オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

古今名婦伝 「白拍子祇王」

2018-05-16 | 豊国錦絵

祇王(ぎおう)は平安時代末期の白拍子

生年未詳 - 承安2年(1172)

文久2年(1862)出版  歌川豊国(国貞)絵

 

祇王は京中第一の白拍子なり

容麗(かおうるわしく)藝妙(げいたえ)なり

妹祇女(ぎじょ)と共に美名を擅(ほしいまま)にする

相国殿(清盛)に召されて寵遇比(ちょうぐうひぐい)なく

毎月百石百貫を贈られ母の刀自(とじ)も富昌(さかえ)たり

ここに又佛(ほとけ)と呼ぶ舞姫同時に召し入れ

歌わせ舞せ佛の様を御覧ずるに標致(きりょう)も技も祇王に勝れり

殊に齢さえ妙年なれば入道殿は惚れ惑い帳臺(ちょうだい)に抱き入れて

忽ちに祇王に暇を与えた 其時祇王は障子の表に

萌出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に 遭(あは)で果つべき

と、書いてすごすご宿所に帰り 

渕瀬とかわる飛鳥川浅ましの世を嘆く程であった

再び参れと召され 今はもう参らないと断ると

母にふりかかる後難を怖れて出かけようとするも

このような憂い目に懲り果てて 嵯峨野に隠れて尼となる 

其時二十一歳なり

             (柳亭種彦記)

 

『海も山も 坊主にしたり きょうの月』