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松居一代がYouTubeで緊急報告「船越英一郎に刑事告訴された」

2018-05-24 22:55:46 | 日記

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松居一代がYouTubeで緊急報告「船越英一郎に刑事告訴された」

女優・タレントの松居一代さん(60)は23日午後、自身のYouTubeチャンネルに「松居一代 緊急報告」と題した動画をアップし、動画の中で「元夫で俳優の船越英一郎さんに刑事告訴されました」と明かした。

松居さんは冒頭、5月16日に芸能プロダクション「ホリプロ」との和解が成立したことを報告。続けて「その2日後に電話があり、元夫の船越英一郎さんに刑事告訴されていることを知った」という主旨の発言を動画内で告白している。

松居さんによると、罪名は「名誉毀損」。それに関連して24日午前、告訴状を受理しているとされる管轄の警察署にて取り調べを受けることになっているとも述べている。今後の動向に注目だ。(随時更新)

image by: 松居一代YouTubeチャンネル(kazuyo matsui)


フェイスブック、データ不正使用防止策不十分=ザッカーバーグ氏

2018-05-24 05:21:26 | 日記





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フェイスブック、データ不正使用防止策不十分=ザッカーバーグ氏




[ブリュッセル 22日 ロイター] - 米フェイスブックのザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)は22日、欧州議会指導者との会合で、データ不正使用の防止策が十分でなかったと陳謝し、ある種の規制が「重要で不可避」との認識を示した。


フェイスブックを解体すべきかとの質問に、ザッカーバーグ氏は規制が存在すべきかではなく、どのような規制を設けるべきかが問題と指摘した。


フェイスブックと、メッセンジャーアプリのワッツアップなど関連部門とデータのやり取りがあったかなどについては回答を控えた。


「facebook」の画像検索結果


 


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グーグルが作ったのは検索ではなく"AI"

2018-05-24 04:31:03 | 日記
 

グーグルが作ったのは検索ではなく"AI"

 グーグルの創業者ラリー・ペイジは2002年、「なぜいまさらウェブ検索サービスを始めるのか」という問いに対し、「本当はAIを作っている」と答えたという。グーグルがAIを重要視しているように、現在のインターネットの先にあるのは、人間とコンピューターの融合だ。ジャーナリストの服部桂氏はマーシャル・マクルーハンの議論を紹介しながら、「インターネット全体が自然をも支配する第2の環境になっていく」と予想する――。

※本稿は、服部桂『マクルーハンはメッセージ メディアとテクノロジーの未来はどこへ向かうのか?』(イースト・プレス)の第4章「21世紀のマクルーハン」を再編集したものです。

インターネットの先の未来

さて、電子メディアの最先端に位置する現在のインターネットと呼ばれるものの先にある、未来はどんなものになるのだろうか?


写真=iStock.com/metamorworks

マーシャル・マクルーハンは著書『メディア論』(1964年)の最終章「オートメーション」で、「電気時代のもっとも顕著な特徴は、われわれの中枢神経組織に極めてよく似た、全地球規模のネットワークが確立することである。われわれの中枢神経組織は電気的ネットワークであるばかりでなく、経験が一つに統一された場である」と言っているが、その言葉はまさにいまのインターネットを論じているようにも読める。

そして、「われわれ中枢神経系を電磁気技術へと拡張し、翻訳したあとでは、われわれの意識をコンピューターの世界へ移すことは、その次にくる段階にすぎない」とも述べている。

コンピューターの限界と人間の役割

さらに未来のコンピューターの役割について、「情報検索とは関係がなくなるだろう。それは純粋な発見と関係するだろう」と言い、コンピューターが記憶を自由に検索したり操ったりすることを可能にすることによって、「普通の知覚とはまったく異質の新しい神話的構造的意味を帯びるようになり」、「われ知らず神話的なもの、パターン、構造、プロフィールについての知識を明らかにする」とその効用を説く。

未来のメディアは、「環境の共同体的内容として意識を加工する。そしてついには、補聴器くらいの大きさのポータブルコンピュータへとつながるかもしれない。それは現在夢が行っているように共同体的経験を通じて個人的経験を加工するだろう」とも言っている。

メディアは人間の意識を拡張するためのテクノロジーだと考えるマクルーハンにとって、人間の中枢神経としての脳を人工的に模したコンピューターと、それらを有機的につないだインターネットこそ究極のメディアだろう。だが、コンピューターは効率よく人間が苦手な仕事をこなしてはくれるが、「意味を理解するということに関しては人間の独壇場だ」と、その限界と人間の役割について指摘もしている。

「本当はAIを作っている」

2002年にグーグルの社内パーティーに参加したケヴィン・ケリーが、創業者のラリー・ペイジに、「検索サービスの会社は山ほどあるのに、なぜいまさら無料のウェブ検索サービスを始めるのか」と尋ねたところ、ペイジは「本当はAIを作っている」と答えたという。グーグルが創業当時から情報検索を武器に目指していたものは、AIという言葉で象徴されるマクルーハンが指摘するような人間の意識を電子メディアに移植し、その意識を加工する何かだったのだ。

現在のAIは人間の知的な活動を模倣して、人間より早くうまい解答を引きだす気の利いたソフトにすぎないが、世界中の人々がつながり、検索やソーシャルメディアを使ってさまざまなアイデアを流して、グーグルなどのクラウドに強化学習のためのビッグデータを提供しているというのが現状だ。

インターネットが自然をも支配する

こうして得られるAIの機能は、個別の問題の解決に役にも立つが、人類の意識全体をデータ化して構造化した巨大な意識の集合体でもある。さらにIoTなどを通して、これから人間以外の万物がつながるようになると、インターネット全体が自然をも支配する第2の環境になっていくだろう。

まさにマクルーハンが、「詩人ステファヌ・マラルメは、世界は一冊の本の中につきると考えた。われわれはいまやこれを超え、すべての現象を1台のコンピューターの記憶の中に移しかえようとしている」のであり、人類の「生き残りはいま、環境としての意識の拡張にかかっている」のだという言葉が、インターネットが普及した先に来る世界を暗示しているようにも思える。

マクルーハンはそういう時代には、人々はそれまでの機械時代とは逆に「あらゆる能力が同時に活用されることが要請されるので、あらゆる時代の芸術家たちのように、もっとも強く対象に関与している時に、もっともレジャーを享受するということになる」と述べ、さらに「消費者はオートメーション回路の中で生産者となる」とし、「これはモザイク的新聞を読む人が、自分自身のニュースを作り出しているのであり、あるいは自分自身がニュースになっているのと同じである」と続ける。

ある意味それは、われわれが活字時代に放棄した部族社会時代の持っていた、専門家が生じる以前の何でも自分でこなすアーチスティックな感性が試される時代がやって来るということだろう。それは『メディア論』の中で引用された、バリ島の住人が述べた、「われわれは芸術なんてもたない。なんでもできるかぎりやるだけだ」という世界そのものだ。

マクルーハンは、イギリスの哲学者アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドに関して述べた章に、「現在起きていることを注視する意思がある以上、不可避ということは絶対にない」という見出しを付けている。

ケヴィン・ケリーの著書の原題は『不可避(The Inevitable)』だ。ケリーはこの本の前に『テクニウム』(2010年、邦訳は2014年にみすず書房から)で、テクノロジーは人間の恣意的で人工的なものにとどまらず、もともと宇宙に秩序をもたらすもっと広い原理(テクニウム)が発現したものだと考え、マクルーハンがテクノロジーをあくまでも人間の意志の拡張であるとした考え方をさらに広い文脈で捉えた。そういう意味で、マクルーハンを(情報)宇宙の力学を探ったニュートンにたとえるなら、ケリーはニュートン力学の限界を打ち破ろうとしたアインシュタインのような存在だろう。

ケリーが考えたのは、テクニウムという避けがたい原理に支配されたインターネットというメディアは不可避で、それをどういう言葉で理解すればいいのかということだった。こうした不可避な未来に対して、マクルーハンはその原理を理解することこそが、より大きな力に対抗し、自らの判断で支配されない自由を確保するための唯一の方法だと考えたが、ケリーも彼のメディア論に同じ思いを込めたのだろう。

さらにケリーは『テクニウム』の中で、宇宙は当初エネルギーが支配していたが、その後に物質が生成されて支配的な存在になり、さらに物質に一定の情報的な秩序ができることで生命が誕生することで、情報の支配力が増していると考える。

メディアを理解する=人間を理解する

エネルギーと物質の関係性は、すでにアインシュタインによって定式化(E=MC2)されているが、物質と情報の関係性はまだだ。最近の最先端の宇宙論では、宇宙の現象はある抽象的な情報的空間が投射されたものであると考える、超ひも理論や、ホログラフィック理論も提唱されており、いずれは物質と情報の関係性を素粒子論なども含めて定式化することが可能になるかもしれない。そうなればメディアをさらに広い文脈の中で理解できるようになるだろう。

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マクルーハンのメディア理論を読み返してみると、それは人間の感性を基本に、人間が自ら生み出したメディアというテクノロジーとどう付き合えばいいかという、極めて人間存在と深く関わる命題を相手にしていることが分かる。メディアについて理解するということは、逆にそこに映し出された人間を理解することでもある。19世紀の電子メディアである電信や電話が時空を歪ませた結果、人々は混乱し、神の代わりに亡霊を見た。しかしその亡霊は、フロイトが人間の深層心理を発見し精神医学が立ち上がるきっかけともなった。

21世紀のインターネットやAIが見ている世界は、シンギュラリティーというマシンが人間を超えたポスト・ヒューマンな世界なのかもしれないが、それはそこに映っている人間という存在のイメージに対する反語でしかないだろう。きっとこうしたメディアを通して論じるべきは、メディアそのものの性質もさることながら、人類がずっと歴史を通して問い続けてきた、「人間とは何か?」という根源的な問いかけへの答えかもしれない。

服部桂(はっとり・かつら)
ジャーナリスト
1951年、東京都出身。早稲田大学理工学部で修士取得後、1978年に朝日新聞に入社。16年に朝日新聞社を定年退職後フリーに。著書に『メディアの予言者 マクルーハン再発見』(広済堂ライブラリー)ほか。訳書に『テクニウム テクノロジーはどこへ向かうのか?』(みすず書房)などがある。

(写真=iStock.com)