ホワイトの紫陽花日記~ありのままの自分で

難病(PD)あります。症状も人生も十人十色。肩の力抜いて深呼吸・・・喜びも悲しみも、ありのままの日々の生活を綴ります。

好きなこと

2019-10-18 13:04:49 | パーキンソン病

仕事が好きですか?

私は看護師の仕事をして、45歳のとき診断され、それも難病のパーキンソン病。

主任の役職もあり、看護部長と病棟師長に相談して病名は

スタッフにはオープンにしなかった。

ショックを受けたが何とかして、仕事をしなくちゃとそれだけあたまにありました。

副作用が出ることわかってましたが、薬を増やしていきました。

薬をトイレでこそっと飲んでいたり、オフになりトイレに入ったりもしました。

リハビリ病棟でしたから、姿勢や動きに気を付け、振戦が出ないようにコントロール

していました。まったく夢中になって働いてるほうが

病気を忘れ、不安を忘れることができる。でも

病気と向き合っているようで向き合っていただろうか?こなすことでいっぱいでした。

私は看護師の仕事が好きでなによりも患者さんの話を聞き

困った事を聞き解決してあげることを第一と心がけていました。同じ立場で

病気になり寄り添える。見えないものが見えるそんな感じだった。

うまく薬が効いていたのは5年間で段々仕事に支障をきたす様になりでました。

申し送りで振戦起こしたり、字を書けなくてあとから書いたり、私は

夜勤制限と入浴介助制限をお願いしデスクワークを多くするようになった。

そうなるとオープンにするしかありません。パーキンソン病であることを公表しました。

なんかスタッフが言うかなと思いましたが言わない。

6年目のある日身体が重くて起きられません。涙が止まりません、こんなに頑張る

必要あるのかなぁと思いました。職場に行けなくなり2ヶ月続き離職した。

仕方ないと今は思います。月日流れ自分が病気と向き合って生きてる。

いい薬が出ているでのでコントロールをいかにしていくか。

心の持ちようもだいぶあると感じる。

一番は好きなことする。張り合いを持つことの2点を大事にする。外に出よう!

好きです。看護師の仕事今でも・・・・・・。

文章も打つの大変・・・・

諦めたくないもの。



 

 

 


頼まれたら断れない

2019-10-12 11:33:18 | パーキンソン病

私は余程ことがない限り、頼まれたらひきうけうる。やることが増えるかもしれないが

自分のためと思う。断るのも勇気がいる。それは本当にできないときは断る。

たたき台を作り、先の事までやりすぎてしまう。結局私しかしないのに。愚痴を

一人で言う。でもやる!できるうるところまで考える。

企画書を書かなくてはいけない。

書いて気持ちのるまでの問題。この企画に参加してよかったと思える

には案でもって意見をいただき修正していく。

気持ちのこもった、勉強にもなった、癒された!となるように

おもてなしの企画案をまずつくろう!

何人で考えても出ないのある。こういう病人だし

割り切りながら企画案を考えてこれから書きます。

 


紅白リレーの思い出

2019-10-07 20:34:35 | パーキンソン病

 

今年は孫の保育園の運動会を見ることができました。

2年ぶり、最後まで見ることできました。

午前9時から3時間、15種目の競技があります。どの子も

とにかく、とってもかわいい、踊りもよく覚えたことと感心します。

競技でやはり最後は年長さんの紅白リレーですね。

必死の顔で頑張って走る子供たちを見て、感動しますね。

私は大きな声を出して応援していました。

一人一人が走りきることが大事!

アンカーは足が一番早い子が走るのだろう。

大分最後の番になると差がついている。

最後の組の子が走った。二人とも足が速い。

差はついたままゴールした。

どちらの子にも大きな拍手がありました。テープを切れなかった子は

よほど悔しかったのでしょう。大泣きして

先生からなだめられてました。こんな風景がずっとまえにあった。

自分の子供も悔しくて泣いていた。

とても懐かしく感じた。

我が孫も来年走る。来年も

同じように運動会にこれますように・・・・。