何年も前の話になってしまうが、私はポール・ヴァレリー大学の学生であった時期がある。
ポール・ヴァレリー大学 一部の活動家以外は、普通の学生たちが通う。
昨日の記事に、モンペリエの大学が数週間前からストライキを行っている、理由は知らないと書いた。
ポール・ヴァレリー大学の学生をしていると、2年に1度の割合で大規模なストライキが発生する。
ストライキが決行された大学は、学生が門を閉じ、教室にあった机や椅子でバリケードが張られているので、たとえ裏口から大学に入れたとしても、教室まで辿り付くことが出来ない。
ストライキ決行の初日などは、まだバリケードなどが不完全なので、大講堂は占拠されていても、小さな教室で行われる授業などは通常通り行われることもあったが、まあ、数日後にはご丁寧にきっちりと誰も大学に入れないようになる。
それが、テスト期間1ヵ月前だったり、直前だったりと、時期に関係なく行われるのだから、学生、講師陣共に大迷惑を被る。
特にポール・ヴァレリー大学は付属の施設に、外国人用のフランス語コースがあるので、半年や1年のみの滞在予定の外国人にとっては、1ヵ月も大学を封鎖されたり、その影響でテスト期間がずらされたりするなどたまったものではない。
大学付属とはいえ、外国人用のフランス語コースは私立の扱いになるので、フランス大学生よりもだいぶ高いお金を払っているのだ。(※最近は、ストが起きても、フランス語コースのみは例外的に授業が行われる)
ストライキ 2009年
一時期、あまりにもストがひどいので、色々情報を収集した同級生の話によると、一部の活動家の学生が、ストを決行するための会議を開き、投票によって、ストが行われるかどうかが決まるのだが、3割の賛成で可決されるという。
それを阻止するためには、学生全員でその会議に行って、反対に投票するしかないのだが、いかんせん、その会議とやらがいつ行われているのかも誰も知らない。
ごく最近起きたモンペリエの出来事に、木曜日の真夜中、モンペリエ法律大学の大講堂を占拠し、ストを行っていた50人くらいの学生たちが、棒を持ち覆面をした10人程度の男たちに、暴力によって追い出されるというのがあった。
数人のけが人を出し、救急車で運ばれる騒ぎとなった。その騒ぎの中、モンペリエ法律大学の学長はその場にいたにも関わらず、何もしなかったとして、学生たちから辞職の要求のデモが行われている。
ストライキ 2009年
Facebookでも、その場にいたという学生数人が、法律大学の学長が覆面男たちを雇った黒幕のように書いた記事を、動画付きで上げており、何回となくシェアされている。
ただね、彼らは自らを「学生」と言うだけで、「どこの」学生かは明確にしていないの。
Facebookなので、本人のプロフィールのページに行き、本人の写真を見てみると、断言はできないが、ポール・ヴァレリーのカラーの女性。
日本の大学でもそうだが、大学によって、学生の服装や雰囲気の傾向はあり、最近はそうでもなくなったものの、ポール・ヴァレリーは自由な、ヒッピーがかった服装。フランス最古の法律大学であるモンペリエ法律大学の学生はもう少し、きっちりした格好をしているイメージ。
どこかに、どこの学生なのか載っている記事はないのかと探してみたら、MIDI LIBREのみ、どこの学生かを明記したうえで記事にしていた。(記事はコチラ)
ストライキ 2009年
それによるとポール・ヴァレリー大学の学生たちが、モンペリエ法律大学の講堂を占拠し、モンペリエ法律大学の学長が、大学を無茶苦茶にされないためであったのか夜中まで彼らのいる講堂におり、そこに、例の覆面男たちがやってきたというもの。
コメント欄なので、真偽は確かではないが、「私は、モンペリエ法律大学の学生だ。彼らは投票時、法律大学の学生が入れないように、ドアにバリケードをし、ストを可決させた。その上、落書きをし、トイレを無茶苦茶にした」とのコメントもあった。
要は、「早稲田大学の学生が、慶応大学の大講堂を占拠して、学内で破壊行動を行った。夜中の占拠中の大講堂には占拠する早稲田大学の学生のほか、慶応大学の学長がいた。そこに、棒を持ち、覆面を被った男たちが侵入し、暴力によって、早稲田大学の学生を追い出した。占拠していた早稲田大学の学生は慶応大学の学長の辞職を要求した」というものだろう。(※ただの例えです)
ストライキ 2010年
私は暴力による解決には全く賛成しないし、その場にいなかったので、モンペリエ法律大学の学長の行動が正しかったのかどうかも知らない。
ただ、今日、Le Monde, Le Figaro, Le Parisienなど有名どころの新聞の記事を読んでも、どこにも「どこの」学生が証言していることなのか書かれていないので、こんなブログの1記事にだが、私が調べた限りを明記しておきたい。
←ありがとうございます。
ポール・ヴァレリー大学 一部の活動家以外は、普通の学生たちが通う。
昨日の記事に、モンペリエの大学が数週間前からストライキを行っている、理由は知らないと書いた。
ポール・ヴァレリー大学の学生をしていると、2年に1度の割合で大規模なストライキが発生する。
ストライキが決行された大学は、学生が門を閉じ、教室にあった机や椅子でバリケードが張られているので、たとえ裏口から大学に入れたとしても、教室まで辿り付くことが出来ない。
ストライキ決行の初日などは、まだバリケードなどが不完全なので、大講堂は占拠されていても、小さな教室で行われる授業などは通常通り行われることもあったが、まあ、数日後にはご丁寧にきっちりと誰も大学に入れないようになる。
それが、テスト期間1ヵ月前だったり、直前だったりと、時期に関係なく行われるのだから、学生、講師陣共に大迷惑を被る。
特にポール・ヴァレリー大学は付属の施設に、外国人用のフランス語コースがあるので、半年や1年のみの滞在予定の外国人にとっては、1ヵ月も大学を封鎖されたり、その影響でテスト期間がずらされたりするなどたまったものではない。
大学付属とはいえ、外国人用のフランス語コースは私立の扱いになるので、フランス大学生よりもだいぶ高いお金を払っているのだ。(※最近は、ストが起きても、フランス語コースのみは例外的に授業が行われる)
ストライキ 2009年
一時期、あまりにもストがひどいので、色々情報を収集した同級生の話によると、一部の活動家の学生が、ストを決行するための会議を開き、投票によって、ストが行われるかどうかが決まるのだが、3割の賛成で可決されるという。
それを阻止するためには、学生全員でその会議に行って、反対に投票するしかないのだが、いかんせん、その会議とやらがいつ行われているのかも誰も知らない。
ごく最近起きたモンペリエの出来事に、木曜日の真夜中、モンペリエ法律大学の大講堂を占拠し、ストを行っていた50人くらいの学生たちが、棒を持ち覆面をした10人程度の男たちに、暴力によって追い出されるというのがあった。
数人のけが人を出し、救急車で運ばれる騒ぎとなった。その騒ぎの中、モンペリエ法律大学の学長はその場にいたにも関わらず、何もしなかったとして、学生たちから辞職の要求のデモが行われている。
ストライキ 2009年
Facebookでも、その場にいたという学生数人が、法律大学の学長が覆面男たちを雇った黒幕のように書いた記事を、動画付きで上げており、何回となくシェアされている。
ただね、彼らは自らを「学生」と言うだけで、「どこの」学生かは明確にしていないの。
Facebookなので、本人のプロフィールのページに行き、本人の写真を見てみると、断言はできないが、ポール・ヴァレリーのカラーの女性。
日本の大学でもそうだが、大学によって、学生の服装や雰囲気の傾向はあり、最近はそうでもなくなったものの、ポール・ヴァレリーは自由な、ヒッピーがかった服装。フランス最古の法律大学であるモンペリエ法律大学の学生はもう少し、きっちりした格好をしているイメージ。
どこかに、どこの学生なのか載っている記事はないのかと探してみたら、MIDI LIBREのみ、どこの学生かを明記したうえで記事にしていた。(記事はコチラ)
ストライキ 2009年
それによるとポール・ヴァレリー大学の学生たちが、モンペリエ法律大学の講堂を占拠し、モンペリエ法律大学の学長が、大学を無茶苦茶にされないためであったのか夜中まで彼らのいる講堂におり、そこに、例の覆面男たちがやってきたというもの。
コメント欄なので、真偽は確かではないが、「私は、モンペリエ法律大学の学生だ。彼らは投票時、法律大学の学生が入れないように、ドアにバリケードをし、ストを可決させた。その上、落書きをし、トイレを無茶苦茶にした」とのコメントもあった。
要は、「早稲田大学の学生が、慶応大学の大講堂を占拠して、学内で破壊行動を行った。夜中の占拠中の大講堂には占拠する早稲田大学の学生のほか、慶応大学の学長がいた。そこに、棒を持ち、覆面を被った男たちが侵入し、暴力によって、早稲田大学の学生を追い出した。占拠していた早稲田大学の学生は慶応大学の学長の辞職を要求した」というものだろう。(※ただの例えです)
ストライキ 2010年
私は暴力による解決には全く賛成しないし、その場にいなかったので、モンペリエ法律大学の学長の行動が正しかったのかどうかも知らない。
ただ、今日、Le Monde, Le Figaro, Le Parisienなど有名どころの新聞の記事を読んでも、どこにも「どこの」学生が証言していることなのか書かれていないので、こんなブログの1記事にだが、私が調べた限りを明記しておきたい。
←ありがとうございます。