MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#1991 見捨てられる民主主義

2021年10月13日 | 社会・経済


 ポピュリズムの世界的な広がりや独裁的な指導者の台頭などが進む中、「民主主義の危機」が強く叫ばれるようになっています。中でも、昨年当初から世界を覆うようになった新型コロナ感染症のパンデミックへの対応は、(いわゆる)自由主義体制の国々弱点をあぶりだしていきました。

 構成員に提供される利益と効率が何よりも優先される現代社会において、「もはや民主主義に優位性はない」と公言してはばからない大国の指導者も出てきています。価値観の共有や手間のかかる手続きが求められる民主主義では、社会の変化に対応できない。グローバルな共通善よりも、「私たちの利益」の方が価値があると考える人々の声が、より重みをもって意識されるようになっているようです。

 欧米を中心としたこの数世紀の近代化の歴史の中で、所与のものとして意識されるようになっていた民主主義は、気が付けばもはや現実に合わない「時代遅れ」のお荷物と化しているのか。8月18日の日本経済新聞のコラムAnalysisでは、エール大学助教授の成田悠輔(なりた・ゆうすけ)氏が、「優位性の交代、崩壊の瀬戸際に」と題する興味深い論考を寄せています。

 21世紀を迎えて以降の敗北に次ぐ敗北により民主主義は大きな痛手を被り、既に重篤な状態にあると氏はこの論考の冒頭に綴っています。実際、世論に耳を傾ける民主的な国家ほど、21世紀に入ってから経済成長が低迷している。そして逆に、非民主主義陣営は急成長が目覚ましいというのが成田氏の認識です。

 中国に限らずアフリカや中東でも、専制的な政治体制の国の方が高い成長率を誇っている。これは、中国と米国を分析から除いても、先進7か国(G7)諸国を除いても成り立つグローバルな現象だということです。

 この「民主主義の呪い」は、21世紀特有の現象だと成田氏は言います。1960~90年代には、常に豊かな民主国の方が貧しい専制国より高い成長率を誇っていた。しかし、この傾向は21世紀の入り口前後に消失し、貧しい専制国が豊かな民主国を猛追するようになったと氏は説明しています。

 かつて冷戦終結を目撃した米政治学者フランシス・フクヤマは、民主主義と資本主義の勝利による「歴史の終わり」を宣言した。だが皮肉にもまさにその頃から、民主主義と経済成長の二人三脚がもつれ始めたと氏は言います。政治制度と経済成長の関係が(この時期)根本的に変化し、新しい歴史が始まったということです。

 そして、直近の2020年に人命と経済を殺めた犯人も、また民主主義だと氏はこの論考に記しています。民主国ほどコロナで人が亡くなり、19~20年にかけての経済の失墜も大きい。平時だけでなく有事にも、民主主義はもはや機能しなくなっているように見えるということです。

 ウイルス感染やIT(情報技術)ビジネスの成長、ウェブ上の情報拡散など、21世紀の主要な問題には共通点があると、成田氏はこの論考で指摘しています。それは、常人の直感を超えた速度と規模で反応が爆発すること。そこでは爆発が起きる前に、徹底的な投資や対策で一時的に強烈な痛みを引き受けられるかどうかが成功の鍵になるということです。

 超人的な速さと大きさで解決すべき課題が爆発する世界では、常人の日常感覚(=世論)に配慮しなければならない民主主義は、科学独裁や知的専制に敗北するしかないというのが氏の見解です。それでは、この(満身創痍の)民主主義が、21世紀を生き延びるためには何が必要なのか。この難問に対し、成田氏は2つの処方箋を示しています。

 それは「民主主義との闘争」と、そして「民主主義からの逃走」というものです。

 「闘争」とは、民主主義と愚直に向き合い調整や改善により呪いを解こうとする営みのこと。政治家の目を世論よりも成果に向けさせるため、例えば、国内総生産(GDP)などの成果指標に紐づけた政治家への再選保証や成果報酬を導入や、政治家の任期の設定、定年なども有効だろうと氏は言います。先延ばしできない終わりがあれば、政治家は世論を気にせず、成果に集中できる。こうした政治版ガバナンス(統治)改革案に加え、選挙制度の再デザインの提案も数多いということです。

 一方、二つ目の処方箋である「民主主義からの逃走」は、一部ではすでに日常となっていると成田氏は話しています。例えば富裕層は、ルクセンブルク、ケイマン諸島、シンガポールと、より緩い税制や資産捕捉を求めて個人資産の国外移転などを進めている。タックスヘイブン(租税回避地)を浮遊する見えない資産は、既に世界の資産全体の10%を超えるということです。

 同様に、民主主義が数々の失敗を市民に課す政治的税制になっていることを考えれば、「デモクラシーヘイブン」もあり得るのではないかと氏は言います。既存の国家は諦め、思い思いに政治制度を一からデザインし直す。こうして生まれた独立国家や都市群が、個人や企業を選抜し誘致する世界も、もはや夢絵空事ではないということです。

 現実に、どの国も支配していない地球最後のフロンティアである公海を漂う新国家群を作ろうという企ても、一部では現実味を帯び始めていると氏は指摘しています。これは「海上自治都市建設協会」と呼ばれるもので、始めたのはビリオネアでトランプ前米大統領の公然支持者として名高いピーター・ティール氏ら。そこでは、巨万の富を持つ資産家らが、お気に入りの政治制度を実験する海上国家に逃げ出す未来が具体的な建設案になり始めているということです。

 そんなに遠くない将来、民主主義という失敗装置から解き放たれた上級市民が、「成功者の成功者による成功者のための国家」を作り上げてしまう可能性だってないわけではないと氏は話しています。そうした世界では、選挙や民主主義は、残された者たちの国のみに残る、懐かしくほほ笑ましい非効率と非合理のシンボルでしかなくなるかもしれない。そしてユートピアから取り残された人間たちの苦しい営みが、そこでは繰り返されていくということでしょう。

 人々の暮らす地上の社会とは分断された、選ばれし神々の暮らす天上界。そうした民主主義からの逃走こそ、フランス革命、ロシア革命に次ぐ21世紀の政治経済革命の本命ではないかとこの論考を結ぶ成田氏の視点を、私も大変興味深く読んだところです。



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