ホワイトの紫陽花日記~ありのままの自分で

難病(PD)あります。症状も人生も十人十色。肩の力抜いて深呼吸・・・喜びも悲しみも、ありのままの日々の生活を綴ります。

頑張りが伝わるときパート2

2018-05-29 10:12:42 | パーキンソン病

発症6年、今まで頑張ってきたものが崩れた。

崩れた原因は私がパーキンソン病になったからでなくもっと別のものに原因あった。

頭回転悪くなっていましたがある資格を2年ががりでとった。

病院に認知症が多いのに専門看護師はいなかった。

それで私は認知症のケアを確立したいという目的あったのが

上部組織がうんと言わなかった。

段々心折れ仕事に行きたいがいけない。休職の形をとり休んだ。

抑うつ状態2ヵ月と続き辛い日々。

オフで動かない体と震えが恐怖であの当時悲惨な私でした。

仕事辞めた平成26年8月31日とても暑い日でした。次の日に父が死んだ。

鬱で面会行けず父に元気な顔見せられなかった、何度父に誤っただろう。

一番辛いことが書けて言えて前に進めると思いました。

 

 

 

 

 

 

 


頑張りが伝わるとき

2018-05-28 21:52:02 | パーキンソン病

6年間パーキンソン病を背負いながら仕事を無我夢中でしてきた。

頑張ってやったと思う、いいことと悪いことしか思い出せない。

仕事辞めてからの4年の月日が私には長く遠く感じられる。

どれだけ仕事が自分の生きる張り合いになっていたか、勤務中は

仕事をこなすこと役職こなすことが優先、どんどん症状抑えるためエルドパが増えた。

トイレで水なしで薬飲んでいた。手が震えてはし握れない時は昼食を抜いた。

メモとれなくて頭に書いた。日勤のリダーの申し送り時書けなくて、そばに来て

筆記してくれる同僚がいた。その他色々カバーしてくれたのは、大病したAさん、

臨時職員のSさんである。回復期リハビリテーション病棟にはリハビリスタッフも多く

歩行、動作を気を付けて対応した。夜勤は5年で来たが1年は月3~4回に減、入浴介助免除

と言いながら、人手足りなく軽い患者を持った。こんなで役職してていのかなやんでいた。

もう一人の主任に病名を言い相談した。彼女はおいおい泣いた。辛かったでしょうと・・・。


自分の道

2018-05-26 11:52:19 | ポエム

自分の道

 

 

いつの間にか間にか

弱い私と強い私が融合している

もう泣かない

失うものあっても

見つけるの

出来ること

私は前向き人間でない

 落ち込む

そしてもがいて

這い上がる

どんなことあっても負けない

笑顔で会いましょう

私の歩く道は今も平坦でない

 

 

 

 

 


他人の話

2018-05-24 07:40:40 | パーキンソン病

ひとはと姉は言う

他人の不幸な話をうんうん聞いて

内心はお気の毒に言って内心は違うときあるから

調子に乗ってペラペラ家の事、自分の事言わない方がいい

と私に忠告した。話の種にされる。

私は聞いてくれるとうれしくて喋り捲る。

そうか、そうか姉の話は説得力がある。

すぐ人を信じ、騙されても信じる私は

近所の付き合いは表面だけ。

お茶のみに来てなんか言われるとじゃ行きますと言う私

単純な私、どうもそれが私。姉とは違う。





心を晴れやかに~平凡だけど大事な日々

2018-05-23 12:11:11 | パーキンソン病

私はいつも、いつも前向きではありません。

ちょっと沈みがちでした。電話きて忙しい。繋がりのある人からで大事な人たちです。

昨日は市障がい福祉課の課長さんより私の作詞した歌を聴かせたい職員にも、そして難病

座談会みたいなものを開きたいと意向があり、協力してくださいという内容でした。

課長さんと話し出来て、良いことがあるような気がする。

楽しいことを考えるようにするといいことがある。

今日はPDの友からの電話がありました。

また会おうといういう事でNさん宅へは来週集合です。お料理が得意なNさんPD19年とは見えない。

私はPD11年もう一人はYさんPD2年です。3人集まると結構話が弾みます。

私が一番年下ですが、年齢関係ないおしゃべり会。

私はカラオケを準備してもっていきます。たのしみです。

心晴れてきました。

姉が夕方来てお茶を飲んでいきました。

良くなったよね。姉

そうかもしれないね。私