すっかり忘れてましたが、今日はイースターですね。
イースターというと何故かイスカリオテのユダのことを考えます。
何故裏切ったのか。
後悔してないのか。
――許されたのか。
高校生の頃。
ミュージカル『GODSPELL』を観てそんな疑問を持った私はとあるシスターに訊いたことがあります。
「ユダは許されたのでしょうか?」
シスターはこう答えてくれました。
「ユダも許されたのだと思います。イエズス様ご自身がお選びになった使徒だから。
――そうじゃないと悲しいでしょう?」
この答えが一般的な見方かどうか、私にはわかりません。
けれど、シスターの言葉を聞いてホッとしたというか、救われたと思いました。
敬愛する人を裏切って。
自分の裏切りのせいでその人が死んで。
それが罪だととわかっていても、自分で自分が許せなくて自殺したくなる気持ちもわかります。
「私たちが彼を十字架にかけた」
という人がいる、と聞いたことがあります。
だけど私はこう思う。
「私がユダだったかもしれない」
そんなわけで、イースターになるとイスカリオテのユダについて思いを馳せるわけです。
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