松浦佐用姫(まつらさよひめ)は古事記に登場する女性
生没年未詳
文久2年(1862)出版 歌川豊国(国貞)絵
播磨の国佐用郡(さよこおり)に美貌處女(かおよきおとめ)がいた
朝廷の命を受け百済救援を命じられこの地にやって来た
大伴狭手彦(おおとものさでひこ)が召して交歓(かたらい)し
一夜の情に百年(ももとせ)の命を祈り慕い狭手彦を見送る佐用姫
松浦の海を漕ぎ去る船を遥かに望(みやり)て喚べど叫べど
鼓涛(うつなみ)のほかには応える物もなく
ついに哭死(なきじに)したりしとなったその志哀れむべし
彼の時姫が登りし山を領巾麾之嶺(ひれふるのだけ)と名づけ
佐用姫を神と祭り今彼の山に叢祠(そうし)があって
石に化けしと云い伝わる
ある信じられぬ妄談あり人の形皃(かたち)に似ている
石はあるがいい加減なことをいっては失礼であろう
(柳亭種彦記)