祥一郎・・・・・・・・・・
お前の母親が亡くなったのは何年前だっただろう。
血圧が高く、確か頭部のどこかの血管が切れ、急死だったと記憶している。
本当に傍で見ているだけでこちらも泣けてきそうなくらいお前は悲しんでいて、人目も憚らず泣きながら実家に帰って行ったね。
お前は本当にお母さん子だった。
ツイッターにも「母が亡くなってもう二年、まだ恋しい自分が居る。」なんて呟きもみつけた。
父親と電話で口論していたときも、「だってお母さんをまた殴るやん。」なんて泣きながら父親を非難し、母親を庇っていたのを思い出す。
私はある意味羨ましかった。
母親を想える。その当たり前のことが私には出来なかったからね。
ろくでもない父親とどうしても別れたくて、物心もつかない子供三人を残して去って行った私の母。顔もまったく覚えていないし、母と子のエピソードも無い。
だからお前の母親に対する想いを、また母親の子への愛情をときおり垣間見ていて、その面では私より恵まれているなと思ったことも有る。
勿論お前の母親とは面識はない。
母親にはお前はゲイであることはカミングアウトしていなかったし、男性と同居していることは知っていたらしいけど、まさか私がパートナーですとも言えないしね。
まあゲイカップルにはよくあることだが。
亡くなった時の顔を見せてくれたことがある。優しそうな顔をした人だった。
何歳で亡くなったのかお前に聞きそびれたけれど、まだお若かったはず。
遺骨を一部持ってきて、必ず線香を上げていた。毎朝必ず。
しかし・・・・・・・・・・
まさかその愛する母親を亡くしてから、10年も、いや7~8年も経たない内に、今度はお前が逝ってしまうとは。
だからこそおっちゃんは本当に願うんだ。
お前があちらの世界で母と逢い、心穏やかに過ごしていることを。
お前を喪った悲しみはまだ一向に小さくならず、寧ろ大きくなっていき、巨大な喪失感に押しつぶされそうになる状態も酷くなっていくばかりだけれど、お前が母と笑顔で昔語りなどをして過ごしているなら、私の中で少しばかり安堵する面もある。
そしてたまに母に、「ちょっとおっちゃんの様子を見に行ってくるわ。」と言ってこちらに出掛けてきているのではないかと想像したりもする。
お前の46年の人生の半分ほどは私と一緒だったし、10年ほど大阪に二人で行ってしまい、なかなか母と逢えない時期もあったから、その分あまりできなかった親孝行をして欲しい。
いずれ私がそちらの世界へ行った時、改めてお前の母に挨拶し、誇りを持ってお前をどれだけ愛していたか、貴方の可愛い息子、祥一郎を喪ってどれほどの涙を流したか、話せる機会を作ろうと思う。
お前が居る世界ではもう何も包み隠す必要も無いだろう。
きっと笑って、「まあそれはそれは有り難うございます。お世話になりましたねえ。」とでも言ってくれるかもしれない。
そして三人で忌憚なく、積もる話や笑い合える話ができたならと願う。
お前の母親が亡くなったのは何年前だっただろう。
血圧が高く、確か頭部のどこかの血管が切れ、急死だったと記憶している。
本当に傍で見ているだけでこちらも泣けてきそうなくらいお前は悲しんでいて、人目も憚らず泣きながら実家に帰って行ったね。
お前は本当にお母さん子だった。
ツイッターにも「母が亡くなってもう二年、まだ恋しい自分が居る。」なんて呟きもみつけた。
父親と電話で口論していたときも、「だってお母さんをまた殴るやん。」なんて泣きながら父親を非難し、母親を庇っていたのを思い出す。
私はある意味羨ましかった。
母親を想える。その当たり前のことが私には出来なかったからね。
ろくでもない父親とどうしても別れたくて、物心もつかない子供三人を残して去って行った私の母。顔もまったく覚えていないし、母と子のエピソードも無い。
だからお前の母親に対する想いを、また母親の子への愛情をときおり垣間見ていて、その面では私より恵まれているなと思ったことも有る。
勿論お前の母親とは面識はない。
母親にはお前はゲイであることはカミングアウトしていなかったし、男性と同居していることは知っていたらしいけど、まさか私がパートナーですとも言えないしね。
まあゲイカップルにはよくあることだが。
亡くなった時の顔を見せてくれたことがある。優しそうな顔をした人だった。
何歳で亡くなったのかお前に聞きそびれたけれど、まだお若かったはず。
遺骨を一部持ってきて、必ず線香を上げていた。毎朝必ず。
しかし・・・・・・・・・・
まさかその愛する母親を亡くしてから、10年も、いや7~8年も経たない内に、今度はお前が逝ってしまうとは。
だからこそおっちゃんは本当に願うんだ。
お前があちらの世界で母と逢い、心穏やかに過ごしていることを。
お前を喪った悲しみはまだ一向に小さくならず、寧ろ大きくなっていき、巨大な喪失感に押しつぶされそうになる状態も酷くなっていくばかりだけれど、お前が母と笑顔で昔語りなどをして過ごしているなら、私の中で少しばかり安堵する面もある。
そしてたまに母に、「ちょっとおっちゃんの様子を見に行ってくるわ。」と言ってこちらに出掛けてきているのではないかと想像したりもする。
お前の46年の人生の半分ほどは私と一緒だったし、10年ほど大阪に二人で行ってしまい、なかなか母と逢えない時期もあったから、その分あまりできなかった親孝行をして欲しい。
いずれ私がそちらの世界へ行った時、改めてお前の母に挨拶し、誇りを持ってお前をどれだけ愛していたか、貴方の可愛い息子、祥一郎を喪ってどれほどの涙を流したか、話せる機会を作ろうと思う。
お前が居る世界ではもう何も包み隠す必要も無いだろう。
きっと笑って、「まあそれはそれは有り難うございます。お世話になりましたねえ。」とでも言ってくれるかもしれない。
そして三人で忌憚なく、積もる話や笑い合える話ができたならと願う。