道行く人々の後ろ姿。
あいつの面影を探す。
短髪で小柄な男性を見かけると、早歩きして振り返る。
私がチラと見ているのを気付かずに通り過ぎる人、私が見ているのに気付き、怪訝な顔をする人。
そんなときは急いで目を逸らし、何もなかったフリをする。
前方から色黒の若者が歩いてくる。
凝視はしない。横目で焼け具合や顔立ちを確認する。どこかに似たところがないかと。
目鼻立ちのはっきりした男性が歩いてくる。
あいつの大きかった目や鼻と比べる。別に似ても似つかぬことに残念になり情けなくなる自分。
知らない街を歩く。
もしかしたらあいつがこの街のどこかで歩いているんじゃないかと見まわす。
だって、私の居る所、あいつが居たんだから。
何年も、何十年も。
あいつが生きていたからひとりで出掛けてもどんなに遠い街に行っても、絆は弧を描いてビルや山や海を越えて繋がっていたんだ。
帰ったらこんなことがあったよと話そう。
帰ったら、この疲れを半分持ってもらおう。
そしてあいつの背中を見て、なべてこの世はことも無しと感じよう。
私の出掛けた先の話をすることも無く、あいつの話を聴こう。
そうやって二人で生きてきた。
孤独・・・ひとりきり・・・あの頃の二人に無かった言葉。
今はそれのみ。
それのみが私の周囲を覗きこむ。じっと私を凝視している。
私を押さえつける。もっと俯け、もっと項垂れろと。
私はそれに抗えず、首や肩が痛くなるのも構わず、アスファルトの地面を凝視しながら歩く。
まるで小さな虫けらのように、地面のみをみて歩く。
違うのは、何かを探しているからではない。
前を向いても、上を向いても、祥一郎の姿はもう永遠に見えないから。
祥一郎は私の心の中に生きている?
では、そうであれば、心の中で生きているのであれば、何故こんなに悲しいのだろう。なぜこんなにも寂しいのだろう。なぜこれほど後悔しているのだろう。
もうあいつの肉体が無いのは理解している。声も聞けず肌の温もりも感じられないこともわかっている。
でも心の中で生きているのなら、少しは前を向けるはずではないか。
やはり祥一郎は死んでしまったんだ。
どんな意味であろうと死んでしまったんだ。
心の中にあるのは、膨大な祥一郎の想い出と面影だけだ。
あいつが生きているのなら、きっとどこかの世界で生きているのだろう。
私はそれを探さねばならない。
私が生きていても死んでしまっても、祥一郎が生きている世界を探さねばならないんだ。
そして必ず探し当てて、泣きながら喜びながら小躍りしながら祥一郎を強く抱きしめるんだ。
祥一郎・・・・
その時まで待っていてくれるよね・・・・・・