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中国は湖北省襄陽で開かれた第5回中国近代社会史国際学術討論会に参加した。
この学会は、中国社会科学院近代史研究所の李長莉教授が中心になって、2年ごとに場所を変えて各地の研究機関や大学と共同で開いているもので、今回は湖北大学との共催だった。私は初めての参加で、日中関係緊張の折、とにかくいろいろな中国の研究者との交流の機会を持とうという気持ちもあって日程を調整して襄陽までやって来た。
会議の場で、旧知の中国の研究者や、初対面のよい仕事をしている人たちに囲まれると、日中関係の悪化など忘れてしまう。この20年間に重ねてきた中身のある学術交流は、顔を見ればすぐに研究上の議論の続きを始めよう、という空気を当たり前にしていた。それでも一応、報告の前に「政府間の関係がどうであれ、我々は真摯な学術交流を深めよう」という一言を付け加えたけれど(こういうことは、言葉に出して確認することも意味がある)。
討論会の内容で、特筆すべきは女性史・ジェンダー史関係の報告の多さだ。社会史の学会とはいえ、全体のほぼ三分の一がこの分野だったのには驚いた。婚姻問題・女性の自殺・農村の巫女などテーマは多岐にわたっていて、具体的な事例を様々な資料から紹介しながらその意味を論じている。中国における女性史・ジェンダー史の研究の進展を実感して、参加して良かったと思った。
私は「中国農村計画生育的普及-囲繞生殖的技術与権力」のタイトルで、1960-70年代の中国東北地方のある農村の計画出産の普及について報告した。「一人っ子政策」に関わるこの問題は「敏感」なところがあるので、中国の歴史研究者は敢えて研究しようとはしないテーマだ。しかし自身の生活や経歴に関するこのテーマについて、言いたいことはみないろいろあるようで、報告の後、たくさんの人から話しかけられた。きちんと学術的なやり方でこの問題を取り上げ、中国国内の学会で報告したことには、意味があったと考えよう。すでに「一人っ子政策」に関する社会的な矛盾のピークを過ぎた現在、学術的この問題を取り上げることはできるはずだ。
会議が終わって、翌日はエクスカーション。北京の社会科学院の皆は、近くの武当山に登るのだ、と一泊で出かけて行った。若い研究者にとっては金庸の小説に出てくる武道のメッカは人気のあるパワースポットのような感じらしい。日本からの数名の参加者は、そんな元気と時間に恵まれずに、市内の三国志ゆかりの古隆中(劉備が諸葛孔明を三顧の礼で訪れたところ)や米公祠(北宋の書家・米芾を記念する)などの参観に行った。
襄陽城の城壁は、三国時代の荊州牧劉表の創建にかかるもので、現在も明代に修築された城壁が漢水の南岸に古い街を取り巻いている。午後には暑い中、漢水を渡し船でしばらく遊覧。少なくない人が漢水で水泳を楽しんでいた。省都の武漢などとは違った、ちょっとのんびりした地方都市の風情だった。
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