「誰がやるか」となった時、「では私が」との発言に「どうぞどうぞ」との唱和が起きる状態を、苦笑いでいなす力の抜き方を教えてくれるのも笑いの成分だということでしょう。
思えば、サラリーマンは日々、体を張った「リアクション芸」を演じているのかもしれない。「その仕事できません…」そう思っても、なかなか口には出せるものではないと筆者は言います。
そんな時には、自信がなくても、不格好でもやりきるしかない場面も出てくる。熱い風呂だとわかっていても、(ビビりながらも)誰かが意を決して飛び込まなければならない時があるということでしょう。
例え「マンネリ」と言われようとも、十八番のリアクション芸を極め、市井の人々の悲哀を日々体現してきた上島さん。その訃報に接し、「くだらない」と言われるようなギャグやちょっとした日々の笑いの有難さを、私も同世代として身に染みて感じているところです。
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