更科(さらしな)姫は戦国時代の女性剣士で山中鹿之助の母
永正16年(1519) - 没年未詳
文久2年(1862)出版 歌川豊国(国貞)絵
更科は信州村上家の家老・楽岩寺右馬助(らくがんじうまのすけ)の女(むすめ)にて
同藩相木森之助(あいきもりのすけ)の妻となる
美人にて鼎(かなえ)を揚げ 鈎(かぎ)を伸ばすほどの力量があり
ことに温柔(おだやか)にて貞心堅固であった。
牧島大九郎の横恋慕により不測の禍をかぶせられ
甲斐に護送された夫の後を追った更科は途中で産気づき
身一つにて塩尻山の麓に潜み 一子鹿之助を養育する
その児は後に山中を家號(みようじ)とし尼子十勇士の一人となる
柳亭種彦記
其角が句に
泥坊や 花の陰にて ふまれたり