レミ講座のおまけです。
これが最後だ!
レミ講座終了後、しばらく普通に歩けなかったんだよね、実は。もうルネ(この時はまだ名無し)が居座っちゃってさ……。
でも、帰り際に折井さんとちょこっと話せてよかった。笑顔が超可愛い! 同級生として、いちファンとして応援したい。
そうそう、稽古場から出るときに上野さんに時計を見せて
「これは絶対あげませんよ」
って言ったら笑ってた。そりゃそうだよな……。隣にいた俳優さんが「何があった?」みたいなこと言ってました。
誰だかはちょっと記憶が……。人の顔と名前を一致させるのが苦手&ルネと私がごちゃごちゃに混ざってたんで余計記憶が曖昧(滝汗)
帰りにうっちゃんさんと一緒にご飯食べよう、ってことになって『シンデレラと七人の小人の食卓』へ向かう。
が、急に「Bruceでミュージカル部やってたはず?」と思い出し、急遽新橋へ。うっちゃんさんと交代で1910メンバーのままさん、Bohemeさんに連絡するも、返事がない。
「これは熱唱中に違いない!」
そこで私がとった行動。
お 店 に 直 接 電 話 し た 。
マスターに「ミュージカル軍団の海星(もちろん本名の苗字)です」と名乗ったら、あっさり「ああ~」と認識されました。軍団恐るべし。
新橋駅前で軽く夕食をとって、Bruceに乗り込むとままさん、Bohemeさん、エミリオさんと、あと新しく1910に入ったMさんという方、Bruceミュージカル部のメンバーがいらっしゃいました。
それにしてもBruceのミュージカル部の方々、なんであんなに歌が上手いんだ? 私もちょっと歌ったけど自分の下手さ加減にげんなりしたぜ……。
帰宅したのは日付が変わってから。両親に心配されたが、「歌のクラスの人と一緒だった」というと安心したようだ。
……間違ってはないよな?
翌日起きたらすごかったぜ。
背中と右足筋肉痛、這いずり回ったせいで左膝は内出血、ついでに肩も痛い!
プロの方はこれが毎日なんだよな、と思うと改めて尊敬。
同時にその世界観を表現するために試行錯誤を繰り返すスタッフの皆さまにも深い尊敬の念を抱きました。
そうそう、レミ講座の詳細レポートの【自由・平等・博愛】はフランス革命の精神。
【博愛】のミュージカルの歴史を学び、【平等】に歌唱指導を受け、【自由】に造形した役を演じた。
おまけの【青・白・赤】はフランスの国旗の色。
【赤】い旗が象徴的に使われる『レ・ミゼラブル』、【白】紙の状態から作り上げたルネの物語、【青】が好きな私の『レ・ミゼラブル』との物語――。
初めて『レ・ミゼラブル』の原作に出会ったのは8歳の時。人生の3分の2をこの作品と直接的・間接的に関わってきた。
ミュージカルとしての『レ・ミゼラブル』を知った9歳。あれから15年経つ。
元テナルディエ夫人の杉村理加さんが晃弥の中高の先輩だと知ったのは中1の時。今の半分の歳だった。
部活でミュージカル『レ・ミゼラブル』のCDを聴いたのは中3。9歳の私が出会った作品に再会し、この作品に魅了された。
初めて舞台を観たのは2001年。感動しすぎて2回も観に行った。この年はほぼ毎月何かミュージカルを観に行っていたと思う。
同じ年、高1になった私は『キャンディード』日本初演の舞台で折井さんと偶然会う。共通の知人を介して顔と名前を知っている程度の間柄が、一緒に岡さんの舞台を観に行く仲に。
中3で必修だったフランス語をもっと勉強したくて習い始めたのも同じく高1の時。オリジナル版『レ・ミゼラブル』に出会う。その後の人生の3分の1をフランス語版も携えてきた。
ミュージカル好きが高じて歌を習い始めたのは高2の時。生来の目立ちたがり屋精神を発揮してかすかに舞台に立つ夢を持つも、現実を知って断念。
高3の頃、フランス語も歌もやめて受験に備えていた。その頃1回だけ観た『レ・ミゼラブル』。「キャストの皆さんが頑張っているんだから、私も」と勇気をもらった。第1志望に合格したのはそのおかげでもあると思っている。
大学1年の7月から1910に入る。途中1年間休んだけど、今でもここで歌を習い続けている。『レ・ミゼラブル』の曲は何曲も歌った。
20歳の誕生日目前にミトちゃんと久し振りに『レ・ミゼラブル』を観た。中高の友達とは別に観劇仲間が出来た。
日本初演20周年記念のとき、ファン感謝デーに当選した。折井さんに再会したのはこの時。キャストと観客、立場は違えど、元同級生に憧れと軽い嫉妬を覚えた。稽古場特派員にも当選した。やがて嫉妬は消え、1人のファンになっていく。
この年は大学院受験と卒論を控えていた。適度な息抜きとして、また俳優さんたちから勇気をもらうため、帝劇に通い詰めた。
そして今年。自分を見失っていた私は憧れだった舞台俳優体験を通し、少しだけ自分を取り戻した。
フランスでミュージカル『レ・ミゼラブル』が創られたのは、1985年。
この年は、私が生まれた年――。
不思議な縁が、あるのだろうか?
レミ講座から始まる長い『物語』にお付き合い下さり、本当にありがとうございました。
これが最後だ!
レミ講座終了後、しばらく普通に歩けなかったんだよね、実は。もうルネ(この時はまだ名無し)が居座っちゃってさ……。
でも、帰り際に折井さんとちょこっと話せてよかった。笑顔が超可愛い! 同級生として、いちファンとして応援したい。
そうそう、稽古場から出るときに上野さんに時計を見せて
「これは絶対あげませんよ」
って言ったら笑ってた。そりゃそうだよな……。隣にいた俳優さんが「何があった?」みたいなこと言ってました。
誰だかはちょっと記憶が……。人の顔と名前を一致させるのが苦手&ルネと私がごちゃごちゃに混ざってたんで余計記憶が曖昧(滝汗)
帰りにうっちゃんさんと一緒にご飯食べよう、ってことになって『シンデレラと七人の小人の食卓』へ向かう。
が、急に「Bruceでミュージカル部やってたはず?」と思い出し、急遽新橋へ。うっちゃんさんと交代で1910メンバーのままさん、Bohemeさんに連絡するも、返事がない。
「これは熱唱中に違いない!」
そこで私がとった行動。
お 店 に 直 接 電 話 し た 。
マスターに「ミュージカル軍団の海星(もちろん本名の苗字)です」と名乗ったら、あっさり「ああ~」と認識されました。軍団恐るべし。
新橋駅前で軽く夕食をとって、Bruceに乗り込むとままさん、Bohemeさん、エミリオさんと、あと新しく1910に入ったMさんという方、Bruceミュージカル部のメンバーがいらっしゃいました。
それにしてもBruceのミュージカル部の方々、なんであんなに歌が上手いんだ? 私もちょっと歌ったけど自分の下手さ加減にげんなりしたぜ……。
帰宅したのは日付が変わってから。両親に心配されたが、「歌のクラスの人と一緒だった」というと安心したようだ。
……間違ってはないよな?
翌日起きたらすごかったぜ。
背中と右足筋肉痛、這いずり回ったせいで左膝は内出血、ついでに肩も痛い!
プロの方はこれが毎日なんだよな、と思うと改めて尊敬。
同時にその世界観を表現するために試行錯誤を繰り返すスタッフの皆さまにも深い尊敬の念を抱きました。
そうそう、レミ講座の詳細レポートの【自由・平等・博愛】はフランス革命の精神。
【博愛】のミュージカルの歴史を学び、【平等】に歌唱指導を受け、【自由】に造形した役を演じた。
おまけの【青・白・赤】はフランスの国旗の色。
【赤】い旗が象徴的に使われる『レ・ミゼラブル』、【白】紙の状態から作り上げたルネの物語、【青】が好きな私の『レ・ミゼラブル』との物語――。
初めて『レ・ミゼラブル』の原作に出会ったのは8歳の時。人生の3分の2をこの作品と直接的・間接的に関わってきた。
ミュージカルとしての『レ・ミゼラブル』を知った9歳。あれから15年経つ。
元テナルディエ夫人の杉村理加さんが晃弥の中高の先輩だと知ったのは中1の時。今の半分の歳だった。
部活でミュージカル『レ・ミゼラブル』のCDを聴いたのは中3。9歳の私が出会った作品に再会し、この作品に魅了された。
初めて舞台を観たのは2001年。感動しすぎて2回も観に行った。この年はほぼ毎月何かミュージカルを観に行っていたと思う。
同じ年、高1になった私は『キャンディード』日本初演の舞台で折井さんと偶然会う。共通の知人を介して顔と名前を知っている程度の間柄が、一緒に岡さんの舞台を観に行く仲に。
中3で必修だったフランス語をもっと勉強したくて習い始めたのも同じく高1の時。オリジナル版『レ・ミゼラブル』に出会う。その後の人生の3分の1をフランス語版も携えてきた。
ミュージカル好きが高じて歌を習い始めたのは高2の時。生来の目立ちたがり屋精神を発揮してかすかに舞台に立つ夢を持つも、現実を知って断念。
高3の頃、フランス語も歌もやめて受験に備えていた。その頃1回だけ観た『レ・ミゼラブル』。「キャストの皆さんが頑張っているんだから、私も」と勇気をもらった。第1志望に合格したのはそのおかげでもあると思っている。
大学1年の7月から1910に入る。途中1年間休んだけど、今でもここで歌を習い続けている。『レ・ミゼラブル』の曲は何曲も歌った。
20歳の誕生日目前にミトちゃんと久し振りに『レ・ミゼラブル』を観た。中高の友達とは別に観劇仲間が出来た。
日本初演20周年記念のとき、ファン感謝デーに当選した。折井さんに再会したのはこの時。キャストと観客、立場は違えど、元同級生に憧れと軽い嫉妬を覚えた。稽古場特派員にも当選した。やがて嫉妬は消え、1人のファンになっていく。
この年は大学院受験と卒論を控えていた。適度な息抜きとして、また俳優さんたちから勇気をもらうため、帝劇に通い詰めた。
そして今年。自分を見失っていた私は憧れだった舞台俳優体験を通し、少しだけ自分を取り戻した。
フランスでミュージカル『レ・ミゼラブル』が創られたのは、1985年。
この年は、私が生まれた年――。
不思議な縁が、あるのだろうか?
レミ講座から始まる長い『物語』にお付き合い下さり、本当にありがとうございました。
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