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(9・11十周年の日のグラウンド・ゼロ。新しい建物の建築が始まっている中での記念式典の様子がスクリーンに映されている)
旅行の最後は、ワシントンDCからアムトラック(大陸横断鉄道)でNew Yorkへ。
まったくの偶然なのだが、New Yorkにいるときにちょうど9・11の十周年を迎えた。たぶんそのせいで、とんでもなく高いホテル代を払うことにもなったこともあり、せっかくだからと当日、グラウンドゼロに出かけた。そうでなくても街には警官の姿が目立ってピリピリしたものがあり、近くまで行けないことは覚悟していたが、セキュリティチェックを受ければグラウンドゼロのすぐ傍まで入れた。現場では、忌まわしい記憶を乗り越えるべく新しいビルの建設が始まっている。その中で記念式典が行われている様子が、大きなスクリーンで、中に入れない人にも見えるようになっていた。周りには、911をめぐる様々な主張のスローガンを掲げた人々も見える。全体の雰囲気は、犠牲者の追悼で、親しかった人の名前を書いた白いリボンが近くの教会の柵などにたくさん結ばれていた。アメリカは十年経って、ビンラディンの暗殺も成功させたことだし、911の悲劇とテロの恐怖を忘れたがっている、と言っていたアメリカ人の知人がいた。私には、たとえばパールハーバーと並ぶ悲劇として語るような、こちらでの911の想起の仕方になじめないものがある。アメリカの人々が、良い形で―西欧世界以外の人々にも共感がもてるような形で―、911を歴史にしていってくれればよいのだが、と思う。