Myselves

言葉と音楽に隠された魔法を探して放浪中。
そんな『自分自身』たちの旅の様子は?

ある夜の独り言。

2008-11-27 01:18:41 | 独白
家族をはじめ、大切な人たちへ。


本当は大丈夫じゃないとき、「大丈夫」なんて言わないでほしい。


大丈夫? と問いかけたとき、だめと答える人は少ないだろう。
だが、だめなときは「だめ」と答えられた方が良い。何がだめなのか、私に何ができるか――あるいはできないか――を、聞き出せるかもしれない。聞き出せなくても、判断できるかもしれない。
答えられないほど疲れきってしまっているのだとしたら、それでもいい。私に何ができるか、あるいはできないかを考え、行動することができる。なんらかの反応を示すまで、何かすることができる。


でも、笑顔で「大丈夫」と答えられると、不安になる。
本当になんでもないならそれでいい。取り越し苦労になることなんてなんでもない。


――だけど、その笑顔の裏で苦しんでいたとしたら?


相手に心配かけたくないとき、あるいは自分が無理してることに気づいてないときにも笑顔で「大丈夫」と答えることがある。そして「あなたの方が大変そう」とか「そっちは? 無理してない?」と聞き返すこともある。

そういうとき、私はなんて無力なんだろうと思う。
大切な人が苦しんでるとき、私は力になれない。

それでも精一杯手を差し伸べたとき、その手を握り返してくれたらいい。
振り払われてもいい。少なくとも私ではその悩みをどうすることもできないことはわかる。
でも、某歌手ではないが、遠くから、あるいは近くから見守ることはできる。その人は気づいていない、しかしその人に降り注ぐ火の粉から守ることもできるかもしれない。


――でも、握り返されもせず、振り払われもしなかったら?


そんなとき、私は途方もなくちっぽけな存在になったような気がする。
もちろん見守ることはできる。何かできることはないか必死に探すだろうし、外敵から守るために喜んでこの身を捧げよう。

それでも、私はきっと不安になると思う。
その人が私にどうしてほしいかがわからない。
本当は、私は何をすればいいのかわからない。
その人にとって私は必要なのかどうかがわからない。



だから、本当に大丈夫じゃないときに「大丈夫」なんて言わないでほしい。
特に心配かけたくないから、という理由の時は、絶対に。
心配かけさせて。何がしてほしいのか、何もしてほしくないのか、遠慮なく言って。私が必要なのかそうじゃないのか教えて。


私にはその苦しみを背負うことはできないかもしれない。分かちあうこともできないかもしれない。
私には支えることはできないかもしれない。包み込むこともできないかもしれない。
私には共に戦うことはできないかもしれない。共に歩むこともできないかもしれない。
私には何もできないかもしれない。
それでも、精一杯幸せを、安らぎを願うことはできる。



もしかしたら、私が独りになりたくないから、依存してるだけなのかもしれない。
でも、忘れないでほしい。


精一杯幸せを、安らぎを願うちっぽけな存在が、ここにいることを。










家族全員が疲れていて、でもみんなが「大丈夫」という夜、何もできない自分に怒りつつ。
本当は私がもっとしっかりして、みんなを支えなきゃ、癒さなきゃいけないのに……疲れてる人に心配かけるなんて、最低最悪だ。



もっと頑張らなきゃ。
私は、大丈夫だから。

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