8/29、佐野と『ドリアン・グレイの肖像』を観てきました。
……26日の『天翔ける風に』同様、重いテーマの作品でしたね。
別にそういう作品を選んでみてるわけじゃないんだけど、なあ。
この舞台は役者がわずか6名!
それでこの作品の世界観を表しきってるんだから演出の勝利としか言いようがないね。
でも俳優さんの感想→作品の感想というスタイルは変えない。
ネタバレありですよ!
まずは役者さん。
今回の目当ては山本耕史さん。主人公のドリアン・グレイ役。華がある。そして実力もある。
当初は純粋だったドリアンが徐々に堕落していく姿はかなり見応えがあった。
特に絵を切り刻むために地下室に下りていくシーンはすごかった!
シビルとヘッティの2役を演じた須藤温子さん。ものすごく美人というわけではないのに、何故か魅力的。
酷評されたジュリエットは確かに「ん~」となるものが。わざと下手に演じるって結構難しいと思うんだけど、さらっと演じてたと思う。
ヘッティはちょっとしか出てこないけどなんとなく人をほっとさせるものがあるね。
伊藤暁さんが演じたのはバジルと阿片窟の男の2役。同じ人が演じてるというのはわかるけど、雰囲気を変えていたのは素晴らしい。
「俗物」といわれるバジルはどこまでも“人間らしい”。それに対し、阿片窟の男はどこか異様。
存じ上げなかったけど、良いなあと思った。
ジェイムズ、バジルの執事、ドリアンの執事の3役は米村亮太朗さん。2人の執事はあえて没個性にしたんだろうか?
3役とも台詞が多い役ではないけれど、かなりの存在感を放っていらっしゃいました。
それにしても執事2人とジェイムズで印象が違ったよな……最初別人かと思った。
この方も2役、三上市朗さん。アランとジョージ。アランはともかく、ジョージってちょっとしか出てこなかったよな?
ドリアンの魅力(魔力?)に勝てず、犯罪(?)に手を染めるアランは哀れでもあり、不甲斐なくもある。
でも、多くの人はそうなっちゃうんじゃないかな、と考えさせられた。
ヘンリー卿は加納幸和さん。ものすごい存在感!
『美しさ』と『若さ』だけを賛美する姿勢はいただけないけれど、でも人間誰もがそういう一面を持っている。
なんというか……良い意味でも悪い意味でも“人たらし”。
演出等。箇条書きですよ。
・これも原作を読んでいけば良かった。
・肖像画をあえて“見せない”ところが素晴らしい。それがどう変わっていくかは観客の想像にゆだねられているのが肖像画にかけられた願い、あるいは呪いの大きさを物語っていると思った。
・シンプルなセットもまた良し。ここはどこか、舞台にいる人々以外にどういう人々がいるのか。考えてもよし、考えずに舞台の役者さんに集中するもよし。
・音楽もピアノだけというのが作品の世界観を壊していなくてよかった。
・ただし、肖像画が変貌を遂げていくところの効果音は(スピーカーに近い席だったからかもしれないが)ちょっとうるさすぎ。
・実は山本耕史さんを舞台で拝見するのは初めて。この人はやっぱり舞台の人なんだなあと思った。
・でもドリアンは何故白髪? 普通に黒でも茶色でも構わないと思うんだけどなあ。
・“シビル”と“バジル”が韻を踏んでいるのは何か理由があるんだろうか。オスカー・ワイルドにちょっと訊いてみたい(←ムリなのは百も承知)。
・どうでもいいけど“シビル”に“バジル”って、私にとってかーなーり思い入れがある名前なんだよなあ……。
誰もがドリアンになる危険性があり、誰もがアランのように大きな力に抗えないことがある。
誰もがジェイムズのように平凡で、誰もがヘンリーのように若さと美を追求する。
誰もがバジルのように“俗物”であると同時に、誰もがシビルとヘッティのように純粋である。
肖像画に願をかけずにいられるだろうか?
魅力的な笑顔の裏に潜む邪悪を見抜くことが出来るだろうか?
歳を重ねていく自分を受け入れるのは難しいことだろうか?
愛するが故に突き放すことを決断できるだろうか?
もう少し年齢を重ねてからもう一度観てみたい作品。
そのときは一体誰の心情に共感するんだろう……。
……26日の『天翔ける風に』同様、重いテーマの作品でしたね。
別にそういう作品を選んでみてるわけじゃないんだけど、なあ。
この舞台は役者がわずか6名!
それでこの作品の世界観を表しきってるんだから演出の勝利としか言いようがないね。
でも俳優さんの感想→作品の感想というスタイルは変えない。
ネタバレありですよ!
まずは役者さん。
今回の目当ては山本耕史さん。主人公のドリアン・グレイ役。華がある。そして実力もある。
当初は純粋だったドリアンが徐々に堕落していく姿はかなり見応えがあった。
特に絵を切り刻むために地下室に下りていくシーンはすごかった!
シビルとヘッティの2役を演じた須藤温子さん。ものすごく美人というわけではないのに、何故か魅力的。
酷評されたジュリエットは確かに「ん~」となるものが。わざと下手に演じるって結構難しいと思うんだけど、さらっと演じてたと思う。
ヘッティはちょっとしか出てこないけどなんとなく人をほっとさせるものがあるね。
伊藤暁さんが演じたのはバジルと阿片窟の男の2役。同じ人が演じてるというのはわかるけど、雰囲気を変えていたのは素晴らしい。
「俗物」といわれるバジルはどこまでも“人間らしい”。それに対し、阿片窟の男はどこか異様。
存じ上げなかったけど、良いなあと思った。
ジェイムズ、バジルの執事、ドリアンの執事の3役は米村亮太朗さん。2人の執事はあえて没個性にしたんだろうか?
3役とも台詞が多い役ではないけれど、かなりの存在感を放っていらっしゃいました。
それにしても執事2人とジェイムズで印象が違ったよな……最初別人かと思った。
この方も2役、三上市朗さん。アランとジョージ。アランはともかく、ジョージってちょっとしか出てこなかったよな?
ドリアンの魅力(魔力?)に勝てず、犯罪(?)に手を染めるアランは哀れでもあり、不甲斐なくもある。
でも、多くの人はそうなっちゃうんじゃないかな、と考えさせられた。
ヘンリー卿は加納幸和さん。ものすごい存在感!
『美しさ』と『若さ』だけを賛美する姿勢はいただけないけれど、でも人間誰もがそういう一面を持っている。
なんというか……良い意味でも悪い意味でも“人たらし”。
演出等。箇条書きですよ。
・これも原作を読んでいけば良かった。
・肖像画をあえて“見せない”ところが素晴らしい。それがどう変わっていくかは観客の想像にゆだねられているのが肖像画にかけられた願い、あるいは呪いの大きさを物語っていると思った。
・シンプルなセットもまた良し。ここはどこか、舞台にいる人々以外にどういう人々がいるのか。考えてもよし、考えずに舞台の役者さんに集中するもよし。
・音楽もピアノだけというのが作品の世界観を壊していなくてよかった。
・ただし、肖像画が変貌を遂げていくところの効果音は(スピーカーに近い席だったからかもしれないが)ちょっとうるさすぎ。
・実は山本耕史さんを舞台で拝見するのは初めて。この人はやっぱり舞台の人なんだなあと思った。
・でもドリアンは何故白髪? 普通に黒でも茶色でも構わないと思うんだけどなあ。
・“シビル”と“バジル”が韻を踏んでいるのは何か理由があるんだろうか。オスカー・ワイルドにちょっと訊いてみたい(←ムリなのは百も承知)。
・どうでもいいけど“シビル”に“バジル”って、私にとってかーなーり思い入れがある名前なんだよなあ……。
誰もがドリアンになる危険性があり、誰もがアランのように大きな力に抗えないことがある。
誰もがジェイムズのように平凡で、誰もがヘンリーのように若さと美を追求する。
誰もがバジルのように“俗物”であると同時に、誰もがシビルとヘッティのように純粋である。
肖像画に願をかけずにいられるだろうか?
魅力的な笑顔の裏に潜む邪悪を見抜くことが出来るだろうか?
歳を重ねていく自分を受け入れるのは難しいことだろうか?
愛するが故に突き放すことを決断できるだろうか?
もう少し年齢を重ねてからもう一度観てみたい作品。
そのときは一体誰の心情に共感するんだろう……。
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