長山宵子(ながやましょうこ)は江戸時代前期-中期の女性
寛文11年(1671)-正徳2年(1712)
慶応2年(1866)出版 歌川豊国(国貞)絵
長山宵子は常州(常陸国)長山七平の女(むすめ)で
師岡輿右エ門(もろおかうえもん)に嫁いだ
若黨(わかとう)に不届き者がいて夫の留守に
宵子にせまり憐戀(れんれん)の情を述べて密に通ぜんことを乞う
宵子一刀に若黨を斬り 夫帰宅の上しかじかと告るに
顔色も平生と異ならず心配することのない烈婦であった。
実子はいなかったが 家婢(こしもと)が一子を産み
その子善助と號(なづ)け いたわり心をこめて養育し
善助は十五歳まで宵子を実母と思い育つ
善助が幼年に重き病にかかった時
宵子は神嵜(かんざき)寺に裸足詣りして病は忽ち癒えた
貞烈慈愛婦道の龜鑑(かがみ)と云うべし
(柳亭種彦記)
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